米寿を迎えて 
(寄稿順)

 

林 雅和さん

 

皆さん、こんにちは。

今年(2023年)の 「5月8日生まれの会」の様子

(左から)曽雌、初見、林、中野(敬称略)
(写真をクリックすると大きく表示)

 私がKDD在職中から数名での「5月8日生まれの会」なるものがあり、今でも続いておりますが、今年も5月に会食致しました。その際、他の皆さんにご配慮頂いて花束を頂戴いたしました。この時、初めて「米寿」を実感した次第です。

 KDDを去ってから、もう二十数年経ちますが、お陰様で幸いにして元気で過ごしております。健康は殆ど運で決まると思ってますが、幸運にも今のところ足腰等に大きな支障はなく、毎日動き回っており、運を差配してる何かに感謝している次第です。よく友人等に「元気な秘訣は何ですか。」と聞かれますが、特別な事は何もしておりません。
 ただ日々実行している事は、

(1)足腰の衰えを防ぐため、平均して一日5,000歩程度は歩くことにしています。目的地を定め、背筋を伸ばして、脇目も振らずに歩くことです。これまで三十年近く、城址巡り、史跡巡り等々北から南まで約1700ヶ所訪れました。この歳になっても見分が拡がり、一つの大きな楽しみでもありす。

(2)いわゆる認知症防止のため、KDDを離れてから或る勉強会に属し、年に何回か当番が廻ってきて、何かの話題のお喋りをしていますが、資料収集、原稿用意等、結構頭を使わざるを得ないので、防止の効果はある様です。また、その仲間と或るボードゲームでも遊んでおり、頭の休まる暇がありせん。

(3)私は20年ほど前に、膀胱がんを患いました。罹ったことは不運でしたが、直ったことは幸運でした。その後、再発防止のため、知人からの勧めもあり、毎日欠かさず椎茸菌のエキスを飲み続けています。免疫力を高める効果があると聞いております。これまた幸いにも私の体質に合っている様で、ここの所、風邪も引きません。ただ、他の方々にも効くかどうかは分かりません。

 以上のような現況で毎日忙しくしていることが、多少、元気さの支えになっているのでしょうか。ただ、毎日の行動には注意を払っています。最近、リスキリングと言う言葉が流行っています。私はそれを文字ってリスクキリング(risk-killing)と称し、「慌てない。約束時間には30分前には着く様にする」、「駅などの階段は必ず手摺に掴まる」、「歩く時は、必ず両手を空ける」等々気を付けて過ごしています

 皆さんもどうかお元気でお過ごし下さい。


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富士 暹さん

 

 米寿のお祝いメッセージを頂戴し、たいへん恐縮しております。
 お気遣いありが とうございました。

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方

 身体が発する健康面での諸々のサインに常に注意深く耳(神経)を傾け、それに逆らわないこと・・・これが私の健康法です。

最近うれしかったこと

 クラリネットとともに

 趣味のクラリネット演奏を70年も続けてこられたこと・・・月3回のレッスンに通うことが昨今の大きな喜びであり、生き甲斐でもあります。

最近気になること、気が付いたこと

 今の日本・・・進化している度合と退化している度合のバランスが気になります。物事を合理的・科学的に考える能力や想像力が劣化してきているのかも知れませんね・・・やはり気になります。

KDD時代の思い出

 k-unet会員の皆さまは、現役時代にそれぞれの持ち場・立場に応じたご苦労をされてきたと思います。もちろんその中にたくさんの喜びや幸せも感じてこられたのだと思います。
 私はと言えば、実は、今でも週に一回程度はKDD時代の苦い思い出や辛い思い出の断片が夢になって出てきますが、いずれはそんな夢から解放される日が訪れるのでしょう。

その他

 子供の頃の古いモノクロ写真を、往時の記憶を辿りつつカラー化することに少々ハマっています。やはりAIを応用した画像処理技術はすごいなと実感しています。
 そう言えば、直近のマンスリーレターで運営委員の近藤茂雄氏が車の自動運転について書いておられますが、とても興味深く拝読いたしました。道路を走る全ての自動車の運転席が後方を向いている・・・そんな光景が遠からず到来するといいなと思っています。

 皆さんもどうかお元気でお過ごし下さい。

(1936年11月生まれ)


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 喜寿を迎えて 
(寄稿順)

 

稲垣 和則さん

 

 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 朝の30分間程度のストレッチ&週3回のプール通い。

 健康法というより、腰痛対策として続けています。ストレッチで寝起きの身体がシャキッとします。スイミングでは心体が共にほぐれます。また、泳いだ後は湯上がりの爽快感。おかげで家の風呂を沸かす必要はなく、水道・下水料はほぼ基本料金ですんでいます。

最近うれしかったこと

 久しぶりに大学仲間8人で伊勢旅行ができたこと。 また、1年程前から始めたプログラム言語の学習、何度も挫折しかけましたが、一歩前進できた時にはささやかな喜びに浸ってます。プログラムが思い通りに動いてくれた時の達成感は格別です。

作図などで楽しんでます

 

最近気になること

 人の名前がめっきり出なくなったこと。
前立腺のPSA値、尿酸値、コレステロール値 他 。

 自分の事以外では、ウクライナ情勢 台湾有事 日本の少子高齢化問題 変わらない日本の政治、変えられない国民などなど。見守るしかできませんが、関心だけは失わないようにしてます。

KDD時代の思い出

 恵比寿(研究所)からスタートして、退職までに10ヶ所以上の職場を転々としました。それぞれの場所での人との出会い、過ごした時間は今でもはっきりと蘇る懐かしい思い出です。

その他

 日頃の髪の手入れですが、かれこれ30年間床屋には行っていません。オウンリスクでやってます。30年前になる海外赴任時代から始まりました。最初は職場仲間とお互いの髪を切りあっていましたが、今では、後ろ髪を含め完全に自前。30年間同じハサミを使い続けています。


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安藤 健さん

 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 昨年の4月末までビル管理会社(70歳からは週4日)に務めてましたので、それが一番の健康法だったかなとおもいます。

 自宅玄関からの吹矢の練習

 さて毎日が日曜日となった今は、なるべく規則正しく過ごせるよう、吹矢クラブとカメラクラブに入りほぼ毎日出かける日々です。的を台所に設置し台所→廊下→玄関で最以遠の10m確保できるので自宅でも時々練習し、2級(距離6m)、1級(7m)、初段(8m)、2段(9m)までは順調だったのですが3段(10m)で足ふみ状態です。カメラのほうは年4回程度撮影会旅行があり、カメラ、三脚その他一式持って歩き回っています。

最近うれしかったこと

 過日の撮影会参加6回目にして、始めて撮影会賞を受賞したことです。

KDD時代の思い出

 楽しい思い出としては 昭和53年海外派遣でドイツ(フランクフルト、デュッセルドルフ)、ノルウエー(オスロー)と帰路にパリ経由の2週間の出張に参加出来たこと。
 海外旅行はおろか飛行機も初めての私にとってはまさに天にも上るおもいで、実際飛行機が離陸した瞬間は体が浮き上きあがって行くようで、思わず足に力を入れ踏ん張ったことを今でも鮮明に覚えています。


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矢部 静樹さん

 

 喜寿のお祝いとのこと有難うございます。

北軽井沢大滝にて
(写真をクリックするとアップで表示)

 まだ75歳で、あまり実感はありませんが、折角の機会ですので近況をお伝えします。

 39歳から始めたヨットセイリング。
 小さな17フィート(約5.1m)の愛艇で土曜の午前中夫婦で逗子のハーバーを出港し、江の島、烏帽子岩辺りを回り握り飯を食べ、カセットやCD に合わせ大声で演歌やサザンを歌い、気が向けばキスやアジやカツオを釣り、時に沖合でアンカリングをして泳ぎ、3,4時間後に帰港する。

 一日で陽に焼け、冬場も風邪知らずで過ごせたのですが、4,5年前から、帰港後の艤装を解くセイルの収納、シート(ロープ)の整理、船体・船外機の水洗い、これらの作業が大変になってきて、とうとう昨年ヨットを譲ってしまいました。

 最後のセイリング

 それ以来体に良いことを全くしていません。コロナ禍で止めてしまったジム通いを再開しようかと思っています。

 コロナで足止めされていた「フランス運河の旅」を今年4月、4年ぶりにお客様と無事に催行できました。
 少し心配した各国のワクチン接種証明検査も難なく通過でき春のブルゴーニュ運河を満喫できました。お客様と別れた後は、英国人作家の書いた「南仏プロヴァンスの木陰から」で人気になった、リュベロンに滞在し、真白なアーモンドの花の咲く長閑な村々の探索を楽しみました。借り受けた、嘗て陶芸家であった大家さんの離れには大きな糸杉があり、夜中に庭に出ると、ここから車で30分ほどのサンレミの療養院でゴッホが描いたあの「星月夜」と同じ場面が再現され大変感動しました。

 糸杉のある庭

 今、思い出すと楽しい思い出ばかりですが、近しかった方々でもすでに鬼籍に入られた方も少なからずいます。

・酒場のカウンターでコーヒーを飲みながら見事なカラオケを披露する謡曲士

・「その牌、切っちゃダメ。」と耳元で囁く雀士

・「次のレースはこの馬で決まり!」と競馬新聞に赤鉛筆で丸する予想士

・・・・・なるほど「死は存在しない」(光文社 田坂 広志)のかなと最近考え始めました。


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川口 憲一さん

 

 後期高齢者になる頃から、体、頭の衰えを特に実感するようになりました。ワクワクしなくなり、意欲もわいてきません。コロナ禍で3年間の逼塞した生活が続き、ウクライナ戦争の映像が毎日流れるのも気分が滅入る一因とは思いますが、自分の老化が今後も進むのは間違いなく、不安になってます。健康をキープして一日でも長く自立した生活を続けたいと思い、自分なりの健康法を行っています。

 

 基本は運動、食事、睡眠と定期的なチェックです。 運動は股関節、肩甲骨中心のストレッチを毎日、有酸素運動の社交ダンス、口喉や肺機能のためのジャズボーカルレッスンを定期的に行っています。過去1か月間は目標の一日平均歩数6000歩をクリアしました。激しい長時間の運動は避けるようにしています。
 食事は3食を規則正しく食べ、たんぱく質を少し多めにとるように努力しています。食事に限らず健康に関する情報は溢れていて、中には相反するような情報もあり、戸惑います。タンパク質摂取については先日「食欲人」を読んで理解が深まりました。納豆も毎朝食べていたのですが、FODMAPの観点から止めてみたところ体調が改善しました。腸内細菌なども関係するので、良い食事の内容は個人差が大きいのではないかと感じています。夕食から朝食まで12-14時間あけるように努力しています。毎日自分で料理をしていますがレシピを決めるのが一苦労です。
 睡眠はいろいろ睡眠環境の調整をしてきましたが目標の8時間が思うように達成できません。腕時計型のトラッカーで睡眠状態を測定し結果を見ると、自分で感じている程にはひどくない場合もあるので、不満ですがいまのところ放置状態です。
 血圧、体温、体重を毎日測り、心拍数や歩数を知り、毎年1回人間ドックを受け、4か月ごとの歯科検診で、自分の健康状況をモニタしているつもりになっています。

 日本の高齢者は年をとるにつれて幸福感がアップするという調査結果があることを最近知りました。本当なら健康も幸福もある老後にむけて私もまだ希望がもてそうです。


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京極 雅夫さん

 

日頃心掛けている健康法

 現役時代は健康診断で特に問題は指摘されなかったので、ほとんど健康を気にしたことはなかった。60歳代後半から医者から腎機能、コレステロールに留意するよう指導され、その後は、塩分、チーズ、鶏卵、魚卵等を控えている。
 最近は弱い薬の血圧降圧剤の服用を始めるに至った。弱い緑内障があるとの診断があり、点眼薬を使用することになった。

 小石川後楽園にて
(2023年6月)

 現役時代、特に若い頃は、硬式テニスに明け暮れしていて、夏は炎天下でプレーしたし、冬はコートに砂やカルコートを撒いたり、ローラーを掛けたり、テープ浮き上がり防止の為「麦踏み」を繰り返した。
 退職後はほとんどスポーツ的なことには参加していない。自転車の出番が多い。スーパーへの買い物に使っているが、70歳を過ぎると走り始めてから2分足らずでペダルが重く感じるようになってしまった。足の筋力が弱った結果だ。それでも自転車には乗るようにしている。最近、市の補助金もあり自転車用ヘルメットを購入し着用を始めた。

 皆さんに披露できるような健康法は持ち合わせていません。

KDD時代の思い出

 業務の洗い出しを行ってみた。1970年入社、研究所にて衛星通信システムの開発、例えば船舶などの移動通信技術に携わった。INTELSAT IIIからIVの時代。
 1975年8月に恵比寿から西新宿のKDDビル28階へ異動。西側に富士山が見えた。夕方になるといつも夕日と富士山を見ていた。衛星通信から海底線部門への異動で、空から海への青天の霹靂だと言われた。各種ケーブル建設プロジェクトに参加。TPC-2、日中ケーブル、OLUHO、OKITAI、日韓、OKINAWA、RJK、TPC-5、インドネシア国内iSUB、TAT14。
 その間に、JICAにてインドネシア国内ケーブル長計調査、OLUケーブル迂回、日中ケーブル迂回と再埋設、ケーブル船相互利用協定、横浜ゾーン維持管理、ケーブル障害修理、各種障害対策。ジャカルタ滞在約1年。
 外国キャリアとの会議、技術・商務面調整など海外対応を経験した。
 しかし、プロジェクト完成後に生じた不具合対策・対応、迂回計画、障害修理、などあまり表に出ない(日陰の)対応が多かった。1992年にケーブル子会社設立に伴い異動、その後転籍、そして2005年に子会社解散で失職した。
 建設に係わった同軸も光ケーブルも既に運用を停止してしまった。結局、1975年からずっと退職まで海底ケーブルに関わっていたことになる。

 その間、上司、同僚、部員ならびに業務系の方々に恵まれたと感謝しています。

その他

 庭の樹木手入れ、掃除、隣接する車道の脇の植え込みの雑草取り(一人でボランティア)、簡単な日曜大工や電気工作などは継続的に行っています。もう10年以上KDDOB会のk-unetにて運営委員として色々な活動に参加しています。

 基本的にはそれほどのんびり過ごしてはいないと思っています。

 添付写真は、2023年6月に小石川後楽園へ花菖蒲を見に行った際のものです。


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望月 さち子さん

 

 映像画面にカーソルをおきスピーカーマークをクリックすると音声が流れます。

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 朝10分のテレビ体操。
でもトシには勝てない。

最近うれしかったこと

 毎日、楽しいので・・・・

最近気になること、気が付いたこと

 トシには勝てない、ということ、に気が付いた。
 少しずつ医療関連の支払いが増えてきている。

KDD時代の思い出

 よき先輩、よき友人に恵まれたこと。
 今も楽しくお付き合いさせていただいています。感謝。

その他

 k-unetの研修会で色々学ばせていただいて、助かっています。
 コロナ禍には、zoomなど新しい交流ツールの利用を学びました。


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池田 佳和さん

 

