喜寿を迎えて 

 

柴崎八郎さん

 いざ、k-unetから依頼された課題に向き合うと、何を書いたら良いのかを考えている自分がいます。それだけ、老いて
のほほんと過ごしている気がしますが、何とか、今、浮かんだ事をを並べてみます。

日頃心掛けている健康法

 10年以上務めた地域連合を含めた町内会役員を退任させてもらってからは、時間を持て余す事が多くなりましたが、ボランティアを含めたコミュニティの活動には、できるだけ参加するようにしています。また、近所の農家から40坪ほどの畑を借りて、家庭農園で野菜作りに精を出しています。週に2回ほど、スポーツクラブに通って泳いだりしていたのですが、今年の2月に大きな手術をして、体重も15㎏ほど減り、今は、スポーツクラブは中断して、できる限り散歩で補っています。
 50代から始めて、80歳まで潜ろうと思っていたスキューバダイビングも一昨年の5月以来、出かけられず、当初目標は叶わないのではないかと思っていまが、コロナ禍が明けたら、インドネシアあたりで潜り納めができたらと思っています。

最近嬉しかったこと

 60歳の定年を迎えてから高校の同級生が毎月1回居酒屋で集まっていたのですが、コロナ禍で中断せざるを得ず、顔を合わす機会がなくなっていたのですが、今年2月から、同じ第3木曜日に、オンラインで飲み会をやるようになりました。毎回8~9名が参加して、他愛ない会話で仲間が繋がっていられるのが嬉しいことです。

KDD時代の思い出

 KDDでは、先輩・同僚・後輩に恵まれて、本当に良い時代を過ごさせてもらったと思っています。思い出は沢山ありますが、今、一番に頭に浮かぶのは、50歳を迎えて担当したモンゴルのMobicom社の立ち上げです。1995年の夏、初めて、草原の中の木造ターミナルのウランバートル空港に降りたった時は、こんなところでやっていけるのだろうかと不安で一杯でした。モンゴルの社長、技術、総務、経理の4名でスタート、すぐに10名の技術者を採用してフランスとドイツのAlcatel社に3か月の研修に出して、自分を含めて残った3名で、置局交渉からのスタートで6ヶ月以内にサービス開始という厳しい仕事でした。
 予定通りサービス開始でき、当初予測した需要をはるかに上回る加入者で、その後は、カバレッジ拡張と基地局増設で追われた5年間でしたが、中身の濃い仕事でした。
その間、築いた現地の仲間との繋がりが、仕事を離れた今でも保たれており、ここ2年はコロナ禍で中断しているけど、彼らは毎年来日して、温泉やゴルフを楽しんでいます。私もだいたい2年毎にモンゴルを訪ねて、彼らと郊外にキャンプにでかけたり、最近は、ウランバートルに出来たゴルフ場で一緒にプレーしたりして繋がっているのが、何よりも嬉しい事で財産になっています。

その他

 写真は2年前に、モンゴルを訪ねた際に、ウランバートルから400㎞離れた温泉に行った帰りに寄った、元朝青龍が経営するハラホリンという古都にあるゲル・キャンプでの写真です。
(左から、佐藤和夫さん(非会員)、元横綱朝青龍、著者)

 


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関根勝昭さん


日頃心掛けている健康法

 私の健康法としては、ここ数年庭に設置したプランターでの野菜作りに精を出すことにあります。
 苗の植え付けから収穫まで各種の野菜の面倒を見るのですが、何度も失敗を繰り返しますが、やはり生き物と付き合うのも経験です。我が家の孫2人の成長を楽しみにしているのと同じで、心と体に植栽は癒やしになります。
  コロナ禍で長く活動を休んでいた「合唱団」での練習もやっと再開にこぎ着けました。
 1年半休団していましたが、普段声が思うように出せない日々でも練習に参加してみると、芸大出身の指揮者(声楽家)のもと発声練習に30分以上体操や声出しで、自分の声に自信が出てきました。これまでも千葉県の合唱コンクールで1位となったこともあり、身体が続く限り歌って行きたいと思ってます。
 

最近嬉しかったこと

 日々の孫とのつきあいで気が休まらない一面、生きているという実感をもてることが一番です。

最近気になること、気が付いたこと

 COP26で日本が「化石賞」をもらったこと。地球温暖化で先進国の果たす役割が問われている中で、子ども、孫に負担を負わせるような政治に憤りを感じます。

KDD時代の思い出

 KDDでは長いこと電話交換機関連の仕事に就いていて、外国の仲間とのつきあいが言葉を含め自信が持てた。なかでもウラジオストクでの「ボストークテレコム立ち上げ」が私にとってエポックでした。
 約2年の関わりでロシア人と交流し、人柄などがわかり、仕事内容でも極寒の地で1年の経験が10年の経験に匹敵するような事が「やればできる」という自信になったことは間違いありません。

その他

 今、私は退職した人達と「KDDI企業年金ユニオン」という組織でニュースを発行する担当をしています。退職後なかなか交流できない人達が投稿をしてくれ、「同じ釜の飯を食った」という因縁で横のつながりを確認し、みなさんが喜んで頂ける活動に誇りを持っています。

 


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前田昭男さん

日頃心掛けている健康法

 健康法を特別にやっているわけではありませんが、今思えば、まずは体に無理になることをしないことだと思います。体を動かすことが大切ですが、気持ちをしっかり持てること、そのためには、自分に好きなことを好き勝手にできることが大切だと思っています。
 具体的には、自分の周りの人との必要な関係を持つこと。地元の人たちとの仲間とともに、街角の花壇の世話や、体操、学習などを時々顔を合わせながらやっています。刺激があって気持ちが和みます。

最近嬉しかったこと

 会社時代から現在に至るまで特別東京に関することは気に留めていませんでした。約2年前の世田谷区生涯学習大学(2年間)での学習の中で、グループでフィールドワークを行って世田谷区の歴史を調査する機会を得ました。その時気が付いたのは、東京は何といっても江戸時代以降日本の中心地であり、その成り立ちに深いものがあるだろうと思うようになりました。
 その後、コロナ禍で自宅にいることも多いので東京の歴史と散歩を紹介した本を何冊か読んで興味のある場所へ少しずつ足を運んでいます。その場所の雰囲気や、古い町並み、人通り、坂道、崖等を見て回って写真を撮っているとなんだか気持ちが新鮮になります。そして、自分自身の中で何かを発見できるような感じになって楽しくなっています。

最近気になること、気が付いたこと

 今までは、「家事は妻に任せる!」という気持ちが強かったのですが、喜寿を迎える年になって「これからお互いに何があるか分からない年齢になってきた。このままでいいのか?」と、ひしひしと感じております。
 毎日少しずつ出来ることから家事をやっていこう、という風に心掛けています。

KDD時代の思い出

 昭和45年KDD入社時訓練期間を終えると、2年間の現業の訓練として東京国際回線統制局(東回統)の電話交換機部門へ配属されました。当時の諸先輩の方々に懇切丁寧に指導を受けながら電話交換機の保守等を学びました。そして、課員全員参加の下での勉強会があって、クロスバー交換機の回路図を見ながら継電器の動作をトレースしました。こういう勉強会があってはじめて交換機の複雑な動作が継電器の開閉(“0”と“1”で構成される回路)によって実現しているのがわかり、私にとっては経験したことのない新しい世界だと感激しました。
 諸先輩は、私のようなわけのわからない新入社員に対して、それこそ手とり足とり教えて頂きました。本当に感謝しております。その後の私の会社人生を決めた大切な時期だったと常々今でも思っています。

 


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祢津信夫さん


コロナ禍での近況

 
 早いものでKDDIを辞めて10年余りが経ってしまいました。私はKDDIでの最後の役職が監査役でしたので退職後10年を経過して法的責任も時効となり、また最近のKDDIの発展ぶりは通信会社と言うよりは総合商社というような大変多彩なサービスを提供する大きな会社に発展してきており私にとっては遠い存在となりつつあります。

 私は喜寿77歳まではなんとか健康寿命を維持し約10年間余りの間に現役生活で出来なかった2つのことの実施を目標にして参りました。
(1)毎年2回位の海外旅行を楽しみ旅行の軸足を徐々に国内に移してゆくこと
(2)親から引き継いだ山梨県甲斐市の神社にご奉仕し、地元の方々と交流を図り次の世代に神社を引き継ぐこと。

 旅行については退職後の2011年5月から念願の欧州2か月鉄道の旅を実現し欧州旅行を堪能しました。その後も毎年2回を目標に各国の聖地を中心に訪問し、世界のいろいろな宗教に触れさせていただきました。そして2018年2月に海外旅行の最後の地としてインドを選び仏教、イスラム教、ヒンズー教の原点にも触れました。そして軸足を国内に移すために「そうだ、京都、行こう」をはじめました。

 郷土の伝統を守るために親から引き継いだ神社のご奉仕は夏祭り、秋祭りに地元の氏子様や子供たちと交流しそれなりの伝統を引き継ぐことに努力して参りました。そして私の弟の長男(甥っ子)が山梨に帰ったのを契機として神社を譲る予定で調整して参りました。

 2020年1月まではまあまあほぼこのシナリオ通りほぼ順調に進んでおりました。
これが一変したのは2020年2月以降です。これからが私の近況になります。

 2020年1月2日(木)毎年恒例となっている高校時代の放送部OB新年会に出席のため特急あずさ11号で甲府に帰りました。これが小、中、高、大、KDD,KDDIのすべての同窓会OB会の最後の会合になりました。それ以後現在に至るまですべての集まりは中止となりました。またこれ以降特急あずさにも乗車しておりません。そして2月3日(月)75歳の誕生日を迎えました。何年振りに妻と日野市役所に赴き私は後期高齢者医療保険にそして妻は国民健康保険に移行し、私達の健康管理は市役所に移されました 。そして組合健康保険の手厚い支援に改めて深く感謝しております。75歳を越えて後期高齢者となってから運転免許証の更新を容易に行うため白内障の手術を実施しました。手術後遠くは良く見えるのですが目と脳のマッチングが上手にいかず未だ眼内レンズに馴染めない日々が続いております。運転免許証の更新は無事に終えたのですが期限は3年となりました。