 私が喜寿になったと教えていただき正直驚きました。せっかくのお誘いなので近況などをお伝えしたいと思います。

日々の生活

東京オリンピック・ボランティア
(2021年7月)

 3年前に病気で妻を亡くし、今は京都で単身生活をしています。私もこの数年の間に二種類のがんが発見されましたが、いずれも手術が成功し現在は3か月に一度検診に通っています。東京の自宅は娘家族との二世代用に新築したのですが、京都のマンション別宅は叡電沿線で6階建て最上階、窓から緑の東山が眺められて住み心地がとても良いので、自立して生活ができる間は住み続けるつもりです。この周辺は学生街でもあるので総菜売店や外食、自炊にも困りません。

社会貢献

 日常は社会貢献的活動をしています。コロナ禍からオンライン会議か容易にできるようになったので東京の「電気学会」仲間などとボランティアとして工学啓蒙書の執筆を細々と進めています。例えば「ニコラ・テスラの伝記」を出版することを目指して努力しています。友人が執筆している「サミュエル・インサルと松永安左エ門の電力改革」の編集も手伝っています。

   KDD後輩の方々との宴会  (2023年7月国際水泳福岡の機会に)
 
 写真左から
 KDDI総研副所長K氏、  福岡大学教授(KDD-OBではない)、  池田、  製造業社長遠藤氏、  福岡大学教授大橋氏

(写真をクリックすると大きく表示)

 2021年の東京オリンピック2020ではボランティアとして会場運営を手伝いました。2023年7月の世界水泳福岡では選手役員登録受付を数日間手伝いました(旅費宿泊費は自己負担)。福岡には友人がいたので楽しく新鮮な魚介類で宴会を楽しみました。

「塞翁が馬」の後半生

 KDD時代は研究所からスタートし本社交換技術課長などを経験して、1992年から5年間ジュネーブ事務所に勤務しました。帰国後は国際電話屋からインターネット屋に専門を変えて当時の最先端ビジネス業界を駆け巡りました。
 2000年夏にはDDIとの合併前に決意してADSLスタートアップ企業に転職。その会社では孫正義社長と懸命に戦いましたが敢え無く敗れました。失意の中、東京工業大学の教員公募を友人に教えられ思い切って応募しました。数十人の応募があったようですが、幸運にも特任教授に採用され、約5年間大岡山に通勤しました。
 契約終了後、国立情報学研究所客員教授に所属していた時、知人のお世話で大谷大学(京都)の教授職に推薦していただきました。生まれ故郷の三重県伊賀市には母が住んでいたので慰問にも行きやすい京都市に移住しました。結局2019年まで大学教員を務め文系の若い学生諸君の情報学教育に携わりました。文科省科研費等を獲得したので毎年1,2回海外の国際学会に論文を投稿し発表する機会を得て欧米・アジア・アフリカを旅行しました。

 振り返ってみると、定年まで在職することが自然だと思っていたKDDという良き企業を諸般の事情で退職して以来、多くの先輩・同僚よりは転職回数の多いエンジニア人生を過ごしてきました。「人間万事塞翁が馬」という故事にあるように、その時々のご縁に助けられて愉快で意義ある営みであったと感謝しています。


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稲垣 怜子さん

 

 

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方

 食事と運動

 食事は、一日三食、夕食にアルコール類を少々。運動は、地元のスクールや教室で週一回テニス、水泳、体操を続けています。
 健康診断結果は、3~4項目イエローマークですが、ドクターには、「食事と運動で頑張ります」と見栄を切り服薬には至ってません。

最近うれしかったこと

 孫二人の就職先が内定したこと。

最近気になること、気が付いたこと

 今まで食事とコーヒー以外口にしなかった夫が、私の大切なお菓子・スイーツをいつに間にか食べていること。

KDD時代の思い出

1)入社一年目、よど号ハイジャック事件での先輩達の働きぶりを羨望と憧れの眼でそっと見ていたこと。
2)1970年代ベトナム戦争の頃、ChristmasやMother’s Dayの殺気立ったような繁忙と活気溢れた交換室と美味しいケーキやミカンの差し入れがあった休憩室
3)お客様センター料金課の時、お客様に軟禁されたこと
等々、あれもこれも、懐かしい思い出です、良い会社に勤められたことを感謝しています。

その他

 広く大きく目をやれば、温暖化や戦争・各地の紛争など心配や不安は絶えません。
 一方、卑近な例では家内において多少のトラブルや諍いはありますが、健康で日々平穏無事に過ごせているのは有難いことです。
 最近頭脳を使うことをしていないので、少し脳トレしたほうが良いのではと考えていますが・・・?。


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横山 幹雄さん

 

  お祝いカードをいただきありがとうございました。

 

 何とか元気に過ごしていますが、ゴルフをやめるきっかけとなった足底筋膜炎を患って既に15年になります。
 早いものです。ここ数年は健康のために痛みを押して多摩丘陵を歩いています。併せて脳活になることを期待して好きな車の運転を毎日続けています。リスクと隣り合わせです。サーキットを走るようなことはもうありませんが走行距離は年間2万キロに届くかもしれません。

 KDD 時代の思い出を一つだけ。
 1973年のことです。前年の秋、日中国交正常化で田中首相が故宮博物院の前を歩く映像をLIVEで見てえらく感動したころのことです。入社2年目で配属された伝送施設部は本社のあった霞が関ビルの向かいの三井ビルにありました。
 立ち話でしたが当時の直属の上司であった岩崎主任から「インターネット」って知っているかと聞かれました。知るはずもなく想像したのは静止衛星をたくさん並べてグローバルネットワークを作るくらいの土管的発想しかありませんでした。それより、えらく軽薄で陳腐なネーミングで、センスがないと思ったのを覚えています。今の世の中を想像できるはずもない50年前の話です。
 いま岩崎さんに聞いてみたいですね。当時はどういうものを想定していたのですかと。

 皆さんのご健康とご活躍をお祈りいたします。

 


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倉林 和夫さん

 

 @サンパウロ
9月4日午前10時15分
に撮影した写真です。

 退職後、JICAに在籍した後、通訳案内士の資格(スペイン語、英語)を取り、散発かつ請負的な仕事を、適度な緊張感を持って楽しんでいます。ポルトガル語の資格はないのですが、スペイン語と怪しげなポルトガル語でなんとかこなしています。以上が、近況です。

 KDD時代の、忘れ得ぬ思い出は、サービス計画部在籍中の事案です。
 日米IVAN協定(通称)に関し、米国のUSTRが国際専用線のサービス約款を協定違反とみなし、それを認可した日本政府に制裁発動の脅しをかけてきました。
 外務省、郵政省の担当部門に同行し、ワシントンに赴き、同僚の技術担当サービス計画2課長(当時サビ計2課は技術・業務構成)、技術計画部、法務部、企業通信部等々の協力を得つつ、同行者とともにUSTRの別室で作業に当たりました。
 技術の進歩・方向性を的確に予測し、それに巧みに同化することが、通信ビジネスで重要であるこを強く認識した3ヶ月間でした。

 今後ともよろしくお願いいたします。

 

 


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 米寿をを迎えて 
(投稿順)

 

上原健秀さん

孫に囲まれ”ちむどんどん” 

 日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
 6年前に前立腺ガンを患い、放射線治療と抗がん剤の服用と女性ホルモン注射のせいで、体重が極端に増えてしまいました。出来るだけ毎日歩くようにしています。
 定年後、琉球古典音楽を習っています。年齢的な関係で上達はしませんが、大きな声出しと指を動かすことはボケ防止になるだろうと続けています。
 今の楽しみは、地域の後輩達と月2~3回ゴルフコンペ(ショートコース)へ参加することです。 

最近うれしかったこと

 学費を援助した孫が今年やっと看護師として県立病院で働けるようになりました。
看護大学在学中に網膜剥離で退学し、その後看護学校へ入ったが、体質的に基礎体温が高く、コロナの関係で看護実習できず、今年やっと国家試験に合格した。

最近気になること、気が付いたこと

 ロシアのウクライナ軍事侵攻で、中国の台湾への軍事進攻が気になる。
 沖縄県石垣島の北方にある「尖閣諸島の領有権問題」もあり心配である。
 米軍基地のある沖縄は再び戦渦に巻き込まれる恐れがある。

KDD時代の思い出

 今年は、沖縄県が日本本土に復帰して50年目になる。
 私がKDDへ入社したのは、RTT(琉球電々公社)の「国際通信部門」がKDDへ移管された時である。
 RTTで国際通信課長をしている頃、KDDから多くの関係者が国際通信室の見学に訪れていた。壁に掛けてある「貼り絵」に、よく質問を受けた。これは私が遊び心で、通信室から見える景色を新聞紙や雑紙をちぎり貼り付けたものだった。これがKDD社内報関係者の目にとまったのか、社内報「KDD誌」表紙にちぎり絵の依頼を受けることになった。
 1976年5月号から1977年4月号までだった。当時、沖縄国際通信事務所の調査役で「沖縄国際博覧会特別通信対策」を担当し、博覧会の終了で引き受けた。毎月2~3点制作するように言われていた。しかし、4月から那覇国際電報電話局の電話運用担当次長を命じられ、未経験の職場で多忙を極め、毎月1点制作することがやっとだった。

その他

 記憶力が低下し大事なことを忘れることが多くなりました。多くの友人や後輩達が先立ってしまい、KDD時代の話をする機会もなくなりました。k-unetもあまり見なくなりました。(パソコンの動作が遅いため)しかし、山本勝美様から封書が届き、k-unetを開き、百寿の会員投稿にびっくりし、近況報告を出すことになりました。

 


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田崎久太郎さん

 米寿を迎えて感慨深く数多くのことを想い出します。
 この年代はKDDのスタートアップからエンド(合併)まで様々な変遷を担ってきました。想い出すのは仕事よりもお世話になった卓越先達や同僚、友人達の顔〃が次々と限りありません。訃報のメール到着の度にいつも心淋しくなります。
 最近は、1級身障者を抱えて海釣りに行けず、好きなゴルフのラウンドも無理になり、健康維持・老化予防のために時々練習場で打ちっぱなしを続けて体力劣化を防いでいます。当分はOBゴルフ会でのラウンドプレーにご一緒するのは無理のようです。
 職場では、今は綺麗な桜の名所となっていますが、延べ十数年通った茨城衛星通信所での想い出が多く、同僚や街の友人達とで過ごした楽しいことや、己の無茶振る舞いの数々が浮かびます。

 米寿を期に、新たな「永生きコンテスト」のスタートだと思っています。
 これからは歓びよりも寂しさが多くなるのは当然かもしれませんが平穏に時間をかけ、ゆるりと枯れて逝きたい心境です。

 


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鷹取騏一郎さん

日頃の健康法

 スポーツに明け暮れた生活でしたが、5年前に大病(胃ガン全摘手術)を患って以降は好きなグラウンドゴルフ・老人卓球を今年で卒業。現在は、特に健康法はありませんが、妻の食事管理に感謝しながら、風邪をひかない、転ばないをモットーに散歩と読書を中心に生活しています。

最近うれしかったこと
 5月に孫からスマホの機種変更して貰ったことです。お蔭で、新機種に慣れる苦労が大変でした。 

KDD時代の思い出

 会社業務の事。労組関係の事。沢山あって一筆では無理ですが、直近では同友会closeで、関西支部代表として依田哲夫さん、関義信さんをはじめ、多くの方にご迷惑をおかけしたこと、お世話になったことです。

 


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木村文男さん

 米寿のご祝辞をいただき有難うございます。

 昨今は実年齢での生活を営んでいますので、「数え年」をとんと忘却していました。祝い事が前倒し2年も続く事になり喜んでいます。

 とはいえ、年を重ねて身体の調子が、動作がこんな筈じゃなかった思う事が多々あり、病院への通院、入退院が増え、毎年確定申告の医療費控除金額で悲しいやら嬉しいやら。

 数年前、健康診断で肺ガンが初見され、PET検診の結果、いたるところに「ガンの疑いあり」と、肺ガンは左葉上部の摘出、十二指腸ガンポリープ切除、現在は前立腺ガンで投薬治療中です。ガンもこの年になると転移、増幅も遅々として無理をしなければとの事、闘病も生活の一部と考えていますが、残念なことは長年楽しんで来た、ドライブ、ゴルフ、スキーとはお別れ、免許返上、粗大ごみで処分しました。

(1935年5月1日生まれ)

 


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景山 正さん

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 一人暮らしですが、朝食には、野菜たっぷりのミルクスープ、各種豆類、卵他タンパク質等栄養のバランスを考えて居ます。

最近うれしかったこと

 5月21日の、歌仲間でのコンサートが好評で、皆さんに喜んで頂きました。

最近気になること、気が付いたこと

 足腰が、とみに弱ってきました。殆ど車で移動しています。

KDD時代の思い出

 良い方々とご一緒出来て幸せでした。

 今でも、昭和会で月一のゴルフを楽しんでいます。

その他

 9月28日に、「65才からのアートライフ」で、オペラ「椿姫」から「乾杯の歌」をデュエットで歌います。

 


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寄稿された米寿の方へのメッセージ

 

上原さん、おめでとうございます。

上原さん、米寿、おめでとうございます。
安室さんの葬儀以来ですがその説も、沖縄勤務中も大変お世話になりました。
お元気そうな写真を見て沖縄時代を懐かしく思い出しました。
ご本人は覚えていないかもしれませんが玉代勢さんの弟さんの本部の寿司店で話された沖縄戦中に体験したガジュマルにキジムナーが住むのではと思ったとの話が大変記憶に残っています。
こちらは9月に後期高齢者になりました。
ともに健康に気を付けて長生きしましょう。  矢部

2022/10/03 矢部 靜樹

 

 


 

 

 



 喜寿を迎えて 
(投稿順)

 

益子輝雄さん

断続的に続けている
ダンベルトレーニング

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 定年退職と同時に、電気事業法に基づく「高圧電気設備の保安管理業務」を個人事業で始めたので、仕事そのものが健康法になっている。もちろん、現在も仕事を続けている。われわれ仕事仲間では、この仕事を知的肉体労働と言っている。何せ、階段で何階もある建物を上がり降りしたり、屋上まで計測器類を運んだりするので、足腰の鍛錬になっていると思う。
 また、朝夕のダンベルトレーニングと体幹ストレッチはほぼ日課となっており、身体の柔軟性や筋力の衰え防止に役立っていると思っている。10kgのダンベルを両手に持ち、身体の主要な部位を鍛えて?いる。もちろん、夕方の晩酌も健康維持の日課のひとつ。

最近嬉しかったこと

 電気保安の仕事の関連で、電気工事士国家試験の受験準備講習を大手の通信建設会社から依頼を受け7年ほど担当している。昨年度は新入社員100名が受講し100名全員が資格試験に合格したことは講師冥利に尽きる。全員合格は初めてのこと。今年度の結果が気になるところだが....