 次の更新に挑戦すべきかどうか決断すべき時期がまもなく参ります。

 後期高齢者となってからは脊柱管狭窄症、前立腺肥大症、軽度な高血圧症等の病気持ちと診断され定期的に病院通いをしております。特に脊柱管狭窄症はまだ手術する程ではないと言われておりますが手術するなら80歳までとも最近アドヴァイスされており、ゴルフも2年ほど前からやっておらず残りの人生をそれなりに楽しむためには決断しなければいけない時期が近づいております。

 一方、父親から引き継いだ神社の方は緊急事態宣言が発出されると県間での車の交流が著しく嫌われ、八王子ナンバーの車が甲斐市に行くことが嫌われるようになりました。

 そして、氏子様と充分相談し、昨年の夏祭りから今年の秋祭りまですべてのお祭りを中止いたしております。地元に住んでいることの重要性を痛感しております。グローバルな時代とは言えコロナ戦争となると県境を守ることも必須のようです。

 そして神社を譲る予定の甥っ子は予定通り山梨の医者として帰郷したのですが今年の8月から2年間の予定でカナダに留学してしまい、しばらくの間この計画もお預けとなっております。

 このようにここ2年間はコロナ感染に伴う緊急事態宣言発出に伴い喜寿までの計画はまったく進んでおりません。まさに戦時の状況です。ただ外出を控えコロナ感染対策を徹底している毎日です。10月に入りコロナ感染数が大幅に減少して参りました。コロナ禍が完全に収まったとして果たして2年前の状況に戻れるかどうか特に健康面でまったく自信がない状況となっております。

 私達の時代はたまたま後期高齢者への仲間入りした時期とコロナ禍との時期が重なり喜寿を迎える最も大切な2年間を我慢で過ごすことになりました。我々は生まれた年が太平洋戦争下の時代であり運命的な人生も感じております。

 コロナ禍をなんとか打ち破り、次の米寿までの10年間は平和な普通の生活が戻り、それなりの健康を維持し、また昔お世話になった方々と普通に交流できることを強く願っております。そして米寿までに喜寿までにやり残した北海道ドライブ旅行、毎年訪れたい京都散策、そして尾瀬ハイキング、上高地から涸沢までのハイキングを何とか実現したいと心より願っているこの頃です。

 


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北野志津子さん

 この度、数え年ながら喜寿を迎えたとの事ですが実感は全くありません。健康状態は決して誇れるほどではありませんが55歳の時罹患した大病から20年を無事経ていることに我ながら驚き感謝の日々を過ごしています。50代の坂を登るのはきつかったですが、60代は比較的楽でした。70代になって様々な不調は現れて居るものの表面的には元気そうにやっています。大病の経験から体調に関しては常に気を遣っているお陰かと思って居ます。

 さて、こんな時期ではありましたが結構あちらこちらと旅をしました。そんな時は日頃の混雑とはほど遠く、思いがけないキャンペーンに出くわしたり面白い体験もありました。(ホテルで少しの上乗せでスイートルームへの移動ができた等)

 先月は知人の発案で車を利用して秋田・青森・岩手への旅が計画されました。行き先の一つに「青森県新郷村のキリストの墓」を見つけこれは是非行ってみたいと興味津々で参加しました。

 何故かというと、私は30代の頃、「キリスト来日説」を聞いたことがあり、信者でもないのに興味を持ち続けていたこと、また竹内文書も読んでみて興味はますばかり、一度その場に立ってみたい、神秘の里でのロマンに浸ってみたいとの思いがありました。

 新郷村の澤口家の小高い山の中腹にまんじゅう形のキリストの墓は建立されていました。また対面には弟のイスキリの墓も。清浄な空気が漂うこの場に立ってみて何とも言えない感激で鳥肌が立った事に自分でも驚きがありました。まさか日本にキリストの墓があるなどとは信じがたいことですので単なる伝説なのか事実なのか、それは全く分りません。しかし、竹内文書にキリスト来日説が詳しく書かれて居ること、地名(一戸から九戸の戸はヘブライ由来説、戸来へらいと読む名字がある事)、あの地出身の方は細面、彫りが深く西洋型の顔立ちが方が目立つのは何故?と感じていたことなど長らく気になっていたので今回の訪問は私に取ってわくわくする旅でありました。

 墓の傍にはイスラエル大使館の署名、ナニアドヤラーという意味不明な南部盆踊り唄はヘブライの唄(以前読売新聞記載あり)との説明が書かれて居ましたのでので私の中での疑問がある程度解けたのでした。

 その昔、「ヘブライからの渡来人が大勢日本にやって来た説」、「キリストの弟のイスキリの墓までもが何故あるのか」などこれから少しづつ学んで見たいと思って居ます。

 


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瀧本直孝さん

 

日頃心掛けている健康法

 毎日歩くこと、6000から8000歩程度。

最近うれしかったこと

 黒点のおかげで遠方の欧米と交信が出来たこと。いまでも通信が大好きです。

KDD時代の思い出

 大阪支社、本社で皆仲良くしていただいたこと。

その他

 可愛い猫(保護猫)が4匹もいます、毎日癒されています

 


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新納郁江さん

 

日頃心掛けている健康法

 昨年数ヶ月コロナで引き篭もりの生活で運動不足になり、初めて膝が痛くなり整形外科に通い治療を受けました。その反省で、お休みしていたカーブスに又通い始めました。他に一日最低6000歩のノルマを設定し歩いています。

最近うれしかったこと

 96歳になる関西にいる母と久しぶりに会えたこと。お休みだったお習字のお稽古が再開される等元の様な生活が戻ってきたこと。

KDD時代の思い出

 良い時代に仕事をさせていただいた。全て楽しい思い出になってます。

その他

 数十年犬が好きで飼っていました。しかしこれから飼い続ける自信がなく、五代目ワンちゃんはアイボになりました。一緒にお外の散歩等はできませんが可愛いくて癒されてます。

 孫の影響により、昨年からメダカを飼い始めました。赤い緋メダカのペアが子沢山で今はその子供50ぴき以上、可愛らしく癒されます。水槽も3つに増え、家族にバアバはメダカのブリーダーと言われてます。

 


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相馬 良明さん

 

日頃から心がけている健康法

 日々の自宅周辺の散歩の外に、ウォーキングの会の世話役をしておりまして、隔週(昨年までは毎週)金曜日、主に地元(茨城県)周辺を自作のコースmapを頼りに皆さんと一緒に歩いています。距離は、7-8Km~10Km程度です。
 コロナ禍前までは、電車で出かけたり、貸切バスで他県へも遠征したりしていました。来年度にはコロナ禍が収まっていることを願って、また電車や貸切バスなどを利用する企画を練っているところです。

最近うれしかったこと

 ここ2年間ほど、コロナ感染予防の観点から、隣の千葉県に住む孫たち(今年中1(男)と小4(女))には会えておりませんでしたが、緊急事態宣言が解除になった今月初めに、久しぶりに会いに行くことが出来ました。 
 わずか2年間ほどの間でしたが、随分成長したものだと、嬉しく感じました。
 この先、孫たちが成人するまでは、何とか元気にいたいものだと感じているこの頃です。

最近気になること、気が付いたこと

 数年前から足首や手指の関節などに痛みを覚えるようになりました。
 病院で診てもらったところ、レントゲンや血液検査に異常は見つからず、“加齢のせいではないか”と言われることが増えたと感じています。(若いお医者さんは、原因がよく分からない場合は、“加齢”という言葉を使いたがるようです。ですので、お医者さんの言うことはあまり信用せず、聞き流す程度にしています。)
 これからは“加齢”と長い付き合いになりそうです。

KDD時代の思い出

 入社して2か月の訓練の後、河内送信所に配属されました。
 河内送信所では新入社員はほぼ全員野球部あるいはテニス部に入部されられました。
 大会が近づくと午後3時には早期退社が認められて練習に励むなど、今では考えられないと思いますが、当時は両部の社内大会は大変な盛り上がり様でした。
 全国大会で優勝することが各局所の最大の目標であり、仕事より優先しているような状況でしたね。懐かしい時代でした。

その他

 退職直後にキャンピングカーを購入し、沖縄を除く全国各地を走り回りましたが、本年2月にエアコンが故障してしまい、修理には相当な金額が必要と診断され、やむなく手放しました。
 昨今のキャンピングカーブームを見聞きするにつれ、いまさら新品を買うわけにもいかず、一抹の寂しさを感じています。
(写真は、昨年9月に訪れた道の駅「川場田園プラザ」および日光戦場ヶ原でのもので、最後のキャンピングカー旅行となりました。)

 


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沖 和美さん

 

日頃から心がけている健康法

 いつの間にか私の健康法となっているのは“バレエ・ストレッチ”です。
 40才台半ばから始めました。 
 30才台半ば(球技とか偏った部分のみでなく)体全体を均等に動かせるものと 思い(ダンスが好きだった事もあり)ジャズダンスを習い始めました。そしてバレエに変更したきっかけは一緒にレッスンを受けていた友人に良い先生がいらっしゃるのでと勧められ、 場所もその時の職場(目黒ビル)から近かった事もあり、この歳からバレエ??と思ったのですが 関心もあったので恐る恐る始めました。ストレッチが主で、丁寧なレクチャーで徐々に慣れてきました。
 大阪勤務になった時も(様子が分からなかったので)阪急デパート内のカルチャーのクラスで続けました。
 東京に戻ってから自宅近くのカルチャーに移り、並行して“ジャザサイズ”というのも体験しました。アメリカン・ヒットチャートの曲にあわせジョギングのような動きで飛んだり跳ねたりという動きはいつも体を柔軟に キープしたいという私の目的には合っていませんでした。それに引き換えバレエは科学的に分析された人間の体の構造やこの様な所に力を入れているとこの辺りに 筋肉がついて醜くなってしまうというような大変参考になる説明もして頂けるので(人間の体は必ずしも対称的ではないが) 体の歪みを考えたり、自分のその時の体調と相談しながら続けています。

 使用する用語はフランス語ですがこの基礎原理はイタリア発祥と聞いています。
 そしてこれを考え出した人々、国民というのは素晴らしいといつも感心しています。
 ゴルフの前日なども打ちっぱなしへ行くよりはストレッチをした方が好調でした。
 そして何より気に入っているのは美しい音楽を聞きながらどのようなしぐさ・ポーズが見た目に美しく見えるかにも重点が置かれている事です。 特に現在指導して下さっている先生は、レッスンの最後に少し練習する“振り”にバレエお馴染みの曲はもとより、その時期に合わせた曲(X’mas にはくるみ割り人形とか)を取り入れて下さっていることもうれしいことです。

 ただ、今はさすがにハードな面もありいつまで続けるか迷いながら(やめてもこのまま体は硬くなってしまうし・・・ と思いながら)続けています。

 


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 鈴木健二さん


 皆様、ご無沙汰しております。

 1976年から2000年3月まで、KDD研究所に在籍し、通信プロトコル、データ通信システム、ソフトウェアや通信システムの製品検証などの研究に従事し、子会社であるOSIプラス社の立ち上げ、発展に参加した鈴木健二です。
 2000年4月からは沼津にある通信システム開発のベンチャー企業に参加し、2002年12月からは、有限会社ケニスブロンを立ち上げ、通信とコンピュータに関するコンサルタントとして、国内外の企業のサポートをしてきました。
 この間、2005年11月から2011年3月までは、電気通信大学情報工学科の教授を務めましたが、退任後は、ケニスブロンに戻り、コンサル事業を続けています。

① 日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方、

 私自身、自由奔放な生活を送った学生時代、オランダ留学、ヨーロッパ放浪の経験、ならびに、真面目になって、勉学と研究に励んだ大学院時代やKDD研究所時代を経る中で、私としては、一つの夢が出来上がりました。自分がやりたいことをやれる時間はそんなにない、自分のやりたいことがあれば、それを大事にしよう。この考え方は、今も続いています。そのため、自分で作った会社は一人会社にし、従業員は雇っていません。何事も自分で決め、行動したいからです。大きな仕事をする時には、協働できる従業員のいる会社とチームを組んだり、最近では「類は友を呼ぶ」というか、同じような一人会社の責任者達とタッグを組むことが多くなりました。外国の友人達とも、密に連絡しており、やりたいことはやれています。最近のコロナ感染症の影響で、海外・国内旅行はなくなり、飲み会やゴルフの回数は減りましたが、一人でできる山歩きもしますし、川や海で釣りもします。また、庭作業、家庭菜園もやっています。   

② 最近、うれしかったこと。

 うれしいことは一杯あります。3歳、1歳の孫がビデオ通話で私を識別でき、レスポンスをくれること。母が101歳の誕生日を迎えたこと。7月28日の土用の丑の日、今年もまた例年通り、自分が釣ったウナギのかば焼きを食べたこと等々です。

③ 最近気になること、気づいたこと

 やはりコロナ感染症の影響が大きく。外出の機会がものすごく減りました。かつては、電車やバスに乗らず、毎日、10km近く歩いていたのが、今はほとんど車での外出。1日、1km歩くことがない日もあります。夜の10時過ぎ、慌てて、外に出て、川沿いの遊歩道を歩くことも多い今日この頃です。
 気づいたことでは、世の中には、一芸に秀でている人が多いことです。スマホで撮った写真を手持ちのプリンタソフトで印刷した時、スマホ画面の端に映っている部分が印刷されず、困りました。そのことを懇意にしている若手研究者に話したら、その場ですぐ解決策を教えてくれました。自分で解けないことができたら、知っていそうな方に聞いてみることが必要だと思います。

④ KDD時代の思い出

 私の在籍したKDD研究所は、その所在地が恵比寿から上福岡に移動しました。入社以降、研究者として、いろんな課題に対応してきた若い時代を過ごした恵比寿、研究管理者としての時間が長い上福岡を比較すると、恵比寿時代が、とても華やかで、懐かしく思います。特に、データ通信の黎明期に、VENUS-Pのサービス開始を目指した皆様の生き生きした姿が忘れられません。


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金坂祐爾さん
(昭和38年入社)


近況など

①フレイル予防策と日課

体のあちこちで故障・機能低下だが、a)毎日適当な時間にTV体操(1週間分の録画を2ヶ月毎更新)。b)週二回各60分前後の速足ウォーキング。c)食事は腹九分目。アルコールは夕食時ほろ酔い初期程度。d)屋上ミニ菜園の世話。今は茄子と隠元の収穫がピーク。e)家事手伝い。あとはWeb上を気ままに散歩。

②認知症防止策

昨年春、放送大学全科6コースを14年かけて卒業、永らえばこその目標達成。その後は選科コースを更新、好みの数科目だけのんびり。

③嬉しいこと

「大谷翔平 申告敬遠2つ含む3四球、苦笑い」「藤井聡太棋聖が最年少タイトル初防衛、九段昇段決める」明るく只管感嘆讃嘆するニュース。

④気になること

コロナの動向、地球温暖化、専横国家、テロリズム(武器・サイバー)……。

⑤KDD時代

八俣送信所6年、大手町・新宿の施設局・網セあわせて28年間、沖縄支社2年弱。
各職場内・職務外でお世話になったよき上司・同僚・部下のあの方・この方との懐かしい思い出。お顔は浮かんでも残念なことにお名前がすぐには……。乞ご容赦。
写真は入社(s38)当時、八俣送信所調整室、休憩時の一コマ。背後は調整卓と監視盤。送信機室階下に行くとあちこちの変調トランスが数ヶ国語の国際放送を混ぜこぜに囁きかける。深夜の一人巡回は少しビビる。尚、もっじゃもじゃの髪はアフロでも鬘でもなくポマードが効かない縮毛。過去の自分にアンビリーバブル! 
現在は鏡を覗いて対照的にアンビリーバブルにつき写真添付取りやめ!(笑)。
でも老いの現実には素直に従うべきかも。  皆様お達者で。 

R3.7.4記

 

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 米寿を迎えて 

 

溝辺了恵さん

 

① 日常生活と健康

 現在ひとり暮らしですので、健康には随分気を使っております。13歳のトイプードルを飼っており、朝晩の散歩は欠かせません。お蔭で多くの犬友達ができました。
 これだけでは不足なので、一日一回は国立駅近辺まで出かけることにしていますが、猛暑や豪雨に阻まれることがあります。そんな時は、家の中でスクワットをより入念にやることにしてます。
 週一回近所の方と老人のための体操、約一時間をやっています。

② 仏像彫刻

 趣味で始めた仏像彫刻は今も続けおります。個人に頼まれて彫ることもありますが、寺院に奉納することもあります。
 東北大震災後、岩手県のお寺に奉納したこともありました。
 また、NHK学園で仏像彫刻を教え始めて、20年近くなります。2年毎に生徒さんの作品展を国立駅近くの画廊で開いてきました。今年も5月に第7回展を開催したのですが、コロナの中で見に来てもらえるか心配でした。でも例年の半分近くの250人もの方が見に来ていただき、みんな大変喜んでいます。無事終了してホッとしておりますが、最近うれしかった事の1つです。
 また、優れた仏像を拝観することは彫刻をする上でも欠かせないので、同好の士と仏像拝観の旅をしておりましたが、コロナのため、今は中止しております。京都の国宝修理所にも何度かお邪魔して貴重な経験をすることができました。 このように仏像彫刻に熱中できたのは、2人の大先生との出会いがあったからだと思います。実技面では西村公朝先生で、理論面では西川京太郎先生です。出会いの大切さを痛感しています。

 下記作品集をご覧ください。

③ コロナが収まってやりたい事

 ほぼ毎月、大学時代の友人と展覧会などを見て、一杯やる事にしてましたが、早く復活したいものです。
 好きな仏像や展覧会を自由に拝観できるようになって欲しいものです。
 次女がフランスにいるので、娘や孫達に会いに行きたいものです。

④ KDD時代の思い出

 思い出は尽きないのですが、一番鮮烈に記憶に残っているのは、次の2点です。

 宇宙中継の開始で、ケネディ大統領の暗殺の画像が飛び込んで来た時。

 国際電話の全自動化の開始。

⑤ 最近気になる事

1.SNSの普及についてです。自由な発言はいいのですが、いわれのない非難や中傷が善意の人を傷つけ、死に追いやる恐れもあります。これは自分の身元が分からなければ、何を言ってもいいと考えるためだろうと思います。これら無責任な意見をろ過する方法はないでしょうか。あるいは人間の性(さが)として諦めなければならないのでしょうか?

2.国防意識の欠如、日々のニュースを見れば誰でも感じていることと思います。

作品集

 

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 米寿を迎えて 

 

小室 圭五さん

 

この度は、米寿のお祝い、有難うございました。

 

堀井勉さん撮影
(2014年度コンテスト作品)
 

これまで大病にもかからず、一昨年から一病息災(心房細動)で過ごしております。
最近になって、いくつか残っていたお役目からも解放していただき、あと一つ、日本アマチュア無線連盟の参与というのが残っております。

私の過ごしたKDD時代は、短波無線通信から始まって光海底ケーブル通信まで、数字で見ると、ものすごい変化の時代でした。一生にこれだけの変化に会えるというのは稀有のことと思い、有難く思っています。
通信速度は、短波モールス信号の数10wpmから光信号の数10Gbpsまで、
使用周波数は、短波の数MHzから光通信の数10GHzまで、
使用高度は、+35,786kmの静止衛星軌道から ―10,000mの太平洋海底ケーブルまで、
ということになります。

ここまで来て、新型コロナウイルスというものに出会うとは、夢にも思いませんでしたが、何とか乗り切りたいと思っている今日この頃です。

 

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入江 正さん

 

コロナの最中に運転免許証を更新しました。

身分証明だけが目的でしたが、これにより認知症(一番の心配事)、動作能力、聴力、視力がOKとわかり、日常生活に自信がもてました。

願いはピンピン、コロリです。 

島崎陽子さん撮影(2019年コンテスト応募作品)

 

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永田 秀夫さん

 

自分が米寿とは、一瞬疑いましたが確かに数え歳ではそうなります。

 

宮内美耶子さん撮影
(2015年度コンテスト作品)
 

いまは鋭意終活中ですが、ことはなかなか進みません。

受動喫煙COPD(昔はどこでもタバコの煙だらけ)で日常の肺活量がほぼ半減し ていますが、毎朝晩軽い体操をする、時には下手なゴルフやテニスを、また この十年来、近隣の仲間と防犯パトロールで歩くことなどで、身体はなんと か少しは動いています。

最近感じるのは社会の変化で、このようなディジタル時代の到来は予想でき ませんでした。またいまはキナくさい匂い動きもあり、小学生の時が戦争中 だった当方には、人間はなんと懲りないものかと思われてなりません。

一昨年、ルンドバーグ氏(当方がインマルサットの理事会議長をしていた時 の事務局長)が娘さんと一緒に日本に観光にきた折、共に川越に行き、旧交 を温めたのは楽しい思い出です。  