最近気になること

 日本人男性の平均寿命が82才になったとの新聞報道が最近あったが、76歳の自分はあと何年生きられるのかと“ふと”思う。「青春とは、人生のある一時期を言うのではなく、心の様態を言うのだ」とは、“サミエルウルマン“の有名な「精神の詩」の最初の一節の邦訳。漢詩調の格調あるこの邦訳が気に入っている。矢沢永吉のTVコマーシャルで「歳はとっても青春は腐らない」との名言にも元気付けられる。

KDD時代の思い出

 在職42年間で、事業所や部門が変わる転勤を11回、家族帯同での引っ越しも5回経験している、それぞれの職場や地域で多くの方々と出会い思い出も沢山ある。
茨城、山口、出向先での社宅生活も楽しい思い出となっている。独身者と社宅在住者合同での盆踊りやビアパーティ、梨狩り、ミカン狩り、地引網など古き良い気時代の思い出が蘇る。
 仕事面では、茨城衛星通所で衛星通信の商用化の一翼を担えたこと、山口衛星通所では、インテルサットから受託した「TTC&M/IOT」業務に携わることが出来、インテルサットから派遣された5名の外国人技術者と一緒に仕事をしたこと、NW運用部時代はヨルダンとインドの日本大使館にVSAT地球局を設置するため、相手側通信事業者と3年がかりのタフな交渉をして実現できたこと、そして、衛星伝送部時代に担当したビックシェルプロジェクトなどが思い出の仕事になっている。
 機動的な国際間TV伝送の運用に対処するため、社内で初めての車載型地球局(後にビックシェルと命名)を調達することとなり、国内2社、海外2社の計4メーカーにRFP(提案要請書)を発出し、各メーカーから提出されたプロポーザル(提案書)を受領し、実績、価格、保守サービス、技術要件等を審査し、最終的に総合評価で優れていたアメリカのメーカーを選択した。計画着手からビックシェル納入まで1年程度のプロジェクトであり、この期間に東京~ニューヨーク間を5往復した。小型アンテナと通信設備を搭載する車両は、右ハンドルであることが要求され、標準仕様であった左ハンドのアメリカ製から日本製に変更し、車両本体を日本からアメリカまで運び現地で架装した。ナンバープレートも「品川ナンバー」が欲しいとの運用部門からの要望をうけ、目黒にあった研究所の駐車場を常駐場所(実際は当時のKDD学園の構内)で車両申請するなど荒手の技も繰り出した。ビックシェルはその後もう一台追加製造され、ソウルオリンピックの中継や阪神淡路大震災の現場からのTV中継等に大活躍した。

アンテナと通信設備を搭載する車両メーカーの海外向けリーフレットに掲載された“ビックシェルプロジェクトの概要

 短期決戦の凝縮した仕事で、とにかく時間が無く、頑張り過ぎて過労で帯状疱疹を発症したのも苦い思い出となっている。振り返るたびに、お世話になった、上司や先輩、同僚・後輩の顔が目に浮かぶ。
 皆さん元気ですか!

その他

 2000年10月1日、KDDからKDDIへと会社の経営形態は大きく変わった。
 KDD当時、国際通信の収益は3,000億円を超えていたと思う。現在、KDDIの国際通信サービスの収益は当時の1/10程度の数百億円?程度と聞いている。LINEやFACEBOOK等SNSの急速な発達によって国際通話は無料で利用できる時代、当時では到底想像すら出来なかったことである。
 合併の決断は、当時の会社経営者の賢明な政治判断であったとつくづく思う。

 


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高橋俊雄さん

ららぽーと横浜で孫と一緒に 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 毎朝、地域のラジオ体操の会に参加し、その後に1時間以上かけて、緑豊かな居住地とその周辺を、友人と一緒に雑談しながら、ゴミ拾いを兼ねて散策しています。

 ボランティア活動(東京都の観光ボランティア、子供達への囲碁指導、特養施設での奉仕活動、お江戸探訪の会の幹事)を続けてきましたが、コロナ禍の影響で、活動量が減ってしまいました。

 その分、趣味の時間を増やしています。

 1年ほど前に地元で結成されたカントリー・ミュージック・バンドGMB(Green Mountain Boys:全員が70才以上)のメンバーになりました。
 ボケ防止になるからとの誘いに気軽に乗ってメンバーになりましたが、リードギター、スティールギター、ドラム、ベースのメンバーは、熟練者(中にはセミプロ級も)ばかりで、全くのど素人の私は、ギターのコード練習から始まり、ボーカル担当にさせられたりと、四苦八苦しながら楽しんでいます。

最近嬉しかったこと

 4人の孫(全員が男で、6才、4才、2才、1才)の成長を楽しみにしています。大阪に住んでいる長男一家が都心に引越してくることになり、頻繁に会えるので嬉しいです。

 近くに住んでいる娘夫婦の次男(1才)がどんどんなついてきて、最近、言葉を発する様になりました。長男(4才)も「おじいちゃんが大好き」なので可愛いです。

最近気になること

 ウクライナ情勢とコロナの感染拡大が気になります。日本社会も、課題山積ですね。

KDD時代の思い出

 大切な思い出がたくさんあります。KDDに入社していなければ、多くの海外出張や国際機関勤務を経験できなかったと思いますし、8年間のイギリス滞在経験もなかったと思います。

 世間知らずの24才の若造を温かくご指導頂いた研究所の上司先輩は勿論ですが、本社勤務になってからも多くの事を学ばせて頂いた皆さまには、感謝の言葉しかありません。

その他

 皆さまと共に健康長寿を目指したいと思います。

RUGBY WORLD CUP 2019のボランティア活動で(右端)


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塩田要平さん

筆者近影 

日頃心がけている健康法、日々の過ごし方法

 午前中は頭脳労働で主にPCの前、午後は体力維持の運動というパターンです。油断すると座りっきりになるので、体を動かすことを心がけています。それぞれ週2回のゴルフ練習とジョギング、平均月2回のゴルフが主なものです。ゴルフは、メンバーコースの月例参加と、地域住民で作ったゴルフ愛好会の定期コンペ参加です。愛好会は現在41名(多いときは65名ぐらいだった)、30年以上の歴史があり、7月25日に第174回のコンペを実施しました。

最近嬉しかったこと

 コロナもあって先送りしてきた人間ドックを5年ぶりに受けました。特に不調を感じたことはなかったのですが、加齢進行による隠れた不具合があるのではと少々不安でした。大腸にポリープが4個見つかりましたが、小さなものでガンの恐れなしで除去して終わりました。その他には問題もなく一安心というところです。

最近気になること

 2日前から、裏の家の2階の戸袋の上に鳩が巣を作り始めました。お一人住まいのため開かずの部屋の戸袋の上です。良いところを見つけると感心しました。一羽が材料を集めてきて、もう一羽がせっせと形を整えています。ここで子育てをするのでしょうか。夫婦仲はすこぶる良いように見えます。人間社会では幼児虐待や育児放棄等が盛んに報道されて気になっていることもあり、「鳩達、がんばれ」と少し応援しています。

KDD時代の思い出

 思い出はいっぱいあります。守秘義務に違反しないのであれば、1996年の本部内のソフトボール大会で、逆転サヨナラ・満塁本塁打でMVPをもらったことでしょうか。私が春の異動でそのグループ(G)に担当課長で着任したのですが、Gの最重要課題が間近に迫った大会で、何としても1勝し、最下位を免れることでした。最下位は翌年の幹事になるルールだったのです。そして私に選手兼監督の大役が任されました。短い期間に主要メンバーにヒアリングし、ピッチャーには秘策として落差の大きい山なりのボールを徹底して投げること、打ってもボテボテの当たりとなるのでサードとショートに守備のうまいメンバーを配置し、私自身はレフトを守る布陣で臨みました。結果、何よりもみんなの強い勝利へのモチベーションで、何と初戦を勝っちゃったのです。早々に1勝のプレッシャーから解放されたメンバーはその後伸び伸びとプレイし、今回思い出の試合も最終回で3点リードされていたものの、2アウトながら満塁の場面までこぎ着けたのです。私は最大の役目を終えてベンチにいたのですが、ベンチ内は「勝ちたい」意欲でギラギラしていました。そして「監督、代打でいきましょう」のメンバーの求めでその場面に立つことになったのです。そして2球目、少し早いストレート系のボールをコンパクトに振り抜き、レフトの野球経験者Sさんの頭上をわずかに越え、後方に転がる長打となりました。大騒ぎのベンチから「サヨナラだ。監督全力で走れ」の声援を受けながら、私自身は「ここで転んだら一大事」と滑るシューズ、もつれる足元に苦闘しながら、本塁ベースまで全力で駆け抜けました。2アウト、満塁、代打、逆転サヨナラ本塁打でした。月曜日、出社してみんなの笑顔をみて距離が近くなったことがうれしかったことを覚えています。

その他

 私の世代は、「通信の自由化」の波を受けた世代で、他社への転籍を経験した人も多いと思います。私の場合は、1998年11月30日にKDDを退社し、12月1日のKDD(株)発足時にTTNet(のちのパワードコム)に転籍し、2006年1月1日のKDDI(株)との合併時にKDDIに入社しました。KDD時代に同僚だった人たちや、KDD時代に出向でDDI本社に勤務したこともあり、旧KDD、旧DDIの知り合いが多かったです。仕事の関係で新宿のKDDビルにも出入りすることもあり、私の感覚ではまさに元に戻った感じで、こんなサラリーマン人生もあるんだと実感しました。

 


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伊藤英一さん

筆者近影 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方法

 新鮮な好奇心を大切に、積極的な探究心を生かし続けること。

最近嬉しかったこと

 昨年、50年近くの現役生活(KDD30年+大学/大学院18年)から引退しましたが、家族を始め多くの方々に祝福していただきました。 振り返れば、反省されることばかり数多で、とても「大過なく」とは言えませんが、それでも辛うじて「恙なく」複数回の定年退職と再誕再生を迎えられたことを、素直に嬉しく感じました。

最近気になること

 2014年のクリミア半島併合から、今年(2022年3月24日) ウクライナへの軍事侵攻に至るロシアの動きを、何故、国際社会は制止できなかったのか。

KDD時代の思い出

 満30年間を過ごさせていただいたKDDとKDDIですが、素晴らしい人々が沢山いらっしゃったことと、いろいろ御世話くださった方々への感謝の念を深くしています。また、ITU(国際電気通信連合)、Intelsat(国際衛星通信機構)等々の国際機関にかかわることが出来たことを、有り難く思っています。

その他

 日本やアジアの国際通信の歴史を振り返り、KDDの社会的意義と国際貢献が再認識されるような機会や組織があればと思います。早世された小林副社長、野坂副社長、太田副社長の苦労話や、KDD創業に先立つ日本無線電信の吉野圭三常務の回顧等々、公共性が重視されるべき、社会インフラの理想的未来を模索する一助にもなるのではないでしょうか??

 


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高宮孝一さん

筆者近影 

似顔絵作品例 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方法

 一日に6、000歩程、市内の神社、仏閣、図書館等の巡りを行っており、時には、出会った方々の似顔絵を描かせていただいています。

最近嬉しかったこと

 瀬戸内海の島々を舞台に、3年に一度行われる現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」が、この秋に開催される予定で、田舎の丸亀市本島町笠島の我が家を休憩場所として利用したいとの連絡がありました。3年前に続き、田舎のために役立てることができ喜んでいます。

最近気になること

 今3回目のコロナ接種を受けてから、蕁麻疹や腰痛等の後遺症が出ている。(4回目のコロナ接種については、医師の判断も難しいのようなで、検討中です。) 

KDD時代の思い出

 テレコム79会場KDDブース

 初めての海外旅行は当時復帰前の沖縄でした。組合の代表として沖縄に訪問しました。

 その後も仕事の関係で4回程訪問しましたが、実質的な海外出張はスイス、メキシコ、上海、ネパール、アメリカ、台湾でした。特にスイスには日本で開発したQ-FAXのデモンストレーションに5月のITU本部と10月のテレコム79に出張しました。

 テレコム79では会場-東京間のデモンストレーションの一部として、別添のようにプロの方に描いていただいた似顔絵が送付されました。

 

 この時、米国キャリアの会場-アメリカ間の回線がたまたま障害になり、会場内で米国キヤリアの回線を接続し、時差があるので東京経由でバックアップしたことがあり、その後、米国キャリアの関係者が来日され、赤坂のホテルや米軍プレスセンター等へ招待された記憶があります。

 個人的にも、退職を機会にいろいろなところで出会った方々の似顔絵を描かせていただき、これまで1、000枚を超えました。
 この数年間は再度お会いする機会もない方々には、メール、郵送等で送付している状況です。

その他

 退職後、さいたま文学館での小説サークルで小説を書いたり、暇に任せて替え歌を作成しています。

 替え歌の一部が次のようなものです。

 画面をクリックすると大きく表示されます。

 

高宮さんへのメッセージが書き込まれています。こちらをご覧下さい。


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大森 淳さん

筆者近影 

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方法

 毎日1時間程度の散歩と途中スーパーでの買い物。コロナ非常事態宣言以来ジム通いはやめて家で筋トレやストレッチ体操を、趣味はギターを毎日2時間練習しています。

最近嬉しかったこと

 毎日がうれしいので、最近うれしいことと言われても分からないです。

最近気になること

 今回k-unetの知らせで自分が喜寿を迎えることに気付き気になりました。

KDD時代の思い出

 家から車で20分(7㎞)ほどの研修センター勤務4年半は満員電車の通勤はなく田舎で昼休みは栗拾いや柿を採ったりしたことが楽しい思い出です。

その他

 次回米寿でのお知らせでは驚かないよう、今から心の準備をしておきます (^O^)

(1946年3月13日生まれ)

 


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井上正夫さん

日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 食事、運動、社会との繋がりの3点をルーチン化して過ごす。

最近嬉しかったこと

 Lineのグループ利用で、孫を含め家族間の談話等が出来るようになったこと。

最近気になること

 妻の健康と体重が増えたこと。

KDD時代の思い出

 TAS(PTAS)の建設保守運用
 阪神大震災時の国際電話通信制御

その他

 市民大学に入り、新友が多く得られ、社会貢献と趣味の世界が広がりました。

 