 

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遠藤 實さん

 

 
鈴木進午さん撮影
(2015年度コンテスト応募作品)

昔のKDDコーラスの流れをくむ小さな合唱団とICUグリークラブOBを中心とした中程度の合唱団の2グループに参加し、合わせて週1~2回の練習会で、思い切り歌った後、気の合った仲間たちと一緒に一杯やって楽しむ、というのが我が健康法で、お陰で大過なく米寿を迎えることが出来たと思っています。

ところがここに来て、新型コロナの大騒動で、3月以降この健康法が全然使えなくなり、外出も近間だけの買い物、郵便局、銀行、歯医者程度で、後は家に閉じこもり、只管コロナの早期終息を祈りながら過ごしています。  

 

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 喜寿を迎えて 

 

 中村宣洋さん
(1944年9月14日生)

 

 人生五十年の時代には古代稀なる七十歳に大きな意味があったのでしょうが、今、喜寿といわれる年を祝って頂き複雑な気持ちです。
 高齢の方々におめでとうと言われるのは抵抗なく受け入れられるのですが超高齢化の中で社会全体の人々からはどう見られているのか ??
 通過点年齢のお祝いですので個人的には次の通過点を目指します。
 健康に対する特別なことはさしてやっていないのですが、退職後は遊びを中心に好きなことを無理なくやってきたのが、ストレスを抱え込まずここまで来たのかなと思います。
 日ごろの出来事には「日々是好日」の気持ちで、晴れれば喜び・雨降ればそれを楽しむように努力しています。
 気が付けば、両親がこの世を去り兄弟が永眠する時を迎え、今まで無関心だった宗教に関心がわいてきました。
 特に宗派に関心はないのですが「仏教」の教えに興味があります。
 般若心経が教える、色即是空 空即是色 の言葉は、最新宇宙物理学が説明する宇宙理論に似ている?など興味津々です。(この世はすべて空であり、空が形あるもを構成している ??)
 後期高齢者の仲間入り以降、自身の墓のこと等死後のことも気になり始めていますが、気に入った歌を披露します。
 室町時代の有名な禅僧・一休禅師の歌です。
 「生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も」
また別の歌に

 「行く水に 数書くよりもはかなきは 仏を頼む 人の後の世」

というのもありました。
死後の世界での幸せではなく、生きている時の幸せを願い、ピンピンコロリとまでは云わないがそれに近い生き方ができるよう、仏さまにお祈りしようと思います。
KDD時代の思い出は、大阪入社に始まり人事部、最後は共済会で終わるまでいろいろありましたが、日本経済が上向きな時代だったこと等から「概ね良」の記憶が残っています。
とは云え、公私にわたり人に言えない苦難もありましたが、ここでは無言。
「浄瑠璃の鏡の前」に出てからすべて閻魔大王に報告したいと思います。? 

 

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塚田 一幸 さん
(1944年9月14日生)

 

 仕事から退いて14年目。喜寿(数え77歳)を迎えた。この度k-unetからの依頼により、退職後の生活スタイルの一部を振り返ってみることにする。

 ① 75歳は退職後人生の転換期

 昨年、満75歳になったが、この75歳というのは、私の老後の人生における大きな転換期‘(ターニング ポイント)であったような気がする。

(ⅰ)健康保険証の切換え

まず一番インパクトがあったのは、健康保険の変更であった。75歳を期にKDDI健康保険から自動的に後期高齢者保健に変更されたことである。

 退職後は1年半から2年おきに人間ドッグを受診していたが、KDDI健保ではこれに対し補助金を給付する制度があり、これまでも家内ともどもありがたく利用させていただいた。昨年はこの制度を利用する最後の機会であるので、早めに予約をとり、昨年2月に受診した。その結果いくつかの再検査事項が見つかった。自覚症状がない疾患であり、6月に入院・加療を受け、一週間ほどで無事退院できた。自分にとっては意義あるKDDI健保を利用しての+人間ドッグ受診であった。

 ちなみに退職後のOBに対するKDDI健保の特例保険は、大変ありがたい制度で、このことを他社の友人たちと話題とするとおおいに羨ましがられた。

(ⅱ)運転免許証の更新

つぎにインパクトがあったのは、運転免許の更新である。ご承知のように70歳以上では事前に運転講習の受検が義務付けられているが、75歳以上ではこれに加えて、認知症テストが課せられる。久しくテストなるものを受けていないので幾分のプレッシャーがあった。幸いテストの中身内容は県ごとにネット上で公開されている。これに目を通しておいたおかげで、本番では上々の出来栄えであった。

 ここ数年、高齢者の運転に厳しい目が向けられており、自分の周りにはすでに免許を返上している方達が増えている。自分の場合、次回更新時は78歳であるが、更新か返上かは、その時点で判断する。今のところ五分五分である。

② 囲碁講座

 退職後にすぐに始めたのが囲碁講座の受講である。囲碁は学生時代に覚え、KDD入社後もすぐに囲碁部に入部した。会社現役中も囲碁を打っていたが、いつかは一度しっかり勉強したいとは思っていたこともあり、2007年の3月末に退職し、5月から日本棋院の囲碁講座(高段者コース)に入会した。

 月4回、講師のプロ棋士の久保6段、(のちに林子淵7段)河野光樹7段から指導を受け、棋譜解説、布石、、中盤の打ち方、手筋、詰碁、指導碁などを学んだ。 この講座に通いだして4年半たったころから少し手ごたえを感じるようになった。入会時では5段格で打っていたが、講師のプロ棋士に4子の指導碁に連勝したり、また受講者同士の対局やその他の対局でも8割以上の勝率をあげるようになった。 そしてある時、講師であるプロ棋士から6段で充分打てますとお墨付けをいただいた。石の上にも3年というが、私の場合は4年半ということになろうか。

 この講座には通算5年半通ったが、充実した時間であった。講座受講はやめたが、今でも囲碁は続けている。思えば口座に通っていたこの時期が一番強かったかもしれない。

 

③ 囲碁合宿

これも囲碁に関することであるが、KDDI囲碁部合宿について紹介させていただく。

 ご承知のようにKDDはDDI、IDOと合併したが、合併相手のDDIにも囲碁部があったことから、両者の囲碁部関連者同士が相談し、新会社KDDIでも囲碁部を設置しようということで合意した。この合併後の囲碁部では、月一回の例会と年2回の囲碁合宿を主な活動とした。  特に囲碁合宿は特筆ものである。合併前のKDD部では合宿は行っていなかった。 新会社の囲碁部では、合宿を年2回開催することとし、場所は秩父(小鹿野町)の旅館「越後屋」とし、2007年から春・秋(いずれも土・日)に実施してきている。翌日の日曜日には任意参加で近くのゴルフ場でゴルフを楽しんでいる。  この囲碁合宿には毎回プロ棋士の川村八段(日本棋院関西総本部)に参加いただき、指導碁、棋譜解説、詰碁などを指導していただいている。を鍛えていただいている。川村八段の参加により、本合宿は大変充実したものとなっており、おかげで13年連続の年2回の開催を達成している。実は、川村八段の子息がKDDIの社員であることから、このような関係を築くことができた。感謝申し上げる。  合併を機に、KDDI囲碁部を発足させ、当初はDDIをはじめ、他社出身の方達も参加いただいたが、気が付けばいつの間にか旧KDDの出身ばかりとなっている。  

 また、囲碁部も高齢化が進み、若い社員の入部勧誘もうまくいかず、この先多難である。

④ ゴルフ

 退職後の人生において、ゴルフは大きなウエイトを占めてきた。退職に合わせて、自宅から比較的近い入間カントリー倶楽部のゴルフ会員券を入手した。現役時代に入手した錦が原ゴルフ場と合わせ、この二つのゴル場を中心に、年間30~50回くらいラウンドしてきた。ゴルフでは社内外の多くの人達とプレイでき、また新たなゴルフ友達もできたりして、新旧を問わず、多くの友人との交友を楽しんでいる。生活リズムの一部にもなっている。退職直後は、上達を目指した時期もあるが、今では飛距離ガタ落ち、スコアを意識せず、気楽にプレイする「健康ゴルフ」に徹している。健康維持のためこれからも続けるつもりである。(ひょっとして人生5回目のホールインワンを達成するかも!)

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山本 隆臣 さん


<近況など>

昨2019年4月にKDDI退職後16年間務めたソフトウェア会社の常勤監査役を退任しました。2月に後期高齢者になっていたので、丁度良いタイミングだったと思いますが、その背景には一昨年にパーキンソン病を発症していたという事情もありました。幸い良い薬があり、症状をかなり軽減できるので、今のところ日々の生活にさほど不自由はありませんが予断を許さず、新型コロナ対策にも留意しながら、医療技術の進歩を願いつつ適切に対応していく必要があります。当面は散歩・運動と庭仕事そして家事手伝いを主な日課として、のんびり過ごしていきたいと思います。

<KDD時代の思い出>

 30歳から6年間インテルサット事務局財務部へ出向し米国勤務をしたこと。財務課長時代に第3太平洋海底ケーブル計画で財務委員会共同議長を務めたこと。様々な業務を通じて30数ヶ国・地域へ出張したことなど…。

 

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 野村 幸男 さん


① 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 

初めての小玉スイカの
収穫目前でにっこりする筆者
 

快食、快眠、規則正しい生活、毎日6㎞前後のウオーキング、菜園作業、パソコンによる各種作業等。

② 最近うれしかったこと

特になし   

③ 最近気になること、気が付いたこと

自身:体力の若干の低下、後で思い出すがとっさの氏名、物の名前が出てこないことがある

世間一般:日本(限定)の未来を憂いている。未来志向のない現政権の傍若無人対応、新型コロナ等対応の国民感情との大幅な乖離、また、最近の高齢者並びに若者の自己中心のわがままや思いやりの欠如

④ KDD時代の思い出

定年までに本人の意思に関係なく転籍を含めて数社転職しているが、組織、体制、給与、福利厚生、社員の資質等KDDに勝る会社はなかった。

特に衛星通信に関与したくKDDI入社希望し、初配属先が商用を目指していた茨城、山口衛星通信所の建設を担当する衛星建設部で、色々苦労はあったがすごく充実した毎日だった。また、東京から大阪経由宮崎までの自前のマイクロ波伝送路の建設には縦割りの組織での軋轢が問題であったが、社内横断的な組織としてマイクロ波建設室を構成し、担当者との融和を図り問題なく完成できたのも大きな喜びでした。その他中央局の電源設備の建設など多くの工事にも関わり転職先での建設にも大いに役立ちKDDには大変感謝しています。