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松平恒和さん

筆者近影 

私の 健康法

 その1 運動をしないこと。
 その2 医者に行かないこと。
 その3 薬を飲まないこと。

最近嬉しかったこと

 2022年、無事金婚式を迎え、子供、孫達が全員集まって祝ってくれました。

最近気になること

 情報通信技術が発達し過ぎているのではないか。アナログ時代が良かった。

KDD時代の思い出

 未だにたまに見る夢の中では出張先でパスポートがなくなったとかホテルに戻れなくなったとか(そんなことは実際にはなかったのに!)KDD時代のことばかり。

近況

 という訳で、お陰様でなんとか元気にしています。

 何をしているかは数年前にk-unetの誕生日コーナーに掲載していただいた内容からあまり変わっていませんが、コロナの影響をもろに受けてミュージシャン活動は大打撃を被りました。元気なうちにコロナ退治が叶うよう祈るばかりです。

 

松平さんへのメッセージが書き込まれています。こちらをご覧下さい。


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代田正之さん

亡き愛犬小太郎
(山口借上げ社宅の庭にて)

 

 k-unetに加入して20年余、何も貢献していない幽霊会員なのに、貴会から喜寿のお祝いの連絡を頂き恐縮です。当会は、会員の皆様の消息や、ご活躍を知ることができ、とても有難く思っています。

 私は8年ほど前からほぼ毎日40分ほど散歩をしています。厄介な病気もつい最近主治医の先生から経過観察終了とのお言葉を頂き、嬉しく思いました。

 最近気になっていることは、この頃世の中が何となくきな臭い感じがしてきたように思っていることです。親の世代が経験したことが、また起こらないように願うばかりです。

 KDD在籍中は、皆様にご迷惑をお掛けしたことも多く、改めてお詫び申し上げます。仕事面では、上司、先輩、同僚に恵まれ、色々な仕事をさせて頂き、感謝しております。特に記憶に残っているのは、茨城、山口両衛星通信所の開所に立ち会えたこと、直径320メートルの巨大短波受信アンテナの指向特性を、ヘリコプターに乗って測定したこと、そして八俣送信所の短波国際放送用送信アンテナの置換工事です。この工事は、計画作成の段階から関わることができ、新しい設備を考えたり、いかにサービスの低下を少なく置換することとか、送信所敷地内や近隣の皆様、敷地内の道路を通学する子供たち等への電磁障害防護基準値をクリアすることなど、苦労も多かったですが、やりがいも多く、昭和63年2月に完成し、無事放送が始まった時は、感無量でした。今思えば懐かしい思い出です。

 


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寄稿された喜寿の方へのメッセージ

 

松平様へ

お久しぶりでございます。

お元気に喜寿を迎えられまして誠におめでとうございます。 在職中は仕事よりも、折々の音楽イベントでご一緒させていただいてたように覚えております。もやは江戸時代くらいの昔に感じますが、K倉さんのアメリカ転勤の送別会を新宿会館(ストラーダ)で開いた折に、初めて松平さんのクラリネットを聞かせていただき、本格的で只者ではなさ過ぎる演奏に驚嘆!大いに感激したことを覚えております。

演奏活動を続けてらっしゃることは聞いておりましたが、ここ数年はライブの制約が大きいですね。私は聞くのが好きで、ときどきPITINNや近所のハコに通ってまして、松平さんが出演されるライブがありましたらおじゃましたいと思います。

おっしゃるとおり、デジタルが過度に浸透してきて、音楽でも日頃の生活でも、心の有り様までもどっちつかずが許されないように感じてます。音楽では生音がイチバン!(江戸時代のころにそんなCMがありましたっけ?(笑))

(なお、私は音楽ではボサノバギター、古典芸能の狂言の自演などで遊んでおります。)

2022/09/01 西本 直久

 

高宮さんへのメッセージ

高宮様 ご無沙汰しております。
元気に喜寿を迎えられたご様子、お慶び申し上げます。

高宮さんが似顔絵の画才をお持ちとはまったく知りませんでした。愉しく寄稿を読まさせていただきました。
これからも元気にご活躍されることを祈念致します。 楳本

2022/08/28 楳本 龍夫

 

 

 


 

 

 



 喜寿を迎えて 

 

柴崎八郎さん

 いざ、k-unetから依頼された課題に向き合うと、何を書いたら良いのかを考えている自分がいます。それだけ、老いて
のほほんと過ごしている気がしますが、何とか、今、浮かんだ事をを並べてみます。

日頃心掛けている健康法

 10年以上務めた地域連合を含めた町内会役員を退任させてもらってからは、時間を持て余す事が多くなりましたが、ボランティアを含めたコミュニティの活動には、できるだけ参加するようにしています。また、近所の農家から40坪ほどの畑を借りて、家庭農園で野菜作りに精を出しています。週に2回ほど、スポーツクラブに通って泳いだりしていたのですが、今年の2月に大きな手術をして、体重も15㎏ほど減り、今は、スポーツクラブは中断して、できる限り散歩で補っています。
 50代から始めて、80歳まで潜ろうと思っていたスキューバダイビングも一昨年の5月以来、出かけられず、当初目標は叶わないのではないかと思っていまが、コロナ禍が明けたら、インドネシアあたりで潜り納めができたらと思っています。

最近嬉しかったこと

 60歳の定年を迎えてから高校の同級生が毎月1回居酒屋で集まっていたのですが、コロナ禍で中断せざるを得ず、顔を合わす機会がなくなっていたのですが、今年2月から、同じ第3木曜日に、オンラインで飲み会をやるようになりました。毎回8~9名が参加して、他愛ない会話で仲間が繋がっていられるのが嬉しいことです。

KDD時代の思い出

 KDDでは、先輩・同僚・後輩に恵まれて、本当に良い時代を過ごさせてもらったと思っています。思い出は沢山ありますが、今、一番に頭に浮かぶのは、50歳を迎えて担当したモンゴルのMobicom社の立ち上げです。1995年の夏、初めて、草原の中の木造ターミナルのウランバートル空港に降りたった時は、こんなところでやっていけるのだろうかと不安で一杯でした。モンゴルの社長、技術、総務、経理の4名でスタート、すぐに10名の技術者を採用してフランスとドイツのAlcatel社に3か月の研修に出して、自分を含めて残った3名で、置局交渉からのスタートで6ヶ月以内にサービス開始という厳しい仕事でした。
 予定通りサービス開始でき、当初予測した需要をはるかに上回る加入者で、その後は、カバレッジ拡張と基地局増設で追われた5年間でしたが、中身の濃い仕事でした。
その間、築いた現地の仲間との繋がりが、仕事を離れた今でも保たれており、ここ2年はコロナ禍で中断しているけど、彼らは毎年来日して、温泉やゴルフを楽しんでいます。私もだいたい2年毎にモンゴルを訪ねて、彼らと郊外にキャンプにでかけたり、最近は、ウランバートルに出来たゴルフ場で一緒にプレーしたりして繋がっているのが、何よりも嬉しい事で財産になっています。

その他

 写真は2年前に、モンゴルを訪ねた際に、ウランバートルから400㎞離れた温泉に行った帰りに寄った、元朝青龍が経営するハラホリンという古都にあるゲル・キャンプでの写真です。
(左から、佐藤和夫さん(非会員)、元横綱朝青龍、著者)

 


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関根勝昭さん


日頃心掛けている健康法

 私の健康法としては、ここ数年庭に設置したプランターでの野菜作りに精を出すことにあります。
 苗の植え付けから収穫まで各種の野菜の面倒を見るのですが、何度も失敗を繰り返しますが、やはり生き物と付き合うのも経験です。我が家の孫2人の成長を楽しみにしているのと同じで、心と体に植栽は癒やしになります。
  コロナ禍で長く活動を休んでいた「合唱団」での練習もやっと再開にこぎ着けました。
 1年半休団していましたが、普段声が思うように出せない日々でも練習に参加してみると、芸大出身の指揮者(声楽家)のもと発声練習に30分以上体操や声出しで、自分の声に自信が出てきました。これまでも千葉県の合唱コンクールで1位となったこともあり、身体が続く限り歌って行きたいと思ってます。
 

最近嬉しかったこと

 日々の孫とのつきあいで気が休まらない一面、生きているという実感をもてることが一番です。

最近気になること、気が付いたこと

 COP26で日本が「化石賞」をもらったこと。地球温暖化で先進国の果たす役割が問われている中で、子ども、孫に負担を負わせるような政治に憤りを感じます。

KDD時代の思い出

 KDDでは長いこと電話交換機関連の仕事に就いていて、外国の仲間とのつきあいが言葉を含め自信が持てた。なかでもウラジオストクでの「ボストークテレコム立ち上げ」が私にとってエポックでした。
 約2年の関わりでロシア人と交流し、人柄などがわかり、仕事内容でも極寒の地で1年の経験が10年の経験に匹敵するような事が「やればできる」という自信になったことは間違いありません。

その他

 今、私は退職した人達と「KDDI企業年金ユニオン」という組織でニュースを発行する担当をしています。退職後なかなか交流できない人達が投稿をしてくれ、「同じ釜の飯を食った」という因縁で横のつながりを確認し、みなさんが喜んで頂ける活動に誇りを持っています。

 


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前田昭男さん

日頃心掛けている健康法

 健康法を特別にやっているわけではありませんが、今思えば、まずは体に無理になることをしないことだと思います。体を動かすことが大切ですが、気持ちをしっかり持てること、そのためには、自分に好きなことを好き勝手にできることが大切だと思っています。
 具体的には、自分の周りの人との必要な関係を持つこと。地元の人たちとの仲間とともに、街角の花壇の世話や、体操、学習などを時々顔を合わせながらやっています。刺激があって気持ちが和みます。

最近嬉しかったこと

 会社時代から現在に至るまで特別東京に関することは気に留めていませんでした。約2年前の世田谷区生涯学習大学(2年間)での学習の中で、グループでフィールドワークを行って世田谷区の歴史を調査する機会を得ました。その時気が付いたのは、東京は何といっても江戸時代以降日本の中心地であり、その成り立ちに深いものがあるだろうと思うようになりました。
 その後、コロナ禍で自宅にいることも多いので東京の歴史と散歩を紹介した本を何冊か読んで興味のある場所へ少しずつ足を運んでいます。その場所の雰囲気や、古い町並み、人通り、坂道、崖等を見て回って写真を撮っているとなんだか気持ちが新鮮になります。そして、自分自身の中で何かを発見できるような感じになって楽しくなっています。

最近気になること、気が付いたこと

 今までは、「家事は妻に任せる!」という気持ちが強かったのですが、喜寿を迎える年になって「これからお互いに何があるか分からない年齢になってきた。このままでいいのか?」と、ひしひしと感じております。
 毎日少しずつ出来ることから家事をやっていこう、という風に心掛けています。

KDD時代の思い出

 昭和45年KDD入社時訓練期間を終えると、2年間の現業の訓練として東京国際回線統制局(東回統)の電話交換機部門へ配属されました。当時の諸先輩の方々に懇切丁寧に指導を受けながら電話交換機の保守等を学びました。そして、課員全員参加の下での勉強会があって、クロスバー交換機の回路図を見ながら継電器の動作をトレースしました。こういう勉強会があってはじめて交換機の複雑な動作が継電器の開閉(“0”と“1”で構成される回路)によって実現しているのがわかり、私にとっては経験したことのない新しい世界だと感激しました。
 諸先輩は、私のようなわけのわからない新入社員に対して、それこそ手とり足とり教えて頂きました。本当に感謝しております。その後の私の会社人生を決めた大切な時期だったと常々今でも思っています。

 


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祢津信夫さん


コロナ禍での近況

 
 早いものでKDDIを辞めて10年余りが経ってしまいました。私はKDDIでの最後の役職が監査役でしたので退職後10年を経過して法的責任も時効となり、また最近のKDDIの発展ぶりは通信会社と言うよりは総合商社というような大変多彩なサービスを提供する大きな会社に発展してきており私にとっては遠い存在となりつつあります。

 私は喜寿77歳まではなんとか健康寿命を維持し約10年間余りの間に現役生活で出来なかった2つのことの実施を目標にして参りました。
(1)毎年2回位の海外旅行を楽しみ旅行の軸足を徐々に国内に移してゆくこと
(2)親から引き継いだ山梨県甲斐市の神社にご奉仕し、地元の方々と交流を図り次の世代に神社を引き継ぐこと。

 旅行については退職後の2011年5月から念願の欧州2か月鉄道の旅を実現し欧州旅行を堪能しました。その後も毎年2回を目標に各国の聖地を中心に訪問し、世界のいろいろな宗教に触れさせていただきました。そして2018年2月に海外旅行の最後の地としてインドを選び仏教、イスラム教、ヒンズー教の原点にも触れました。そして軸足を国内に移すために「そうだ、京都、行こう」をはじめました。

 郷土の伝統を守るために親から引き継いだ神社のご奉仕は夏祭り、秋祭りに地元の氏子様や子供たちと交流しそれなりの伝統を引き継ぐことに努力して参りました。そして私の弟の長男(甥っ子)が山梨に帰ったのを契機として神社を譲る予定で調整して参りました。

 2020年1月まではまあまあほぼこのシナリオ通りほぼ順調に進んでおりました。
これが一変したのは2020年2月以降です。これからが私の近況になります。

 2020年1月2日(木)毎年恒例となっている高校時代の放送部OB新年会に出席のため特急あずさ11号で甲府に帰りました。これが小、中、高、大、KDD,KDDIのすべての同窓会OB会の最後の会合になりました。それ以後現在に至るまですべての集まりは中止となりました。またこれ以降特急あずさにも乗車しておりません。そして2月3日(月)75歳の誕生日を迎えました。何年振りに妻と日野市役所に赴き私は後期高齢者医療保険にそして妻は国民健康保険に移行し、私達の健康管理は市役所に移されました 。そして組合健康保険の手厚い支援に改めて深く感謝しております。75歳を越えて後期高齢者となってから運転免許証の更新を容易に行うため白内障の手術を実施しました。手術後遠くは良く見えるのですが目と脳のマッチングが上手にいかず未だ眼内レンズに馴染めない日々が続いております。運転免許証の更新は無事に終えたのですが期限は3年となりました。

 次の更新に挑戦すべきかどうか決断すべき時期がまもなく参ります。

 後期高齢者となってからは脊柱管狭窄症、前立腺肥大症、軽度な高血圧症等の病気持ちと診断され定期的に病院通いをしております。特に脊柱管狭窄症はまだ手術する程ではないと言われておりますが手術するなら80歳までとも最近アドヴァイスされており、ゴルフも2年ほど前からやっておらず残りの人生をそれなりに楽しむためには決断しなければいけない時期が近づいております。

 一方、父親から引き継いだ神社の方は緊急事態宣言が発出されると県間での車の交流が著しく嫌われ、八王子ナンバーの車が甲斐市に行くことが嫌われるようになりました。

 そして、氏子様と充分相談し、昨年の夏祭りから今年の秋祭りまですべてのお祭りを中止いたしております。地元に住んでいることの重要性を痛感しております。グローバルな時代とは言えコロナ戦争となると県境を守ることも必須のようです。