 

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 関戸 芳二 さん


いつの間にか喜寿を迎えるとは、まだKDDの新入社員の頃からほとんど時間がたっていない気分ですので、晴天の霹靂ですが、鏡と手足を見れば時のうつろいを認めざるを得ません。

① 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

十数年過ごしたロンドンを引き払い、岡山の里山で隠遁生活をしていますが、登校不安定な孫3人の見守り以外は予定も責任もないストレスフリーの毎日で、健康不安は今のところありません。気ままな素人農業ですが、夏は草刈り作業が尋常でないので、毎日汗をかいてます。現役の時は忙しい中で連日運動していましたが、今や時間はいくらでもあるのにほとんど動かなくなりました、たまに自転車を数10キロ走るくらいです。

② 最近うれしかったこと

もう一年ほど過ぎてしまいましたが、岡山在住の澁野日名子が全英オープンゴルフ優勝など大活躍しました。岡山県民のひとりになれたのを幸い、次なる飛躍にワクワクしています。今だに優勝ビデオを見てなごんでいる毎日です。  

③ 最近気になること、気が付いたこと

連日コロナと災害のニュースが続いているので、いよいよこの地球も終わりかと大げさに考え込んでます。

④ KDD時代の思い出

ほったらかした写真や思い出の整理をしようと意気ごんでいましたが、全く手つかずです。不慮の航空機事故に遭った永田君との思い出写真も出したり引っ込めたりで進みません。不義理をしている皆さんとの思い出も、ぼけないうちに何とかしないと。

⑤ その他

しばらくノートパソコンが不調で、ついにログイン画面が出なくなり、最後の頼みでWindows10インストールUSBを作成するために格安中古パソコンを手に入れ、見事修復に成功しました。はからずもパソコン2台が気持ちよく動くことになり、長いことスマホだけで充分と思っていたことが嘘みたいです。k-unet も身近になります。

 

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米寿を迎えて

 

吉田 恒男さん

 

健康法
食べ過ぎず、飲みすぎず、22時就寝


嬉しかったこと
この6月、ヨットクラブの仲間17名が私の米寿祝賀会を開いてくれた。

 

気になること
最近トランプさんがまだ戦争状態にある北朝鮮との国境線を超えたことが話題になったが、私はKDD入社直前まで朝鮮動乱で、米軍が主導する呉の進駐軍通信隊へ派遣されていたが、未だあの戦争は終わっていないのか。日本でも「後方支援」が問題になっているが、あの時私は一体何をしていたのか、通信は戦争の中枢の仕事ではなかったのか。胸が痛みます。


KDD時代の思い出
若いころ、大津に下宿し、大阪駅前の分局で17~23時時の夜勤をして
いたが、毎日午前中は琵琶湖で小型ヨットの練習をやり、一寸足(?)を止めて湖底を探ればシジミがいくらでも採れ、夜勤の食事にシジミ汁を作って皆に喜ばれた。

 

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細井 敏夫 さん


健康法、過ごし方
5年ほど前家内を亡くし今は一人暮らし。他に頼らず、出来るだけ規則正しい生活をすることそして、地域の同年輩の人達と交流することなどです。幸い地域の行政区区長代理約10年、老人会会長10年、地元の寺世話人などを務め様々な人たちとの交流があり有難いです。


最近嬉しかったこと
今年7月久しぶりに孫に誘われ熊野古道を歩いたり、尾瀬を歩いて最後に山の鼻から鳩待峠迄1時間で登り体力を再確認したことです。


最近気になること、気づいたこと
矢張り年と共に忘れっぽいことです。したがって、懸案事項はすぐやることです。


KDD時代の想い出
さまざなことが思い出されます。電気通信省時代を含め東京国際電報局運用部門10年。営業部門6年。総務部門5年。再び運用部門1年、総務部門数年。加えて本社2部門4年、その後東京国際電報局に戻り数年、関連会社3年ほど。在職中は様々な人に助けられお世話になりました。あえて思い出と言えば当局国際電報局販売課主任の6年間だと今でも思っています。あの膨大な仕事量、トラブル処理、社内外部との交渉、取りまとめ等そしてあの時代の仲間と思っています。そして、地域活動を行う上でも今も役立っています。
私はKDDに40年と勤め良い人生を過ごしたと今でも思っています。


その他
なし。

 

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高田 正之さん

 

日頃心掛けている健康法
朝、夕近くの公園へ出かけ簡単な体操をしています。
日々の過ごし方、極力不平を言わず、なりゆきにまかせるようにしています。


最近嬉しかったこと
運転免許証の返納を決めたが、それに家族が理解、賛成してくれたこと


最近気になること、気が付いたこと。
80歳台も半ばを過ぎると、急に体力の衰えを感じるようになったこと。


KDD時代の想い出
短時間制社員の職場が長く、一時統括的な仕事をしていましたが、
社員の中に「岡田君」という神戸外大の学生がいました。途中大連の大学に留学、帰国後 最後の「電話科制」の募集があり合格一般社員として戻ってきました。しかし短期間勤めた後退職,外務省へ転出しました。
しばらくすると、何と中国から来た首相クラスの高官が、宮中で天皇と会見する席で(その後も含め)何度も通訳としてテレビ画面に出てきました。
私は懐かしさと、すごいなと思うばかりでした。

 

 

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喜寿を迎えて

 

上村 新八 さん

● 特に心がけておられる健康法、日々の過ごし方
特に心がけている程の事ではありませんが、起床時に10分程度のストレッチを行い、その後、マグカップ1杯の水を飲む事、及び軽く散歩を行う程度です。10年程お世話になったスポーツクラブ等のメンバーは体力的に過負荷となり、2年前にやめました。

● 最近うれしかったこと
9月初めに、東京ビックサイト南ホールにて開催されたハムフェアでKDDハムクラブの皆さんとアイボールを行い、その後懇親会に参加、大変楽しい一時を過ごせたことです。やはり、KDDOB及び仲間の方々とは「位相」が合うのでしょう。

● 最近気になること,気づいたこと
最近は「地震」や「異常気象」での災害が多く気候変動もその原因の1つではないかと考えさせられます。特に異常気象による災害は心が痛みます。温暖化対策が急がれます。

● KDD時代の思い出
新入社員時代の上福岡受信所の短波業務、東京国際回線統制局時代のクロスバ交換機の運用保守、国際公務員としてのタイ国バンコック駐在、本社保全部、運用部での政府ODA供与のための2度に亘る国際公務員としてのアフリカ(ジンバブエ)出張、No.6/No.7信号方式改変や国際電話網拡充、多くの海外出張と言語に悩まされた6年半に及ぶFINNA副議長・議長担当、KDD-SCS時代のインドネシア(ジャカルタ)・イタリア(ナポリ)赴任等多くの先輩・同僚・後輩の皆さんに支えられて如何にか職務を遂行できたことを心から感謝しております。

● その他
日々の生活は、1961年4月3日交付されたコールサインJA1HODを使用した、アマチュア無線を楽しみでおります、特に今は、外国との交信でなく、国内交信ですが、昨年には日本国内814の市(含む20の政令指定都市175区)及び380の郡との交信が完了しまして、現在は930の町村との交信完了を目指しておりますが、残り約20町村との交信が未了です。
以前使用していたアンテナタワーでなく、また、大型アンテナでなく、ワイアーアンテナ(ダイポールアンテナ)のみで勝負をしています。それ故、特に過疎地町村との交信は至難です。交信の95%はモールス符号によるものですが、最近はインターネットや携帯電話の影響からか、ハム人口も1/3程度まで減少したことや、ましてモールス符号による交信が激減しています。今はパソコンによる送信でなく、健康を考慮して、すべて指先を使う手送り送信ですが、声を出す電話の交信も健康に良いのではと考えております。
 3年前に自分専用の車を手放しましたが、昨年9月に必要な手続きを経て、免許証を更新しました。日常は電動自転車で活動しておりますが、今、「返納」は考えておりません。妻が最近新しい車を購入したため、また専用の車が欲しいと思っております。

最近の撮影です。自宅の無線機の前で!

 

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田中 成欣 さん


● 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方
健康法としては週1回のゴルフおよび週2回のジム通い
ジムではヨガ、ピラティス(ストレッチ)をスタジオで行うとともに筋力をつけるべく器具も用い鍛錬している。

● 最近うれしかったこと
今年5月18日に金婚を迎えたが、息子2人、嫁2人、孫3人が横浜で食事会を開いてくれるとともに、ハプニングとして、写真館でドレスアップさせられ私は金色の地のフォーマル、家内はドレスで記念写真を撮ってもらったこと

● 最近気になること、気が付いたこと
国内総生産(GDP)のこの20年の伸び率が日本はマイナス0.9倍、かたや中国18倍、インド6倍、米国2倍となっている。人口減少、高齢化という問題を差し引いても気になる数字だ。デフレが大きな要因だが10月には消費税増税とさらにデフレになる政策を政府(財務省)が実施している。
孫の世代が心配だ。

● KDD時代の思い出
  財務課長時代にKDD初の公募増資に参画出来たこと。

 

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醍醐 昭弘 さん

● 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方
毎日、定期的にジョギングその他の運動もせず気のむくままに過ごしている次第です。
強いていえば、月2度ぐらいの低山のハイキング、歩こう会等々への参加はしておりますが、最近ややさぼり気味。また、会社時代の仲間および卒業した川越いきがい大学の仲間との飲み会に参加し大笑いしている状況です。

● 最近うれしかったこと
数えきれない程の喧嘩をしながらも、平成31年3月に金婚式を迎え、元気に過ごせていることをありがたく思っております。

● 最近気になること、気が付いたこと
自分もフル活用はしていませんがスマホは持っています。ただ、電車の中からホ-ムおよびエスカレタ-に乗りながらもスマホを継続操作している姿をみると、スマホ病に思え、目、首へ悪影響がないのかと余計な心配をしています。また喫茶店でも若いペア-が話もせずお互いにスマホをいじっている光景は人として何か寂しさ不自然さにみえるのは小生の歳のせいですかね。