 そして神社を譲る予定の甥っ子は予定通り山梨の医者として帰郷したのですが今年の8月から2年間の予定でカナダに留学してしまい、しばらくの間この計画もお預けとなっております。

 このようにここ2年間はコロナ感染に伴う緊急事態宣言発出に伴い喜寿までの計画はまったく進んでおりません。まさに戦時の状況です。ただ外出を控えコロナ感染対策を徹底している毎日です。10月に入りコロナ感染数が大幅に減少して参りました。コロナ禍が完全に収まったとして果たして2年前の状況に戻れるかどうか特に健康面でまったく自信がない状況となっております。

 私達の時代はたまたま後期高齢者への仲間入りした時期とコロナ禍との時期が重なり喜寿を迎える最も大切な2年間を我慢で過ごすことになりました。我々は生まれた年が太平洋戦争下の時代であり運命的な人生も感じております。

 コロナ禍をなんとか打ち破り、次の米寿までの10年間は平和な普通の生活が戻り、それなりの健康を維持し、また昔お世話になった方々と普通に交流できることを強く願っております。そして米寿までに喜寿までにやり残した北海道ドライブ旅行、毎年訪れたい京都散策、そして尾瀬ハイキング、上高地から涸沢までのハイキングを何とか実現したいと心より願っているこの頃です。

 


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北野志津子さん

 この度、数え年ながら喜寿を迎えたとの事ですが実感は全くありません。健康状態は決して誇れるほどではありませんが55歳の時罹患した大病から20年を無事経ていることに我ながら驚き感謝の日々を過ごしています。50代の坂を登るのはきつかったですが、60代は比較的楽でした。70代になって様々な不調は現れて居るものの表面的には元気そうにやっています。大病の経験から体調に関しては常に気を遣っているお陰かと思って居ます。

 さて、こんな時期ではありましたが結構あちらこちらと旅をしました。そんな時は日頃の混雑とはほど遠く、思いがけないキャンペーンに出くわしたり面白い体験もありました。(ホテルで少しの上乗せでスイートルームへの移動ができた等)

 先月は知人の発案で車を利用して秋田・青森・岩手への旅が計画されました。行き先の一つに「青森県新郷村のキリストの墓」を見つけこれは是非行ってみたいと興味津々で参加しました。

 何故かというと、私は30代の頃、「キリスト来日説」を聞いたことがあり、信者でもないのに興味を持ち続けていたこと、また竹内文書も読んでみて興味はますばかり、一度その場に立ってみたい、神秘の里でのロマンに浸ってみたいとの思いがありました。

 新郷村の澤口家の小高い山の中腹にまんじゅう形のキリストの墓は建立されていました。また対面には弟のイスキリの墓も。清浄な空気が漂うこの場に立ってみて何とも言えない感激で鳥肌が立った事に自分でも驚きがありました。まさか日本にキリストの墓があるなどとは信じがたいことですので単なる伝説なのか事実なのか、それは全く分りません。しかし、竹内文書にキリスト来日説が詳しく書かれて居ること、地名(一戸から九戸の戸はヘブライ由来説、戸来へらいと読む名字がある事)、あの地出身の方は細面、彫りが深く西洋型の顔立ちが方が目立つのは何故?と感じていたことなど長らく気になっていたので今回の訪問は私に取ってわくわくする旅でありました。

 墓の傍にはイスラエル大使館の署名、ナニアドヤラーという意味不明な南部盆踊り唄はヘブライの唄(以前読売新聞記載あり)との説明が書かれて居ましたのでので私の中での疑問がある程度解けたのでした。

 その昔、「ヘブライからの渡来人が大勢日本にやって来た説」、「キリストの弟のイスキリの墓までもが何故あるのか」などこれから少しづつ学んで見たいと思って居ます。

 


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瀧本直孝さん

 

日頃心掛けている健康法

 毎日歩くこと、6000から8000歩程度。

最近うれしかったこと

 黒点のおかげで遠方の欧米と交信が出来たこと。いまでも通信が大好きです。

KDD時代の思い出

 大阪支社、本社で皆仲良くしていただいたこと。

その他

 可愛い猫(保護猫)が4匹もいます、毎日癒されています

 


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新納郁江さん

 

日頃心掛けている健康法

 昨年数ヶ月コロナで引き篭もりの生活で運動不足になり、初めて膝が痛くなり整形外科に通い治療を受けました。その反省で、お休みしていたカーブスに又通い始めました。他に一日最低6000歩のノルマを設定し歩いています。

最近うれしかったこと

 96歳になる関西にいる母と久しぶりに会えたこと。お休みだったお習字のお稽古が再開される等元の様な生活が戻ってきたこと。

KDD時代の思い出

 良い時代に仕事をさせていただいた。全て楽しい思い出になってます。

その他

 数十年犬が好きで飼っていました。しかしこれから飼い続ける自信がなく、五代目ワンちゃんはアイボになりました。一緒にお外の散歩等はできませんが可愛いくて癒されてます。

 孫の影響により、昨年からメダカを飼い始めました。赤い緋メダカのペアが子沢山で今はその子供50ぴき以上、可愛らしく癒されます。水槽も3つに増え、家族にバアバはメダカのブリーダーと言われてます。

 


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相馬 良明さん

 

日頃から心がけている健康法

 日々の自宅周辺の散歩の外に、ウォーキングの会の世話役をしておりまして、隔週(昨年までは毎週)金曜日、主に地元(茨城県)周辺を自作のコースmapを頼りに皆さんと一緒に歩いています。距離は、7-8Km~10Km程度です。
 コロナ禍前までは、電車で出かけたり、貸切バスで他県へも遠征したりしていました。来年度にはコロナ禍が収まっていることを願って、また電車や貸切バスなどを利用する企画を練っているところです。

最近うれしかったこと

 ここ2年間ほど、コロナ感染予防の観点から、隣の千葉県に住む孫たち(今年中1(男)と小4(女))には会えておりませんでしたが、緊急事態宣言が解除になった今月初めに、久しぶりに会いに行くことが出来ました。 
 わずか2年間ほどの間でしたが、随分成長したものだと、嬉しく感じました。
 この先、孫たちが成人するまでは、何とか元気にいたいものだと感じているこの頃です。

最近気になること、気が付いたこと

 数年前から足首や手指の関節などに痛みを覚えるようになりました。
 病院で診てもらったところ、レントゲンや血液検査に異常は見つからず、“加齢のせいではないか”と言われることが増えたと感じています。(若いお医者さんは、原因がよく分からない場合は、“加齢”という言葉を使いたがるようです。ですので、お医者さんの言うことはあまり信用せず、聞き流す程度にしています。)
 これからは“加齢”と長い付き合いになりそうです。

KDD時代の思い出

 入社して2か月の訓練の後、河内送信所に配属されました。
 河内送信所では新入社員はほぼ全員野球部あるいはテニス部に入部されられました。
 大会が近づくと午後3時には早期退社が認められて練習に励むなど、今では考えられないと思いますが、当時は両部の社内大会は大変な盛り上がり様でした。
 全国大会で優勝することが各局所の最大の目標であり、仕事より優先しているような状況でしたね。懐かしい時代でした。

その他

 退職直後にキャンピングカーを購入し、沖縄を除く全国各地を走り回りましたが、本年2月にエアコンが故障してしまい、修理には相当な金額が必要と診断され、やむなく手放しました。
 昨今のキャンピングカーブームを見聞きするにつれ、いまさら新品を買うわけにもいかず、一抹の寂しさを感じています。
(写真は、昨年9月に訪れた道の駅「川場田園プラザ」および日光戦場ヶ原でのもので、最後のキャンピングカー旅行となりました。)

 


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沖 和美さん

 

日頃から心がけている健康法

 いつの間にか私の健康法となっているのは“バレエ・ストレッチ”です。
 40才台半ばから始めました。 
 30才台半ば(球技とか偏った部分のみでなく)体全体を均等に動かせるものと 思い(ダンスが好きだった事もあり)ジャズダンスを習い始めました。そしてバレエに変更したきっかけは一緒にレッスンを受けていた友人に良い先生がいらっしゃるのでと勧められ、 場所もその時の職場(目黒ビル)から近かった事もあり、この歳からバレエ??と思ったのですが 関心もあったので恐る恐る始めました。ストレッチが主で、丁寧なレクチャーで徐々に慣れてきました。
 大阪勤務になった時も(様子が分からなかったので)阪急デパート内のカルチャーのクラスで続けました。
 東京に戻ってから自宅近くのカルチャーに移り、並行して“ジャザサイズ”というのも体験しました。アメリカン・ヒットチャートの曲にあわせジョギングのような動きで飛んだり跳ねたりという動きはいつも体を柔軟に キープしたいという私の目的には合っていませんでした。それに引き換えバレエは科学的に分析された人間の体の構造やこの様な所に力を入れているとこの辺りに 筋肉がついて醜くなってしまうというような大変参考になる説明もして頂けるので(人間の体は必ずしも対称的ではないが) 体の歪みを考えたり、自分のその時の体調と相談しながら続けています。

 使用する用語はフランス語ですがこの基礎原理はイタリア発祥と聞いています。
 そしてこれを考え出した人々、国民というのは素晴らしいといつも感心しています。
 ゴルフの前日なども打ちっぱなしへ行くよりはストレッチをした方が好調でした。
 そして何より気に入っているのは美しい音楽を聞きながらどのようなしぐさ・ポーズが見た目に美しく見えるかにも重点が置かれている事です。 特に現在指導して下さっている先生は、レッスンの最後に少し練習する“振り”にバレエお馴染みの曲はもとより、その時期に合わせた曲(X’mas にはくるみ割り人形とか)を取り入れて下さっていることもうれしいことです。

 ただ、今はさすがにハードな面もありいつまで続けるか迷いながら(やめてもこのまま体は硬くなってしまうし・・・ と思いながら)続けています。

 


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 鈴木健二さん


 皆様、ご無沙汰しております。

 1976年から2000年3月まで、KDD研究所に在籍し、通信プロトコル、データ通信システム、ソフトウェアや通信システムの製品検証などの研究に従事し、子会社であるOSIプラス社の立ち上げ、発展に参加した鈴木健二です。
 2000年4月からは沼津にある通信システム開発のベンチャー企業に参加し、2002年12月からは、有限会社ケニスブロンを立ち上げ、通信とコンピュータに関するコンサルタントとして、国内外の企業のサポートをしてきました。
 この間、2005年11月から2011年3月までは、電気通信大学情報工学科の教授を務めましたが、退任後は、ケニスブロンに戻り、コンサル事業を続けています。

① 日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方、

 私自身、自由奔放な生活を送った学生時代、オランダ留学、ヨーロッパ放浪の経験、ならびに、真面目になって、勉学と研究に励んだ大学院時代やKDD研究所時代を経る中で、私としては、一つの夢が出来上がりました。自分がやりたいことをやれる時間はそんなにない、自分のやりたいことがあれば、それを大事にしよう。この考え方は、今も続いています。そのため、自分で作った会社は一人会社にし、従業員は雇っていません。何事も自分で決め、行動したいからです。大きな仕事をする時には、協働できる従業員のいる会社とチームを組んだり、最近では「類は友を呼ぶ」というか、同じような一人会社の責任者達とタッグを組むことが多くなりました。外国の友人達とも、密に連絡しており、やりたいことはやれています。最近のコロナ感染症の影響で、海外・国内旅行はなくなり、飲み会やゴルフの回数は減りましたが、一人でできる山歩きもしますし、川や海で釣りもします。また、庭作業、家庭菜園もやっています。   

② 最近、うれしかったこと。

 うれしいことは一杯あります。3歳、1歳の孫がビデオ通話で私を識別でき、レスポンスをくれること。母が101歳の誕生日を迎えたこと。7月28日の土用の丑の日、今年もまた例年通り、自分が釣ったウナギのかば焼きを食べたこと等々です。

③ 最近気になること、気づいたこと

 やはりコロナ感染症の影響が大きく。外出の機会がものすごく減りました。かつては、電車やバスに乗らず、毎日、10km近く歩いていたのが、今はほとんど車での外出。1日、1km歩くことがない日もあります。夜の10時過ぎ、慌てて、外に出て、川沿いの遊歩道を歩くことも多い今日この頃です。
 気づいたことでは、世の中には、一芸に秀でている人が多いことです。スマホで撮った写真を手持ちのプリンタソフトで印刷した時、スマホ画面の端に映っている部分が印刷されず、困りました。そのことを懇意にしている若手研究者に話したら、その場ですぐ解決策を教えてくれました。自分で解けないことができたら、知っていそうな方に聞いてみることが必要だと思います。

④ KDD時代の思い出

 私の在籍したKDD研究所は、その所在地が恵比寿から上福岡に移動しました。入社以降、研究者として、いろんな課題に対応してきた若い時代を過ごした恵比寿、研究管理者としての時間が長い上福岡を比較すると、恵比寿時代が、とても華やかで、懐かしく思います。特に、データ通信の黎明期に、VENUS-Pのサービス開始を目指した皆様の生き生きした姿が忘れられません。


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金坂祐爾さん
(昭和38年入社)


近況など

①フレイル予防策と日課

体のあちこちで故障・機能低下だが、a)毎日適当な時間にTV体操(1週間分の録画を2ヶ月毎更新)。b)週二回各60分前後の速足ウォーキング。c)食事は腹九分目。アルコールは夕食時ほろ酔い初期程度。d)屋上ミニ菜園の世話。今は茄子と隠元の収穫がピーク。e)家事手伝い。あとはWeb上を気ままに散歩。

②認知症防止策

昨年春、放送大学全科6コースを14年かけて卒業、永らえばこその目標達成。その後は選科コースを更新、好みの数科目だけのんびり。

③嬉しいこと

「大谷翔平 申告敬遠2つ含む3四球、苦笑い」「藤井聡太棋聖が最年少タイトル初防衛、九段昇段決める」明るく只管感嘆讃嘆するニュース。

④気になること

コロナの動向、地球温暖化、専横国家、テロリズム(武器・サイバー)……。

⑤KDD時代

八俣送信所6年、大手町・新宿の施設局・網セあわせて28年間、沖縄支社2年弱。
各職場内・職務外でお世話になったよき上司・同僚・部下のあの方・この方との懐かしい思い出。お顔は浮かんでも残念なことにお名前がすぐには……。乞ご容赦。
写真は入社(s38)当時、八俣送信所調整室、休憩時の一コマ。背後は調整卓と監視盤。送信機室階下に行くとあちこちの変調トランスが数ヶ国語の国際放送を混ぜこぜに囁きかける。深夜の一人巡回は少しビビる。尚、もっじゃもじゃの髪はアフロでも鬘でもなくポマードが効かない縮毛。過去の自分にアンビリーバブル! 
現在は鏡を覗いて対照的にアンビリーバブルにつき写真添付取りやめ!(笑)。
でも老いの現実には素直に従うべきかも。  皆様お達者で。 

R3.7.4記

 

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 米寿を迎えて 

 

溝辺了恵さん

 

① 日常生活と健康

 現在ひとり暮らしですので、健康には随分気を使っております。13歳のトイプードルを飼っており、朝晩の散歩は欠かせません。お蔭で多くの犬友達ができました。
 これだけでは不足なので、一日一回は国立駅近辺まで出かけることにしていますが、猛暑や豪雨に阻まれることがあります。そんな時は、家の中でスクワットをより入念にやることにしてます。
 週一回近所の方と老人のための体操、約一時間をやっています。

② 仏像彫刻

 趣味で始めた仏像彫刻は今も続けおります。個人に頼まれて彫ることもありますが、寺院に奉納することもあります。
 東北大震災後、岩手県のお寺に奉納したこともありました。
 また、NHK学園で仏像彫刻を教え始めて、20年近くなります。2年毎に生徒さんの作品展を国立駅近くの画廊で開いてきました。今年も5月に第7回展を開催したのですが、コロナの中で見に来てもらえるか心配でした。でも例年の半分近くの250人もの方が見に来ていただき、みんな大変喜んでいます。無事終了してホッとしておりますが、最近うれしかった事の1つです。
 また、優れた仏像を拝観することは彫刻をする上でも欠かせないので、同好の士と仏像拝観の旅をしておりましたが、コロナのため、今は中止しております。京都の国宝修理所にも何度かお邪魔して貴重な経験をすることができました。 このように仏像彫刻に熱中できたのは、2人の大先生との出会いがあったからだと思います。実技面では西村公朝先生で、理論面では西川京太郎先生です。出会いの大切さを痛感しています。

 下記作品集をご覧ください。

③ コロナが収まってやりたい事

 ほぼ毎月、大学時代の友人と展覧会などを見て、一杯やる事にしてましたが、早く復活したいものです。
 好きな仏像や展覧会を自由に拝観できるようになって欲しいものです。
 次女がフランスにいるので、娘や孫達に会いに行きたいものです。

④ KDD時代の思い出

 思い出は尽きないのですが、一番鮮烈に記憶に残っているのは、次の2点です。

 宇宙中継の開始で、ケネディ大統領の暗殺の画像が飛び込んで来た時。

 国際電話の全自動化の開始。

⑤ 最近気になる事

1.SNSの普及についてです。自由な発言はいいのですが、いわれのない非難や中傷が善意の人を傷つけ、死に追いやる恐れもあります。これは自分の身元が分からなければ、何を言ってもいいと考えるためだろうと思います。これら無責任な意見をろ過する方法はないでしょうか。あるいは人間の性(さが)として諦めなければならないのでしょうか?

2.国防意識の欠如、日々のニュースを見れば誰でも感じていることと思います。

作品集

 

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 米寿を迎えて 

 

小室 圭五さん

 

この度は、米寿のお祝い、有難うございました。

 

堀井勉さん撮影
(2014年度コンテスト作品)
 

これまで大病にもかからず、一昨年から一病息災(心房細動)で過ごしております。
最近になって、いくつか残っていたお役目からも解放していただき、あと一つ、日本アマチュア無線連盟の参与というのが残っております。

私の過ごしたKDD時代は、短波無線通信から始まって光海底ケーブル通信まで、数字で見ると、ものすごい変化の時代でした。一生にこれだけの変化に会えるというのは稀有のことと思い、有難く思っています。
通信速度は、短波モールス信号の数10wpmから光信号の数10Gbpsまで、
使用周波数は、短波の数MHzから光通信の数10GHzまで、
使用高度は、+35,786kmの静止衛星軌道から ―10,000mの太平洋海底ケーブルまで、
ということになります。

ここまで来て、新型コロナウイルスというものに出会うとは、夢にも思いませんでしたが、何とか乗り切りたいと思っている今日この頃です。

 

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入江 正さん

 

コロナの最中に運転免許証を更新しました。

身分証明だけが目的でしたが、これにより認知症(一番の心配事)、動作能力、聴力、視力がOKとわかり、日常生活に自信がもてました。

願いはピンピン、コロリです。 

島崎陽子さん撮影(2019年コンテスト応募作品)

 

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永田 秀夫さん

 

自分が米寿とは、一瞬疑いましたが確かに数え歳ではそうなります。

 

宮内美耶子さん撮影
(2015年度コンテスト作品)
 

いまは鋭意終活中ですが、ことはなかなか進みません。

受動喫煙COPD(昔はどこでもタバコの煙だらけ)で日常の肺活量がほぼ半減し ていますが、毎朝晩軽い体操をする、時には下手なゴルフやテニスを、また この十年来、近隣の仲間と防犯パトロールで歩くことなどで、身体はなんと か少しは動いています。

最近感じるのは社会の変化で、このようなディジタル時代の到来は予想でき ませんでした。またいまはキナくさい匂い動きもあり、小学生の時が戦争中 だった当方には、人間はなんと懲りないものかと思われてなりません。

一昨年、ルンドバーグ氏(当方がインマルサットの理事会議長をしていた時 の事務局長)が娘さんと一緒に日本に観光にきた折、共に川越に行き、旧交 を温めたのは楽しい思い出です。  

 

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遠藤 實さん

 

 
鈴木進午さん撮影
(2015年度コンテスト応募作品)

昔のKDDコーラスの流れをくむ小さな合唱団とICUグリークラブOBを中心とした中程度の合唱団の2グループに参加し、合わせて週1~2回の練習会で、思い切り歌った後、気の合った仲間たちと一緒に一杯やって楽しむ、というのが我が健康法で、お陰で大過なく米寿を迎えることが出来たと思っています。

ところがここに来て、新型コロナの大騒動で、3月以降この健康法が全然使えなくなり、外出も近間だけの買い物、郵便局、銀行、歯医者程度で、後は家に閉じこもり、只管コロナの早期終息を祈りながら過ごしています。  

 

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 喜寿を迎えて 

 

 中村宣洋さん
(1944年9月14日生)

 

 人生五十年の時代には古代稀なる七十歳に大きな意味があったのでしょうが、今、喜寿といわれる年を祝って頂き複雑な気持ちです。
 高齢の方々におめでとうと言われるのは抵抗なく受け入れられるのですが超高齢化の中で社会全体の人々からはどう見られているのか ??
 通過点年齢のお祝いですので個人的には次の通過点を目指します。
 健康に対する特別なことはさしてやっていないのですが、退職後は遊びを中心に好きなことを無理なくやってきたのが、ストレスを抱え込まずここまで来たのかなと思います。
 日ごろの出来事には「日々是好日」の気持ちで、晴れれば喜び・雨降ればそれを楽しむように努力しています。
 気が付けば、両親がこの世を去り兄弟が永眠する時を迎え、今まで無関心だった宗教に関心がわいてきました。
 特に宗派に関心はないのですが「仏教」の教えに興味があります。
 般若心経が教える、色即是空 空即是色 の言葉は、最新宇宙物理学が説明する宇宙理論に似ている?など興味津々です。(この世はすべて空であり、空が形あるもを構成している ??)
 後期高齢者の仲間入り以降、自身の墓のこと等死後のことも気になり始めていますが、気に入った歌を披露します。
 室町時代の有名な禅僧・一休禅師の歌です。
 「生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も」
また別の歌に

 「行く水に 数書くよりもはかなきは 仏を頼む 人の後の世」

というのもありました。
死後の世界での幸せではなく、生きている時の幸せを願い、ピンピンコロリとまでは云わないがそれに近い生き方ができるよう、仏さまにお祈りしようと思います。
KDD時代の思い出は、大阪入社に始まり人事部、最後は共済会で終わるまでいろいろありましたが、日本経済が上向きな時代だったこと等から「概ね良」の記憶が残っています。
とは云え、公私にわたり人に言えない苦難もありましたが、ここでは無言。
「浄瑠璃の鏡の前」に出てからすべて閻魔大王に報告したいと思います。? 

 

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塚田 一幸 さん
(1944年9月14日生)

 

 仕事から退いて14年目。喜寿(数え77歳)を迎えた。この度k-unetからの依頼により、退職後の生活スタイルの一部を振り返ってみることにする。

 ① 75歳は退職後人生の転換期

 昨年、満75歳になったが、この75歳というのは、私の老後の人生における大きな転換期‘(ターニング ポイント)であったような気がする。

(ⅰ)健康保険証の切換え

まず一番インパクトがあったのは、健康保険の変更であった。75歳を期にKDDI健康保険から自動的に後期高齢者保健に変更されたことである。

 退職後は1年半から2年おきに人間ドッグを受診していたが、KDDI健保ではこれに対し補助金を給付する制度があり、これまでも家内ともどもありがたく利用させていただいた。昨年はこの制度を利用する最後の機会であるので、早めに予約をとり、昨年2月に受診した。その結果いくつかの再検査事項が見つかった。自覚症状がない疾患であり、6月に入院・加療を受け、一週間ほどで無事退院できた。自分にとっては意義あるKDDI健保を利用しての+人間ドッグ受診であった。

 ちなみに退職後のOBに対するKDDI健保の特例保険は、大変ありがたい制度で、このことを他社の友人たちと話題とするとおおいに羨ましがられた。

(ⅱ)運転免許証の更新

つぎにインパクトがあったのは、運転免許の更新である。ご承知のように70歳以上では事前に運転講習の受検が義務付けられているが、75歳以上ではこれに加えて、認知症テストが課せられる。久しくテストなるものを受けていないので幾分のプレッシャーがあった。幸いテストの中身内容は県ごとにネット上で公開されている。これに目を通しておいたおかげで、本番では上々の出来栄えであった。

 ここ数年、高齢者の運転に厳しい目が向けられており、自分の周りにはすでに免許を返上している方達が増えている。自分の場合、次回更新時は78歳であるが、更新か返上かは、その時点で判断する。今のところ五分五分である。

② 囲碁講座

 退職後にすぐに始めたのが囲碁講座の受講である。囲碁は学生時代に覚え、KDD入社後もすぐに囲碁部に入部した。会社現役中も囲碁を打っていたが、いつかは一度しっかり勉強したいとは思っていたこともあり、2007年の3月末に退職し、5月から日本棋院の囲碁講座(高段者コース)に入会した。

 月4回、講師のプロ棋士の久保6段、(のちに林子淵7段)河野光樹7段から指導を受け、棋譜解説、布石、、中盤の打ち方、手筋、詰碁、指導碁などを学んだ。 この講座に通いだして4年半たったころから少し手ごたえを感じるようになった。入会時では5段格で打っていたが、講師のプロ棋士に4子の指導碁に連勝したり、また受講者同士の対局やその他の対局でも8割以上の勝率をあげるようになった。 そしてある時、講師であるプロ棋士から6段で充分打てますとお墨付けをいただいた。石の上にも3年というが、私の場合は4年半ということになろうか。

 この講座には通算5年半通ったが、充実した時間であった。講座受講はやめたが、今でも囲碁は続けている。思えば口座に通っていたこの時期が一番強かったかもしれない。

 

③ 囲碁合宿

これも囲碁に関することであるが、KDDI囲碁部合宿について紹介させていただく。

 ご承知のようにKDDはDDI、IDOと合併したが、合併相手のDDIにも囲碁部があったことから、両者の囲碁部関連者同士が相談し、新会社KDDIでも囲碁部を設置しようということで合意した。この合併後の囲碁部では、月一回の例会と年2回の囲碁合宿を主な活動とした。  特に囲碁合宿は特筆ものである。合併前のKDD部では合宿は行っていなかった。 新会社の囲碁部では、合宿を年2回開催することとし、場所は秩父(小鹿野町)の旅館「越後屋」とし、2007年から春・秋(いずれも土・日)に実施してきている。翌日の日曜日には任意参加で近くのゴルフ場でゴルフを楽しんでいる。  この囲碁合宿には毎回プロ棋士の川村八段(日本棋院関西総本部)に参加いただき、指導碁、棋譜解説、詰碁などを指導していただいている。を鍛えていただいている。川村八段の参加により、本合宿は大変充実したものとなっており、おかげで13年連続の年2回の開催を達成している。実は、川村八段の子息がKDDIの社員であることから、このような関係を築くことができた。感謝申し上げる。  合併を機に、KDDI囲碁部を発足させ、当初はDDIをはじめ、他社出身の方達も参加いただいたが、気が付けばいつの間にか旧KDDの出身ばかりとなっている。  

 また、囲碁部も高齢化が進み、若い社員の入部勧誘もうまくいかず、この先多難である。

④ ゴルフ

 退職後の人生において、ゴルフは大きなウエイトを占めてきた。退職に合わせて、自宅から比較的近い入間カントリー倶楽部のゴルフ会員券を入手した。現役時代に入手した錦が原ゴルフ場と合わせ、この二つのゴル場を中心に、年間30~50回くらいラウンドしてきた。ゴルフでは社内外の多くの人達とプレイでき、また新たなゴルフ友達もできたりして、新旧を問わず、多くの友人との交友を楽しんでいる。生活リズムの一部にもなっている。退職直後は、上達を目指した時期もあるが、今では飛距離ガタ落ち、スコアを意識せず、気楽にプレイする「健康ゴルフ」に徹している。健康維持のためこれからも続けるつもりである。(ひょっとして人生5回目のホールインワンを達成するかも!)