● KDD時代の思い出
2020年に東京オリンピックを迎えます。昭和39年の東京オリンピックの時は、小生はテレックス端末の保守の仕事をしていました。この関係で国立競技場およびその近くの外国通信社、新聞社の集まっているプレスセンタ—に設置された端末保守担当ということで、競技場も腕章だけで出入り自由の身分でした。休憩時間を利用し開会式を見られたことが大きな印象として残っています。

● その他
昨年、残念ながら亡くなった同年齢(学年はひとつ上のようですが)の女優の樹木希林の言葉を借りれば、「一切なりゆき」「今日までの人生、上出来でございました」という人生になるよう気楽に過ごすことにしています。

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原田 建夫 さん

昨年6月に脊柱管狭窄症の手術を受けました。右脚に痺れや違和感を感じながら十数年テニスやゴルフを続けていましたが、遂に我慢の限界がきて、手術を受けました。幸い手術は成功し、今では普通にプレイすることができるようになり、また疲れも少なくなりました。テニスは週に2回、ゴルフは練習を含めると週に1~2回やっています。上手くなりたくてネットにアクセスし色々な情報を得て試してみるのですが、体力・気力が続きません。無理をせず出来る所までやれば、出来ない所はこの次やればよいと思うようにしています。また勝ち負けは気にせず自分の理想とするパフォーマンスに近づくのを目標にしています。現在の良い体調を維持したいので毎日1時間近く自己流のストレッチをやっています。

水彩画も描いています。自分が美しいと思う気持ちを表現するために色彩・濃淡を工夫するのですが、なかなか思うようにいきません。たまに思いがけず上手く表現すことができた時には非常に嬉しいです。上手く仕上がった作品を想像しながら工夫している時間は本当に心地良いです。

これからも健康で平穏な生活が続けられることを願っているこの頃です。

 

 

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桑山 晶次さん

いやはや、西澤さんからメールをいただいたときに、なんで小生に来たのだろうか、誤送信かなあなどと思いました。しかし良く考えれば年寿の祝いは数えでやるもの、ということは小生が喜寿であり、それでこのメールが来着したのだと気が付くまでにしばしかかりました。それではこのメール全文をご指示の文章としてご利用ください。

これまでに特段の健康維持のためのこともせずに過ごしてきましたが、気がつけば満76歳、まさかこんなに長く生きようとは、若いころには考えてもいませんでした。

昭和四十一年KDDに入社以来実に多くのことがありました。今となってはみな楽しい思い出です。そうです! 健康でいたければくよくよしないことでしょう。特に済んだことを気に病まないこと。七十年生きようが、百年生きようが、光陰矢の如し、あっという間につらいことも楽しいことも終わるでしょう。それまでいつも明るくいるのが大事、くだらんことにくよくよしないこと、これが小生の健康法でしょうか。そのため時には大好きなカントリーを歌ったり、山や川を訪ねたりして楽しんでおります。

 

 

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大場 尚文 さん

● 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方
フィジカルな健康のため多摩パワーテニス(http://wonder-city.main.jp/tptc/)を15年前に立ち上げ、週末、毎水曜日テニスを楽しむ。
SNS(https://www.meetup.com/ja-JP/The-Tokyo-Tennis-Lovers/)でメンバーを集め50人程、多摩市界隈の住人、10数名は外国人。
メンタルな健康のためには旅する仏、西、独、伊語など6,7カ国語を勉強中。
老化を出来るだけ減速するには頭と肉体は常に使い続けることが重要。 斯くして4時間睡眠、8時間テニスが可能となりました。 

● 最近うれしかったこと。
◎2年半、我慢した腰痛から開放されるため椎間板ヘルニア、神経根、椎弓板の4箇所の切除手術に成功。4人の外科医は夫々手術方法が異なるため米国サイトで研究、やっと優れた外科医を見つけることが出来た。
◎娘、紗論がトヨタR&D(日), テスラ(加州)からのオファー蹴飛ばし、ナイキ本社(Portland)の技術部門でナンバーワンに昇進。

● 最近気になること、気が付いたこと。
老化による防げる病気と防げない病気。Geriatricsを勉強中。  

● KDD時代の思い出
特にない。テレコム・ルーザーに興味なし。 社内結婚。UCバークレー留学、シドニー駐在。 

● その他
ハイテクの二十に世紀学会と経済関係の学会NBS(通産系、中小企業CEO)に所属。
セミナー、プレゼン、講師依頼、調査、ベンチャー研究、海外視察旅行を行っている。
Bitcoinで5千円が12万円になったので六本木のHappy hourを楽しんでいる。

 

 

 

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水野 行宏 さん

● 日頃心掛けている健康法、過ごし方
自分なりの健康法は、定番ながら、まずは栄養バランスの取れた食事、運動、健康診断の定期受診、加えて、脳トレのために出来るだけ新しいことに取り組むよう心掛け、次のことを励行している。
▶ 毎日1時間の速ウオーキング。
▶ エスカレータの使用を厳禁とし階段を使用。
▶ 歯周病予防のため半年毎の定期検診。
▶ 各種筋トレ。
▶ 脳トレ効果を期待して、唄三線の練習。唄で発声を、演奏で運指を、楽譜(工工四)で暗譜を、歌詞で琉球語の暗記をしている。
▶ サンゴ礁の海で、シュノーケリングによる心身のリフレッシュ。11年前(65才の時)にグアムでダイビングの免許を取得したが、その後バリ島でのドリフトダイビングの大事故に衝撃を受け、高齢も考慮して、現在はシュノーケルに切替え楽しんでいる。

● 最近、うれしかったこと
現在、琉球民謡伝統協会に所属し沖縄在住の與儀栄功師匠に師事。71才の時、沖縄の三線体験教室で、初めて三線と出会い即刻購入。73才から現在の師匠に師事している。
年1回、同協会開催の「琉球民謡コンクール」で段位の試験がある。昨年は新人賞段位に、今年は上位の優秀賞段位に何とか合格できた。
来年はさらに難儀な最高賞段位にチャレンジの予定。78才になる再来年は、不合格を覚悟しているが、出来れば教師免許へチャレンジ出来たらと儚い夢の夢を持っている。

● 最近気になること、気がついたこと。
個人的なことであるが、車の免許証返還時期を傘寿に合わせるか思案中である。
世界、日本において様々なことが起きており、種々感じることが多いが、ここでは記載を省略する。

● KDD時代の思い出
ゼロから立上げた次の新規業務で貴重な経験ができた。その後、新しいことへチャレンジすることに余り抵抗感が無くなり、やり甲斐と楽しさを感じる様になったことは、人生において大きな収穫であった。

▶ 新規業務の導入
①メッセージ交換システム(AUTOMEX)、
②インターネットアクセスサービス(ICAS)と米国における導入前のコンピユータ研修(TYMNET社)に参加、
③パケット交換システム(VENUS)、
④端末部門の若い社員達に対する衛星通信技術(1技取得)と英会話力の強化により、移動系の車載型衛星通信システム(Big Shell)を無事に新規導入、それにより、1988年のソウルオリンピック、1989年昭和天皇崩御、同年ベルリンの壁崩壊、およびチョモランマ登頂などのTV衛星中継を実施したことが思い出深い。

▶ 情報システム部で、KDDの営業、料金、販促および顧客情報の心臓部と言える業務情報処理システム(KIPS-1及び2)の複雑なシステム運用と情報データの処理、並びに夜間無人運転は難儀なことであった。しかし、マスコミ報道になる様な大きな事故も無く、大我なく主管業務を遂行できたこと、当時の上司並びに課員の方々の尽力に感謝している。

▶ TELEX CT-8型のクロスバー加入者線交換機の新規導入工事の実施。

▶ 新規業務の導入や諸問題を大過なく遂行できたことは、当時の組合労組の理解と協力によるものと深く感謝したい。 

▶ その他
KDDというポテンシャルの高い企業の中で思う存分、仕事をすることが出来たことは幸運であった。ご指導を賜わった上司、諸先輩、協力頂いた同輩、後輩の方々のお陰と思っている。

● 雑感
前述の琉球民謡伝統協会は、日本国内および海外(北米、南米、ハワイ等)で合わせて50の支部があり、総会員数は約1,500人、現在約20ある沖縄の民謡協会の中で最大の協会である。
師事する與儀師匠はその協会で副会長と三線師範を務めている。
思えば3年前のこと、新宿の京王百貨店で沖縄展が開催された際、三線を出展していた現在の師匠と偶然に出会った。
師匠は、元々、木工芸に携わっており、沖縄(宮古島)では珍しく原木から各種の高質な家具と三線を製作している。
沖縄展で師匠と、あれこれ話しをしている内、琉球民謡コンクール(段位試験)があるのでチャレンジしてみなさいと勧められ、ついその気になって現在に至っている。
その時、既に三線を2棹持っていたため、未だに師匠の作る三線は購入していない。
内々には、来夏、もし最高賞段位に合格できた暁には、師匠への感謝と自分へのご褒美として、師匠製作の三線を購入するつもりでいる。

指導に関してであるが、師匠が沖縄在住のため、
直々に指導して頂ける機会は都内での沖縄展開催の時(年5回程度)しか無いのがハンディである。
その他は、電話により師匠から唄三線の指導をして貰う方法だが不便を感じているが、つまるところは、只管、自身で粘り強く練習を継続することである。

師匠は、現地で與儀民謡研究所を開き地元中心に三線を教えている。これはボランティア活動で地元の子供達や若い人達への琉球民謡の継承に尽力されている。

ところで、琉球言語はユネスコで絶滅危機言語に指定されている。言語継承には難しい面があるが、師匠の民謡による琉球言語の継承は、その対策の一助になっていると思われる。

因みに、日本の消滅危機言語として、次の8言語・方言が指定されている。
アイヌ語,八丈方言,奄美方言,国頭(クニガミ)方言,沖縄方言,宮古方言,八重山方言,与那国方言、及び東日本大震災において危機的な状況にある被災地の方言。

もし、三線に興味をお持ちの方が居られましたら、都内の沖縄展を掲載した下記サイトをご覧ください。

沖縄展への出展(随時更新)
URL: http://www.cosmos.ne.jp/~m-mokko/

■写真は師匠と。
今年7月の沖縄展(府中伊勢丹)にて。

 

以上、お読みいただき、
「たんでぃーがたんでぃー」(ありがとうございました:宮古方言)。

 

 

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2018年度下期

このページでは米寿あるいは喜寿を迎えられた会員の皆さんに寄稿をお願いし、いただいたメッセージを掲載しています。

 

INDEX (お名前をクリックすると記事にジャンプします)


米寿を迎えて
天沼松次郎さん

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米寿を迎えて

 

天沼 松次郎 さん

米寿を迎えた7月末、地元の「夏まつり」で「血管年齢」を見ることができた。
 自治会の保健活動推進委員のコーナーで、高齢者が多数ならんでいた。検査器に右手をのせ、人差し指を中心に検査する。検出されたメモ用紙を見てスタッフともどもビックリ。「血管年齢は4X歳です(私の実年齢の1/2)。あなたの年代では良好な機能といえます」。以前にもかなり若いことは知っていたがまさかと。早速いろいろ調べてみる。「血管の硬さから導き出し、固くなるほど「血管年齢」は高くなる。血管には、酸素や栄養素をカラダの隅々まで届けたり、老廃物を回収する役割がある、血管が若々しく、しなやかな状態だと、血流がスムーズになって全身の代謝を促進しやすくなる」そうです。
 なるほど、朝早く起きて、野菜たっぷりの食事を作り、変形性膝関節症と脊柱菅狭窄症と診断されていながら、ドクターから指示された毎日3回のストレッチ体操を執拗にやり続けた結果だろうか? 月曜から金曜まで子どもたちの見守りを続けて7年。一日4千歩以上の歩行運動は結果を示してくれたのか?
 私の健康法と、最近になって嬉しいことの一つです。

毎年8月になると、この国の戦争と平和を考えます。
 先日、主宰している防災委員会が終わり、暑気払いにビール片手に語った私のむかし話ですこしもり上がった。戦前生まれはわたしだけ。自治 会長の女性は「戦争体験の語り部になって地域の子どもたちにも話してほしい」と持ちかけられた。「そんなこ
とがあったとは知りませんでした」と何人かは語る。
 終戦の年,1945年4月頃、国民学校最高学年で高等科2年の私は14歳。毎日60センチほどの樫(かし)の棒をもっての登校した。戦時中の小学校は本土決戦に備えて校舎の半分は軍隊の宿舎になり、校庭では毎日軍事教練が行われていた。リヤカーを戦車に見立て、弾薬を背にした兵士が「たこつぼ」から飛びだす肉弾特攻の訓練もやれていた。本物の銃剣をもたされワラ人形を突き刺す実践訓練をわたしもやった。そんな状況のなかで、わたしをふくめクラスの数人は軍曹殿から呼びだされ、直接の指導を受ける。ちょうど、ゴルフのバンカーショットみたいに、足を大きく開き、持っている樫の棒を振りおろす動作を黙々と繰り返す訓練。目的は「鹿島灘から上陸して侵攻してくる米軍が、野営しているテントに忍びこみ、寝ている米兵の急所を狙う。一人必殺」。まさに漫画チックといわれそうですが、今になっても何故だろう? もし失敗したらわたしはどうなっただろう? そんな疑問を何十年も持ちながら過ごしてきた。昨年、NHKスペシアルで「沖縄の少年護郷隊」の放映があり、沖縄の14歳の少年たちが多数犠牲になっていた事実を突きつけられた。先日「陸軍中野学校と沖縄戦・知られざる少年兵・護郷隊」ー吉川弘文館発行―の著書をしらべ判明するものがあった。それは沖縄戦が終了した’45年6月23日、本土決戦近しとみた日本政府は「法律第39号義勇兵役法」を官報で通知し「国民皆兵」とする義勇兵のレールを敷いた。そんな方針を立案して政府に提起した中心は、大本営、参謀本部、そして陸軍中野学校の出身者が中心であったという。「15歳以上を建前とし、14歳は志願兵とする」としている。当時、14歳のわたしも駆り出されることになった根拠があきらかになった。
 2年、3年先輩などは少年兵として戦線に赴いた。特攻隊として白い箱で悲しい帰還した先輩をこの目で覚えている。もうこんな体験を語る年代がすくなくなったと思い、思い切って話してみた。
 昭和史研究家の保坂正康氏は「戦争の行き詰まった軍のトップは学徒兵や少年兵たちを消耗品として犠牲にしていったことが、いま明らかになってきた」とこの原稿を書き終えようとした8月30日、NHKTV9時のニュースで語っている。もう決して2度と繰り返してはならない歴史の一コマでした。


喜寿を迎えて

 

石垣 英明 さん

人生下り坂最高!

 「人生100年時代」に直面し、喜寿の年齢に到達した私が、今思うことは、後半の人生をどう生き抜くかである。古代インドでは、生涯を四つの時期に区切って、それぞれの生き方が示され、人々はそれに従って生きてきたといわれる。四つの時期とは人生前半が「学生期がくしょうき」「家住期かじゅうき」で、そして後半が「林住期りんじゅうき」と「遊行期ゆぎょうき」に区分される。作家の五木寛之氏が「林住期」という本を平成19年に出版された。その本によれば「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第3の人生」のことである。「遊行期」とは、家を捨て死に場所を求める放浪と祈りの余生である。
 私自身の場合、65歳から80歳までが林住期と考えている。定年退職後、私は現在、以下の三つの道を歩んでいる。一つ目は、縁あって世田谷地域のシニア情報生活アドバイザーの仲間と共にNPO法人を設立して、シニアの方にパソコンを教える仕事について14年になる。二つ目は退職後、先輩が起こされたコンサルタント会社に就職して、イラク、モンゴルをはじめ途上国の開発援助の仕事ができたこと。三つめは、中央仏教学院で仏教を学び、平成25年に得度し、浄土真宗の僧侶になった。築地本願寺の参拝者に堂内接遇の奉仕活動を続けている。混声合唱団に所属して仏さまを讃える歌を通して伝道している。
 退職後のオマケの人生をどう過ごすか、あらかじめ準備をしていたわけでもない。ご縁があって、社会とかかわりが持てる利他の生活を過ごしている。人生下り坂最高といえる林住期の生き方ができることに感謝している。でも、何となくあわただしくて、自分自身を静かに見つめる時間がもてないのが実感で、そろそろ身の回りを整理し、いらないと思いながらしまってあるものを、思い切って捨てなければと最近思っている。
 「死は前よりしもきたらず」とは、吉田兼好の言葉である。死は前方から徐々に近づいてくるのではない。この後には「かねてうしろに迫れり」の言葉が続く。私たちが死を恐れ、それを意識の外に放置して実生活にうつつをぬかしているそのとき,死は背後に音もなく忍び寄ってきている。そしてポンと肩を叩いて「時間ですよ」と知らせられるのだと兼好は言っている。「死は前からこない」ということを、実感としてしっかり確認した上で、実生活をなげうつことなく穏やかに死を迎えることができたら最高、しかし思うようにはならないのが人生である。生かされていることに感謝し、そして今を大事に生きることが大切で、この瞬間・瞬間を大事にして、喜寿の後の人生を元気で生き抜きたい。


宮内 美耶子 さん

 喜寿、77歳、いつの間にか、たどり着いた ~ そんな気がいたします。
 これと言った大きな病もなく、健康でここまできましたが、全く無傷と言うわけではありません。
 もともと目が悪かったので、60代で白内障の手術を受けました。その時、緑内障を発症していることを知らされ、以来10年間緑内障の治療を受けています。
 70歳ころから、カメラに興味を持ち、写真教室へ通ったり、地元の写真クラブなどで活動しています。k-unetのアートコンテストでも、写真の部で入選したことも励みになっています。

 KDD時代の友人知人とは、「109の会」という電話局の同窓会お会いするくらいで、いまや、地元の写友との交流を深めています。
 これと言った健康法は、ありませんが、写真撮影に出かけるようになって、足腰が鍛えられました。歩くことが嫌いだったのに、カメラを持てば、歩くことが苦にならなくなりました。
 私は、こうして元気にカメラ片手に歩いていますが、最近は、主人(83歳)が、少々弱ってきまして、見守りが必要になっています。私も、いつまで、自由に外出できるか分かりません~今のうちという思いで、写真に傾倒しています。夢中になれるものがあるのは、本当に幸せです。
写真をということで、コレクションのアンティークビスクドールと一緒に自撮りしました。
100年たっても、いつまでも若くて可愛いドールに元気をもらっています。


2018年度上期

このページでは米寿あるいは喜寿を迎えられた会員の皆さんに寄稿をお願いし、いただいたメッセージを掲載しています。

INDEX (お名前をクリックすると記事にジャンプします)

米寿を迎えて
樫村慶一さん   岡田哲也さん  
 

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米寿を迎えて

 