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山本 隆臣 さん


<近況など>

昨2019年4月にKDDI退職後16年間務めたソフトウェア会社の常勤監査役を退任しました。2月に後期高齢者になっていたので、丁度良いタイミングだったと思いますが、その背景には一昨年にパーキンソン病を発症していたという事情もありました。幸い良い薬があり、症状をかなり軽減できるので、今のところ日々の生活にさほど不自由はありませんが予断を許さず、新型コロナ対策にも留意しながら、医療技術の進歩を願いつつ適切に対応していく必要があります。当面は散歩・運動と庭仕事そして家事手伝いを主な日課として、のんびり過ごしていきたいと思います。

<KDD時代の思い出>

 30歳から6年間インテルサット事務局財務部へ出向し米国勤務をしたこと。財務課長時代に第3太平洋海底ケーブル計画で財務委員会共同議長を務めたこと。様々な業務を通じて30数ヶ国・地域へ出張したことなど…。

 

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 野村 幸男 さん


① 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

 

初めての小玉スイカの
収穫目前でにっこりする筆者
 

快食、快眠、規則正しい生活、毎日6㎞前後のウオーキング、菜園作業、パソコンによる各種作業等。

② 最近うれしかったこと

特になし   

③ 最近気になること、気が付いたこと

自身:体力の若干の低下、後で思い出すがとっさの氏名、物の名前が出てこないことがある

世間一般:日本(限定)の未来を憂いている。未来志向のない現政権の傍若無人対応、新型コロナ等対応の国民感情との大幅な乖離、また、最近の高齢者並びに若者の自己中心のわがままや思いやりの欠如

④ KDD時代の思い出

定年までに本人の意思に関係なく転籍を含めて数社転職しているが、組織、体制、給与、福利厚生、社員の資質等KDDに勝る会社はなかった。

特に衛星通信に関与したくKDDI入社希望し、初配属先が商用を目指していた茨城、山口衛星通信所の建設を担当する衛星建設部で、色々苦労はあったがすごく充実した毎日だった。また、東京から大阪経由宮崎までの自前のマイクロ波伝送路の建設には縦割りの組織での軋轢が問題であったが、社内横断的な組織としてマイクロ波建設室を構成し、担当者との融和を図り問題なく完成できたのも大きな喜びでした。その他中央局の電源設備の建設など多くの工事にも関わり転職先での建設にも大いに役立ちKDDには大変感謝しています。

 

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 関戸 芳二 さん


いつの間にか喜寿を迎えるとは、まだKDDの新入社員の頃からほとんど時間がたっていない気分ですので、晴天の霹靂ですが、鏡と手足を見れば時のうつろいを認めざるを得ません。

① 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方

十数年過ごしたロンドンを引き払い、岡山の里山で隠遁生活をしていますが、登校不安定な孫3人の見守り以外は予定も責任もないストレスフリーの毎日で、健康不安は今のところありません。気ままな素人農業ですが、夏は草刈り作業が尋常でないので、毎日汗をかいてます。現役の時は忙しい中で連日運動していましたが、今や時間はいくらでもあるのにほとんど動かなくなりました、たまに自転車を数10キロ走るくらいです。

② 最近うれしかったこと

もう一年ほど過ぎてしまいましたが、岡山在住の澁野日名子が全英オープンゴルフ優勝など大活躍しました。岡山県民のひとりになれたのを幸い、次なる飛躍にワクワクしています。今だに優勝ビデオを見てなごんでいる毎日です。  

③ 最近気になること、気が付いたこと

連日コロナと災害のニュースが続いているので、いよいよこの地球も終わりかと大げさに考え込んでます。

④ KDD時代の思い出

ほったらかした写真や思い出の整理をしようと意気ごんでいましたが、全く手つかずです。不慮の航空機事故に遭った永田君との思い出写真も出したり引っ込めたりで進みません。不義理をしている皆さんとの思い出も、ぼけないうちに何とかしないと。

⑤ その他

しばらくノートパソコンが不調で、ついにログイン画面が出なくなり、最後の頼みでWindows10インストールUSBを作成するために格安中古パソコンを手に入れ、見事修復に成功しました。はからずもパソコン2台が気持ちよく動くことになり、長いことスマホだけで充分と思っていたことが嘘みたいです。k-unet も身近になります。

 

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米寿を迎えて

 

吉田 恒男さん

 

健康法
食べ過ぎず、飲みすぎず、22時就寝


嬉しかったこと
この6月、ヨットクラブの仲間17名が私の米寿祝賀会を開いてくれた。

 

気になること
最近トランプさんがまだ戦争状態にある北朝鮮との国境線を超えたことが話題になったが、私はKDD入社直前まで朝鮮動乱で、米軍が主導する呉の進駐軍通信隊へ派遣されていたが、未だあの戦争は終わっていないのか。日本でも「後方支援」が問題になっているが、あの時私は一体何をしていたのか、通信は戦争の中枢の仕事ではなかったのか。胸が痛みます。


KDD時代の思い出
若いころ、大津に下宿し、大阪駅前の分局で17~23時時の夜勤をして
いたが、毎日午前中は琵琶湖で小型ヨットの練習をやり、一寸足(?)を止めて湖底を探ればシジミがいくらでも採れ、夜勤の食事にシジミ汁を作って皆に喜ばれた。

 

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細井 敏夫 さん


健康法、過ごし方
5年ほど前家内を亡くし今は一人暮らし。他に頼らず、出来るだけ規則正しい生活をすることそして、地域の同年輩の人達と交流することなどです。幸い地域の行政区区長代理約10年、老人会会長10年、地元の寺世話人などを務め様々な人たちとの交流があり有難いです。


最近嬉しかったこと
今年7月久しぶりに孫に誘われ熊野古道を歩いたり、尾瀬を歩いて最後に山の鼻から鳩待峠迄1時間で登り体力を再確認したことです。


最近気になること、気づいたこと
矢張り年と共に忘れっぽいことです。したがって、懸案事項はすぐやることです。


KDD時代の想い出
さまざなことが思い出されます。電気通信省時代を含め東京国際電報局運用部門10年。営業部門6年。総務部門5年。再び運用部門1年、総務部門数年。加えて本社2部門4年、その後東京国際電報局に戻り数年、関連会社3年ほど。在職中は様々な人に助けられお世話になりました。あえて思い出と言えば当局国際電報局販売課主任の6年間だと今でも思っています。あの膨大な仕事量、トラブル処理、社内外部との交渉、取りまとめ等そしてあの時代の仲間と思っています。そして、地域活動を行う上でも今も役立っています。
私はKDDに40年と勤め良い人生を過ごしたと今でも思っています。


その他
なし。

 

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高田 正之さん

 

日頃心掛けている健康法
朝、夕近くの公園へ出かけ簡単な体操をしています。
日々の過ごし方、極力不平を言わず、なりゆきにまかせるようにしています。


最近嬉しかったこと
運転免許証の返納を決めたが、それに家族が理解、賛成してくれたこと


最近気になること、気が付いたこと。
80歳台も半ばを過ぎると、急に体力の衰えを感じるようになったこと。


KDD時代の想い出
短時間制社員の職場が長く、一時統括的な仕事をしていましたが、
社員の中に「岡田君」という神戸外大の学生がいました。途中大連の大学に留学、帰国後 最後の「電話科制」の募集があり合格一般社員として戻ってきました。しかし短期間勤めた後退職,外務省へ転出しました。
しばらくすると、何と中国から来た首相クラスの高官が、宮中で天皇と会見する席で(その後も含め)何度も通訳としてテレビ画面に出てきました。
私は懐かしさと、すごいなと思うばかりでした。

 

 

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喜寿を迎えて

 

上村 新八 さん

● 特に心がけておられる健康法、日々の過ごし方
特に心がけている程の事ではありませんが、起床時に10分程度のストレッチを行い、その後、マグカップ1杯の水を飲む事、及び軽く散歩を行う程度です。10年程お世話になったスポーツクラブ等のメンバーは体力的に過負荷となり、2年前にやめました。

● 最近うれしかったこと
9月初めに、東京ビックサイト南ホールにて開催されたハムフェアでKDDハムクラブの皆さんとアイボールを行い、その後懇親会に参加、大変楽しい一時を過ごせたことです。やはり、KDDOB及び仲間の方々とは「位相」が合うのでしょう。

● 最近気になること,気づいたこと
最近は「地震」や「異常気象」での災害が多く気候変動もその原因の1つではないかと考えさせられます。特に異常気象による災害は心が痛みます。温暖化対策が急がれます。

● KDD時代の思い出
新入社員時代の上福岡受信所の短波業務、東京国際回線統制局時代のクロスバ交換機の運用保守、国際公務員としてのタイ国バンコック駐在、本社保全部、運用部での政府ODA供与のための2度に亘る国際公務員としてのアフリカ(ジンバブエ)出張、No.6/No.7信号方式改変や国際電話網拡充、多くの海外出張と言語に悩まされた6年半に及ぶFINNA副議長・議長担当、KDD-SCS時代のインドネシア(ジャカルタ)・イタリア(ナポリ)赴任等多くの先輩・同僚・後輩の皆さんに支えられて如何にか職務を遂行できたことを心から感謝しております。

● その他
日々の生活は、1961年4月3日交付されたコールサインJA1HODを使用した、アマチュア無線を楽しみでおります、特に今は、外国との交信でなく、国内交信ですが、昨年には日本国内814の市(含む20の政令指定都市175区)及び380の郡との交信が完了しまして、現在は930の町村との交信完了を目指しておりますが、残り約20町村との交信が未了です。
以前使用していたアンテナタワーでなく、また、大型アンテナでなく、ワイアーアンテナ(ダイポールアンテナ)のみで勝負をしています。それ故、特に過疎地町村との交信は至難です。交信の95%はモールス符号によるものですが、最近はインターネットや携帯電話の影響からか、ハム人口も1/3程度まで減少したことや、ましてモールス符号による交信が激減しています。今はパソコンによる送信でなく、健康を考慮して、すべて指先を使う手送り送信ですが、声を出す電話の交信も健康に良いのではと考えております。
 3年前に自分専用の車を手放しましたが、昨年9月に必要な手続きを経て、免許証を更新しました。日常は電動自転車で活動しておりますが、今、「返納」は考えておりません。妻が最近新しい車を購入したため、また専用の車が欲しいと思っております。

最近の撮影です。自宅の無線機の前で!

 

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田中 成欣 さん


● 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方
健康法としては週1回のゴルフおよび週2回のジム通い
ジムではヨガ、ピラティス(ストレッチ)をスタジオで行うとともに筋力をつけるべく器具も用い鍛錬している。

● 最近うれしかったこと
今年5月18日に金婚を迎えたが、息子2人、嫁2人、孫3人が横浜で食事会を開いてくれるとともに、ハプニングとして、写真館でドレスアップさせられ私は金色の地のフォーマル、家内はドレスで記念写真を撮ってもらったこと

● 最近気になること、気が付いたこと
国内総生産(GDP)のこの20年の伸び率が日本はマイナス0.9倍、かたや中国18倍、インド6倍、米国2倍となっている。人口減少、高齢化という問題を差し引いても気になる数字だ。デフレが大きな要因だが10月には消費税増税とさらにデフレになる政策を政府(財務省)が実施している。
孫の世代が心配だ。

● KDD時代の思い出
  財務課長時代にKDD初の公募増資に参画出来たこと。

 

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醍醐 昭弘 さん

● 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方
毎日、定期的にジョギングその他の運動もせず気のむくままに過ごしている次第です。
強いていえば、月2度ぐらいの低山のハイキング、歩こう会等々への参加はしておりますが、最近ややさぼり気味。また、会社時代の仲間および卒業した川越いきがい大学の仲間との飲み会に参加し大笑いしている状況です。

● 最近うれしかったこと
数えきれない程の喧嘩をしながらも、平成31年3月に金婚式を迎え、元気に過ごせていることをありがたく思っております。

● 最近気になること、気が付いたこと
自分もフル活用はしていませんがスマホは持っています。ただ、電車の中からホ-ムおよびエスカレタ-に乗りながらもスマホを継続操作している姿をみると、スマホ病に思え、目、首へ悪影響がないのかと余計な心配をしています。また喫茶店でも若いペア-が話もせずお互いにスマホをいじっている光景は人として何か寂しさ不自然さにみえるのは小生の歳のせいですかね。

● KDD時代の思い出
2020年に東京オリンピックを迎えます。昭和39年の東京オリンピックの時は、小生はテレックス端末の保守の仕事をしていました。この関係で国立競技場およびその近くの外国通信社、新聞社の集まっているプレスセンタ—に設置された端末保守担当ということで、競技場も腕章だけで出入り自由の身分でした。休憩時間を利用し開会式を見られたことが大きな印象として残っています。

● その他
昨年、残念ながら亡くなった同年齢(学年はひとつ上のようですが)の女優の樹木希林の言葉を借りれば、「一切なりゆき」「今日までの人生、上出来でございました」という人生になるよう気楽に過ごすことにしています。

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原田 建夫 さん

昨年6月に脊柱管狭窄症の手術を受けました。右脚に痺れや違和感を感じながら十数年テニスやゴルフを続けていましたが、遂に我慢の限界がきて、手術を受けました。幸い手術は成功し、今では普通にプレイすることができるようになり、また疲れも少なくなりました。テニスは週に2回、ゴルフは練習を含めると週に1~2回やっています。上手くなりたくてネットにアクセスし色々な情報を得て試してみるのですが、体力・気力が続きません。無理をせず出来る所までやれば、出来ない所はこの次やればよいと思うようにしています。また勝ち負けは気にせず自分の理想とするパフォーマンスに近づくのを目標にしています。現在の良い体調を維持したいので毎日1時間近く自己流のストレッチをやっています。

水彩画も描いています。自分が美しいと思う気持ちを表現するために色彩・濃淡を工夫するのですが、なかなか思うようにいきません。たまに思いがけず上手く表現すことができた時には非常に嬉しいです。上手く仕上がった作品を想像しながら工夫している時間は本当に心地良いです。

これからも健康で平穏な生活が続けられることを願っているこの頃です。

 

 

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桑山 晶次さん

いやはや、西澤さんからメールをいただいたときに、なんで小生に来たのだろうか、誤送信かなあなどと思いました。しかし良く考えれば年寿の祝いは数えでやるもの、ということは小生が喜寿であり、それでこのメールが来着したのだと気が付くまでにしばしかかりました。それではこのメール全文をご指示の文章としてご利用ください。

これまでに特段の健康維持のためのこともせずに過ごしてきましたが、気がつけば満76歳、まさかこんなに長く生きようとは、若いころには考えてもいませんでした。

昭和四十一年KDDに入社以来実に多くのことがありました。今となってはみな楽しい思い出です。そうです! 健康でいたければくよくよしないことでしょう。特に済んだことを気に病まないこと。七十年生きようが、百年生きようが、光陰矢の如し、あっという間につらいことも楽しいことも終わるでしょう。それまでいつも明るくいるのが大事、くだらんことにくよくよしないこと、これが小生の健康法でしょうか。そのため時には大好きなカントリーを歌ったり、山や川を訪ねたりして楽しんでおります。

 

 

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大場 尚文 さん

● 日頃心掛けている健康法、日々の過ごし方
フィジカルな健康のため多摩パワーテニス(http://wonder-city.main.jp/tptc/)を15年前に立ち上げ、週末、毎水曜日テニスを楽しむ。
SNS(https://www.meetup.com/ja-JP/The-Tokyo-Tennis-Lovers/)でメンバーを集め50人程、多摩市界隈の住人、10数名は外国人。
メンタルな健康のためには旅する仏、西、独、伊語など6,7カ国語を勉強中。
老化を出来るだけ減速するには頭と肉体は常に使い続けることが重要。 斯くして4時間睡眠、8時間テニスが可能となりました。 

● 最近うれしかったこと。
◎2年半、我慢した腰痛から開放されるため椎間板ヘルニア、神経根、椎弓板の4箇所の切除手術に成功。4人の外科医は夫々手術方法が異なるため米国サイトで研究、やっと優れた外科医を見つけることが出来た。
◎娘、紗論がトヨタR&D(日), テスラ(加州)からのオファー蹴飛ばし、ナイキ本社(Portland)の技術部門でナンバーワンに昇進。