樫村 慶一さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
いつのまにか米寿になっていた、というわけで、特別な健康法などはない。寿命というものだろう。その証拠に、腹部大動脈瘤の人口血管置換手術とか(みぞおちから両腿10cmまでの大動脈、腹を40cm切開)、右肺気胸で開いた穴が自然治癒せず手術で塞いだとか、総胆管結石除去を3回もトライしたとか、4年前には、胃がんを間一髪で内視鏡切除で切り抜けたなど、人一倍体には傷がある。この手術は、あと半年後で大丈夫と言うかかりつけ医を説き伏せてやったもので、たまたま2mmの早期腺癌があり、内視鏡でスプーンでアイスクリームを掬い取るようにして取り除いたもので、3週間後には普通に酒が飲めた。あと半年遅かったら胃袋3分の1か2は切除しなくてはならかった。だから、区役所で無料でやってくれる検診以外に、胃カメラ、血液検査、心電図、血管硬化度の測定などは健康保険で半年に1度はやるようにしている。ただ間違えてはいけないのは、あくまで早期発見のためであって、予防ではないことで、罹る罹らないはそれこそ運だと思う。かかりつけ医とは15年以上の付き合いなので、気ごころは知り合っているが、一般には、後期高齢者になると医者は、真剣にならない場合がある。いつ死んでも平均寿命以上なんだから、それが天命だと思えということだ。私はいつも、私にはその気持ちは絶対に棄ててくれと言っている。「俺は絶対に医者に掛からない」、なんて空威張りしている人を軽蔑する。家族のことを考えていないからだ。
最近うれしかったこと
去る5月に曾孫第2号が誕生した。男子である。7月1日に3回目の祥月命日を迎える妻が、わが子から曾孫第1号まで5人(子供2人、孫2人、曾孫1号)が全部お姫さまだったので、さぞや、男の子を抱きたかっただろうと思い、自分が抱いたミスター1号の産着に落ちる涙が止まらなかった。一丁前にお蚕さんみたいな一物がちゃんとついていた。曾孫1号は美形の面影があり、第2号はイケメンの相があり、贔屓目だけど、将来親の心配の種にならなければよいがと思っている。されど、この子達の将来には、自然界を始め国の内外に明るい材料が見当たらない。気象庁の発表通りなら40代までに大地震に必ず見舞われるだろうし、国防や国の経済、社会保障どれをとっても今より良くなる見通しが立たない。せめてあの世から見守るしかないのが、もどかしい。
KDD時代の思い出(アルゼンチンにいた時の話)
駐在商社や政府機関(大使館、当時の独占企業KDD,JAL、輸出入銀行、JETRO)のゴルフ好きが結成している「オンブー会」という会が毎月コンペを行っていた。1984年末にウルグアイのモンテビデオとプンタ・デル・エステ=東の突先(WTOのウルグアイ・ラウンドが行われた所)で一泊2ラウンドのコンペを行った。たまたま、その年にJALが成田~リオ・デ・ジャネイロ間直通路線を開設し、その記念に日本往復ビジネスクラス搭乗券を副賞に提供してくれた。このコンペで私が優勝しそれを頂だいた。現地企業の社長達は羨ましがった。当時の為替レートは1ドル250円くらいだった。日本往復のビジネスクラスは3000ドルくらいしていたので、約70~80万円くらいの価値があった。さらに、純銀のカップがついた。航空券で娘を一時帰国させた。現役時代から定年後を通して、こんな高価な副賞がでたコンペは2度となかったし、仲間や友人にも、こんな高価な賞品のでるコンペをした者がいないので、一生の自慢話として語れる思い出である。
その他のこと (戒名の生前受戒)
東京オリンピックが見られれば満90歳、卒寿になる。それまでは、なんとか行けそうな気がするが、その先は分からない。それこそ一番信じていない”神”?のみぞ知るである。最近は葬式に関していろいろなやり方があり、宣伝が姦しい。でも、妻と生前に墓を作ってしまったので、お寺さんが決まっているため、勝手には行かない。旧来形の葬式をせざるを得ない。でも、少しでも子供がいない次女のために、出費を抑えておこうと生前に戒名を付けることにした。自分で作った戒名である。さりとて、どんな形、文字でもいいというものではない。ちゃんとお寺が認めてくれなくてはならない。ネットで調べたり、宗派の戒律を調べた上で作ったのだから、お寺も承認せざるを得ないようにもっていった。それを今日確認した。葬式の時に付けるのと生前受戒(と言う)では10万円~20万円は安くなる。こうしておけば、死んだときにはお寺へのお経料だけですみ、葬儀は合理的な葬儀屋にやらせれば随分と経済的に上がるという寸法である。これからは、現世と冥途の両方の名前を背負って生きて行く。 と、こんなところで、長寿の広場欄へのコメントは終りです。
(妻の3周期と自分の戒名を決めた日、2018.7.1記)

 



岡田 哲也さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
  なるべく身体を動かす。
  妻ができなくなったので家事いっさいをしていると、そうなります。
最近うれしかったこと
  とくにありません。
最近気になること、気がついたこと  
  外交、政治、医療制度、介護、家内のことなどなど沢山ありすぎて答えられません。
KDD時代の思い出
  よき時代でした。
  電子計算機による初めての電報自動中継システムの開発に没頭できたことは
  生涯忘れられません。
その他 (どのような事でも)
  KDDの企業年金にはほんとうに助かっています。
  感謝しています。



喜寿を迎えて

 

浦野 義頼さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
早稲田大学大学院国際情報通信研究科GITSを退職後、特段のアクティビティを行ってきていませんでしたが、人生100年時代ということで、多くのシニアの皆様たちが活躍されているのを見て、もう少し、社会とのかかわりを持つことを大切にしたいと思っています。最近、中央大学の辻井重男教授が後期高齢者の世代ももっと光り輝く人生を送ろうと呼びかけられ、設立された『光輝会』に参加しました。
最近うれしかったこと
GITS浦野研究室の卒業生たちが、世界各地で、とりわけKDDIの各分野で活躍し始めていることです。因みに、その中の一人が、最近、TV番組で最新の研究成果を発表しているのを視聴しました。また、彼がKDDI総合研究所で業務・技術功績賞を受賞したとの知らせも届きました。
その他
私はKDD入社以来、退職するまで研究所勤務でした。昨年、旧情報処理研究室の関係者らとの懇親会をもちましたが、上福岡研究所の思い出話が多く出てきました。上福岡研究所の設立は昭和62年8月ですから、30周年にあたっていました。そこで、懇親会の名称をKFO30(仮称)としました。ということで、今年(2018)も8月頃、KFO31の開催を予定しています。当時の写真や資料を肴にして楽しい時間を持ちたいと思います。ご興味のある方はご一報ください。

 


塩野 正昭さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
特に、これっということはしていないのですが、
ストレスを溜めないようにはしています。  今年3月末で、今勤めている会社を退職し、やっと
自由な身になれます。サラリーマン生活57年間よく頑張ったと思っています。
  
これから好きなことをやっていこうかと考えています
(旅行、テニスに、ジム通いで身体を維持していこうと思っています)。
最近うれしかったこと
今年、娘の孫が成人式を迎えたこと、下の孫娘が高校を卒業し、獣医の専門学校で勉強することぐらいでしょうか。
元気に育ってくれていることが一番嬉しいですね。
最近気になること、気が付いたこと
  日本の社会が、何か変な方向に行かないか心配です。
  世界的な立場も薄らいできているようですし・・・
KDD時代の思い出
長年に亘りいろいろと勉強させて頂きました。
特に、旧KDDを早期退職し、旧IDO携帯電話事業に関わることが出来、さらに3社の合併により現在のKDDIにまた戻ってしまいました。
しかし、auとしての携帯電話の基礎事業に携わり、現在のauとしての基盤を築いて来られたことが最高の思い出となっています。
その他 (どのような事でも結構です)
 妻と二人で、健康を維持しながら、これから先を楽しみたいと思っております。

 



山本 昭男さん

喜寿を迎えるにあたって
 喜寿は77歳のことであるが、長寿関係の祝いは、数え年でするのが、習慣となっているとのことで、小生も今年k-unetで祝っていただくこととなった。
 最近読んだ本「Life Shift」(100年時代の人生戦略)によると、人間の平均寿命は、1840年以降10年ごとに2~3年のペースでほぼ直線的に伸びている。しかもこのペースに今なお減速傾向が見られないと書かれている。これによると今年喜寿を迎える世代のうち半数が85歳~90歳に到達すると推測される。
 10数年前、大病を患い、奇跡的に助かって以来、家族、担当医師等に感謝しながら毎日を大切に過ごしてきた小生にとっては、さらに10年の時間は大変ありがたいものである。今後もこの感謝の気持ちを持ち続けながら、できるだけ社会のお世話になることなく、楽しく元気に過ごせるよう計画的に生きていきたいと思っている。

 


巻田 文男さん

喜寿を迎えて

 去年暮れまでは、朝夕に1時間以上、犬と一緒に散歩を続けてきたので、運動が自然にでき、癒されていた。ところが、相棒の犬が15歳で逝ってしまい、生活にいささかの空虚感が生まれている。これまでになく、日々の心身の健康維持をどう図ろうかと考えさせられている。
 「下手な横好き」のゴルフをもっとやろう、パソコンでの作業は認知機能の維持に良いと一人合点して、もっと続けようと思っている。実際、家にいる時にはパソコンの前で多くの時間を過ごしている。ゴルフとパソコンに関心を持ち、かくも好きになったキッカケがKDD時代にあって、忘れ難い思い出となっている。
 ロンドンへ出向することになった時である。「ゴルフ発祥の地へ行くんだからゴルフを始めてこいよ」と先輩からクラブ3本をいただいた。そして、イギリスでゴルフが身近で安くプレーでき、それまでプレーもせずに嫌いだったゴルフが好きになって、今に至っている。その先輩の有難い3本のクラブのお蔭であった。
 5年ほどして会社に戻った頃は書類作りをワープロやパソコンに頼る時代になり始めていて、習いもせずに浦島太郎の心境になってしまい、その様な機器が並んでいるコーナーを疎んじていた。そうこうして、ブラッセルへ行くことになった時だった。「DOS/VというOSが発表されて、海外で主流のIBM’ PC/AT機でも日本語が使えるようになるよ」と同僚から教わり、DOS/Vソフトなるものをいただいた。そして、ベルギーでPC/AT互換機を安く買うことができ、悪戦苦闘してDOS/Vで日本語化し、ブラッセルの日本企業のお助けをするほどの「パソコンお宅」になってしまい、今に至っている。その同僚の先進のアドバイスとDOS/Vのお蔭であった。 人生にはいろいろな節目があり、ちょっとしたキッカケから次の生活に変化がもたらされるものだなあと思い返している。今は喜寿の節目を迎えて、どんな生活の変化がもたらされるのかと期待している。

2018年3月にて数え年77歳となり記す

 


西澤 太郎さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
第一に食事(妻にお願いするだけでなく自分でも注目しています)、第二に運動として毎朝の愛犬との40分ほどの散歩、週に2~3回 1時間半程度のテニスすることです。
最近うれしかったこと
庭に作った畑のジャガイモが花を持ち、収穫を楽しみにしています。
最近気になること、気が付いたこと
歩行中に転倒でケガをして、脳神経外科による複数回の精密検査で脳にダメージがないことが判明しましたが、血圧がかなり高いことが発見され治療に入りました。4か月ほど経過して少し落ち着いてきましたが、今後薬を続けることになると思うと憂鬱です。筋力トレーニングを始めようかとも思っています。
KDD時代の思い出
入社した時、短波による無線通信業務に従事して以来、短波による船舶通信(電話)のシステム開発・設計、短波の移動通信のディジタル化、自動化システムの開発のための短波の電波伝搬実験と結果の国際会議への報告、関連する通信設備の開発設計に携われたことです。これらの仕事で関係した先輩・同僚と楽しく過ごせたことに深く感謝しています。
また、もう20年前になりますが長野オリンピックの時、現地の国際放送センターで全世界に映像・音声を伝送する仕事を最後に退社できたことも忘れられない思い出です。
その他
あるきっかけで終活を始めましたが、なかなか物・資料の整理が進まずに困っています。
また、妻より先に私が人生を終えるのは、ほぼ間違いないとの思いから、その時、妻が各種手続きに困らないようにとりあえず外部に委託する手続きをしました。