● 最近気になること、気が付いたこと。
老化による防げる病気と防げない病気。Geriatricsを勉強中。  

● KDD時代の思い出
特にない。テレコム・ルーザーに興味なし。 社内結婚。UCバークレー留学、シドニー駐在。 

● その他
ハイテクの二十に世紀学会と経済関係の学会NBS(通産系、中小企業CEO)に所属。
セミナー、プレゼン、講師依頼、調査、ベンチャー研究、海外視察旅行を行っている。
Bitcoinで5千円が12万円になったので六本木のHappy hourを楽しんでいる。

 

 

 

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水野 行宏 さん

● 日頃心掛けている健康法、過ごし方
自分なりの健康法は、定番ながら、まずは栄養バランスの取れた食事、運動、健康診断の定期受診、加えて、脳トレのために出来るだけ新しいことに取り組むよう心掛け、次のことを励行している。
▶ 毎日1時間の速ウオーキング。
▶ エスカレータの使用を厳禁とし階段を使用。
▶ 歯周病予防のため半年毎の定期検診。
▶ 各種筋トレ。
▶ 脳トレ効果を期待して、唄三線の練習。唄で発声を、演奏で運指を、楽譜(工工四)で暗譜を、歌詞で琉球語の暗記をしている。
▶ サンゴ礁の海で、シュノーケリングによる心身のリフレッシュ。11年前(65才の時)にグアムでダイビングの免許を取得したが、その後バリ島でのドリフトダイビングの大事故に衝撃を受け、高齢も考慮して、現在はシュノーケルに切替え楽しんでいる。

● 最近、うれしかったこと
現在、琉球民謡伝統協会に所属し沖縄在住の與儀栄功師匠に師事。71才の時、沖縄の三線体験教室で、初めて三線と出会い即刻購入。73才から現在の師匠に師事している。
年1回、同協会開催の「琉球民謡コンクール」で段位の試験がある。昨年は新人賞段位に、今年は上位の優秀賞段位に何とか合格できた。
来年はさらに難儀な最高賞段位にチャレンジの予定。78才になる再来年は、不合格を覚悟しているが、出来れば教師免許へチャレンジ出来たらと儚い夢の夢を持っている。

● 最近気になること、気がついたこと。
個人的なことであるが、車の免許証返還時期を傘寿に合わせるか思案中である。
世界、日本において様々なことが起きており、種々感じることが多いが、ここでは記載を省略する。

● KDD時代の思い出
ゼロから立上げた次の新規業務で貴重な経験ができた。その後、新しいことへチャレンジすることに余り抵抗感が無くなり、やり甲斐と楽しさを感じる様になったことは、人生において大きな収穫であった。

▶ 新規業務の導入
①メッセージ交換システム(AUTOMEX)、
②インターネットアクセスサービス(ICAS)と米国における導入前のコンピユータ研修(TYMNET社)に参加、
③パケット交換システム(VENUS)、
④端末部門の若い社員達に対する衛星通信技術(1技取得)と英会話力の強化により、移動系の車載型衛星通信システム(Big Shell)を無事に新規導入、それにより、1988年のソウルオリンピック、1989年昭和天皇崩御、同年ベルリンの壁崩壊、およびチョモランマ登頂などのTV衛星中継を実施したことが思い出深い。

▶ 情報システム部で、KDDの営業、料金、販促および顧客情報の心臓部と言える業務情報処理システム(KIPS-1及び2)の複雑なシステム運用と情報データの処理、並びに夜間無人運転は難儀なことであった。しかし、マスコミ報道になる様な大きな事故も無く、大我なく主管業務を遂行できたこと、当時の上司並びに課員の方々の尽力に感謝している。

▶ TELEX CT-8型のクロスバー加入者線交換機の新規導入工事の実施。

▶ 新規業務の導入や諸問題を大過なく遂行できたことは、当時の組合労組の理解と協力によるものと深く感謝したい。 

▶ その他
KDDというポテンシャルの高い企業の中で思う存分、仕事をすることが出来たことは幸運であった。ご指導を賜わった上司、諸先輩、協力頂いた同輩、後輩の方々のお陰と思っている。

● 雑感
前述の琉球民謡伝統協会は、日本国内および海外(北米、南米、ハワイ等)で合わせて50の支部があり、総会員数は約1,500人、現在約20ある沖縄の民謡協会の中で最大の協会である。
師事する與儀師匠はその協会で副会長と三線師範を務めている。
思えば3年前のこと、新宿の京王百貨店で沖縄展が開催された際、三線を出展していた現在の師匠と偶然に出会った。
師匠は、元々、木工芸に携わっており、沖縄(宮古島)では珍しく原木から各種の高質な家具と三線を製作している。
沖縄展で師匠と、あれこれ話しをしている内、琉球民謡コンクール(段位試験)があるのでチャレンジしてみなさいと勧められ、ついその気になって現在に至っている。
その時、既に三線を2棹持っていたため、未だに師匠の作る三線は購入していない。
内々には、来夏、もし最高賞段位に合格できた暁には、師匠への感謝と自分へのご褒美として、師匠製作の三線を購入するつもりでいる。

指導に関してであるが、師匠が沖縄在住のため、
直々に指導して頂ける機会は都内での沖縄展開催の時(年5回程度)しか無いのがハンディである。
その他は、電話により師匠から唄三線の指導をして貰う方法だが不便を感じているが、つまるところは、只管、自身で粘り強く練習を継続することである。

師匠は、現地で與儀民謡研究所を開き地元中心に三線を教えている。これはボランティア活動で地元の子供達や若い人達への琉球民謡の継承に尽力されている。

ところで、琉球言語はユネスコで絶滅危機言語に指定されている。言語継承には難しい面があるが、師匠の民謡による琉球言語の継承は、その対策の一助になっていると思われる。

因みに、日本の消滅危機言語として、次の8言語・方言が指定されている。
アイヌ語,八丈方言,奄美方言,国頭(クニガミ)方言,沖縄方言,宮古方言,八重山方言,与那国方言、及び東日本大震災において危機的な状況にある被災地の方言。

もし、三線に興味をお持ちの方が居られましたら、都内の沖縄展を掲載した下記サイトをご覧ください。

沖縄展への出展(随時更新)
URL: http://www.cosmos.ne.jp/~m-mokko/

■写真は師匠と。
今年7月の沖縄展(府中伊勢丹)にて。

 

以上、お読みいただき、
「たんでぃーがたんでぃー」(ありがとうございました:宮古方言)。

 

 

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2018年度下期

このページでは米寿あるいは喜寿を迎えられた会員の皆さんに寄稿をお願いし、いただいたメッセージを掲載しています。

 

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米寿を迎えて
天沼松次郎さん

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米寿を迎えて

 

天沼 松次郎 さん

米寿を迎えた7月末、地元の「夏まつり」で「血管年齢」を見ることができた。
 自治会の保健活動推進委員のコーナーで、高齢者が多数ならんでいた。検査器に右手をのせ、人差し指を中心に検査する。検出されたメモ用紙を見てスタッフともどもビックリ。「血管年齢は4X歳です(私の実年齢の1/2)。あなたの年代では良好な機能といえます」。以前にもかなり若いことは知っていたがまさかと。早速いろいろ調べてみる。「血管の硬さから導き出し、固くなるほど「血管年齢」は高くなる。血管には、酸素や栄養素をカラダの隅々まで届けたり、老廃物を回収する役割がある、血管が若々しく、しなやかな状態だと、血流がスムーズになって全身の代謝を促進しやすくなる」そうです。
 なるほど、朝早く起きて、野菜たっぷりの食事を作り、変形性膝関節症と脊柱菅狭窄症と診断されていながら、ドクターから指示された毎日3回のストレッチ体操を執拗にやり続けた結果だろうか? 月曜から金曜まで子どもたちの見守りを続けて7年。一日4千歩以上の歩行運動は結果を示してくれたのか?
 私の健康法と、最近になって嬉しいことの一つです。

毎年8月になると、この国の戦争と平和を考えます。
 先日、主宰している防災委員会が終わり、暑気払いにビール片手に語った私のむかし話ですこしもり上がった。戦前生まれはわたしだけ。自治 会長の女性は「戦争体験の語り部になって地域の子どもたちにも話してほしい」と持ちかけられた。「そんなこ
とがあったとは知りませんでした」と何人かは語る。
 終戦の年,1945年4月頃、国民学校最高学年で高等科2年の私は14歳。毎日60センチほどの樫(かし)の棒をもっての登校した。戦時中の小学校は本土決戦に備えて校舎の半分は軍隊の宿舎になり、校庭では毎日軍事教練が行われていた。リヤカーを戦車に見立て、弾薬を背にした兵士が「たこつぼ」から飛びだす肉弾特攻の訓練もやれていた。本物の銃剣をもたされワラ人形を突き刺す実践訓練をわたしもやった。そんな状況のなかで、わたしをふくめクラスの数人は軍曹殿から呼びだされ、直接の指導を受ける。ちょうど、ゴルフのバンカーショットみたいに、足を大きく開き、持っている樫の棒を振りおろす動作を黙々と繰り返す訓練。目的は「鹿島灘から上陸して侵攻してくる米軍が、野営しているテントに忍びこみ、寝ている米兵の急所を狙う。一人必殺」。まさに漫画チックといわれそうですが、今になっても何故だろう? もし失敗したらわたしはどうなっただろう? そんな疑問を何十年も持ちながら過ごしてきた。昨年、NHKスペシアルで「沖縄の少年護郷隊」の放映があり、沖縄の14歳の少年たちが多数犠牲になっていた事実を突きつけられた。先日「陸軍中野学校と沖縄戦・知られざる少年兵・護郷隊」ー吉川弘文館発行―の著書をしらべ判明するものがあった。それは沖縄戦が終了した’45年6月23日、本土決戦近しとみた日本政府は「法律第39号義勇兵役法」を官報で通知し「国民皆兵」とする義勇兵のレールを敷いた。そんな方針を立案して政府に提起した中心は、大本営、参謀本部、そして陸軍中野学校の出身者が中心であったという。「15歳以上を建前とし、14歳は志願兵とする」としている。当時、14歳のわたしも駆り出されることになった根拠があきらかになった。
 2年、3年先輩などは少年兵として戦線に赴いた。特攻隊として白い箱で悲しい帰還した先輩をこの目で覚えている。もうこんな体験を語る年代がすくなくなったと思い、思い切って話してみた。
 昭和史研究家の保坂正康氏は「戦争の行き詰まった軍のトップは学徒兵や少年兵たちを消耗品として犠牲にしていったことが、いま明らかになってきた」とこの原稿を書き終えようとした8月30日、NHKTV9時のニュースで語っている。もう決して2度と繰り返してはならない歴史の一コマでした。


喜寿を迎えて

 

石垣 英明 さん

人生下り坂最高!

 「人生100年時代」に直面し、喜寿の年齢に到達した私が、今思うことは、後半の人生をどう生き抜くかである。古代インドでは、生涯を四つの時期に区切って、それぞれの生き方が示され、人々はそれに従って生きてきたといわれる。四つの時期とは人生前半が「学生期がくしょうき」「家住期かじゅうき」で、そして後半が「林住期りんじゅうき」と「遊行期ゆぎょうき」に区分される。作家の五木寛之氏が「林住期」という本を平成19年に出版された。その本によれば「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第3の人生」のことである。「遊行期」とは、家を捨て死に場所を求める放浪と祈りの余生である。
 私自身の場合、65歳から80歳までが林住期と考えている。定年退職後、私は現在、以下の三つの道を歩んでいる。一つ目は、縁あって世田谷地域のシニア情報生活アドバイザーの仲間と共にNPO法人を設立して、シニアの方にパソコンを教える仕事について14年になる。二つ目は退職後、先輩が起こされたコンサルタント会社に就職して、イラク、モンゴルをはじめ途上国の開発援助の仕事ができたこと。三つめは、中央仏教学院で仏教を学び、平成25年に得度し、浄土真宗の僧侶になった。築地本願寺の参拝者に堂内接遇の奉仕活動を続けている。混声合唱団に所属して仏さまを讃える歌を通して伝道している。
 退職後のオマケの人生をどう過ごすか、あらかじめ準備をしていたわけでもない。ご縁があって、社会とかかわりが持てる利他の生活を過ごしている。人生下り坂最高といえる林住期の生き方ができることに感謝している。でも、何となくあわただしくて、自分自身を静かに見つめる時間がもてないのが実感で、そろそろ身の回りを整理し、いらないと思いながらしまってあるものを、思い切って捨てなければと最近思っている。
 「死は前よりしもきたらず」とは、吉田兼好の言葉である。死は前方から徐々に近づいてくるのではない。この後には「かねてうしろに迫れり」の言葉が続く。私たちが死を恐れ、それを意識の外に放置して実生活にうつつをぬかしているそのとき,死は背後に音もなく忍び寄ってきている。そしてポンと肩を叩いて「時間ですよ」と知らせられるのだと兼好は言っている。「死は前からこない」ということを、実感としてしっかり確認した上で、実生活をなげうつことなく穏やかに死を迎えることができたら最高、しかし思うようにはならないのが人生である。生かされていることに感謝し、そして今を大事に生きることが大切で、この瞬間・瞬間を大事にして、喜寿の後の人生を元気で生き抜きたい。


宮内 美耶子 さん

 喜寿、77歳、いつの間にか、たどり着いた ~ そんな気がいたします。
 これと言った大きな病もなく、健康でここまできましたが、全く無傷と言うわけではありません。
 もともと目が悪かったので、60代で白内障の手術を受けました。その時、緑内障を発症していることを知らされ、以来10年間緑内障の治療を受けています。
 70歳ころから、カメラに興味を持ち、写真教室へ通ったり、地元の写真クラブなどで活動しています。k-unetのアートコンテストでも、写真の部で入選したことも励みになっています。

 KDD時代の友人知人とは、「109の会」という電話局の同窓会お会いするくらいで、いまや、地元の写友との交流を深めています。
 これと言った健康法は、ありませんが、写真撮影に出かけるようになって、足腰が鍛えられました。歩くことが嫌いだったのに、カメラを持てば、歩くことが苦にならなくなりました。
 私は、こうして元気にカメラ片手に歩いていますが、最近は、主人(83歳)が、少々弱ってきまして、見守りが必要になっています。私も、いつまで、自由に外出できるか分かりません~今のうちという思いで、写真に傾倒しています。夢中になれるものがあるのは、本当に幸せです。
写真をということで、コレクションのアンティークビスクドールと一緒に自撮りしました。
100年たっても、いつまでも若くて可愛いドールに元気をもらっています。


2018年度上期

このページでは米寿あるいは喜寿を迎えられた会員の皆さんに寄稿をお願いし、いただいたメッセージを掲載しています。

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米寿を迎えて
樫村慶一さん   岡田哲也さん  
 

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米寿を迎えて

 

樫村 慶一さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
いつのまにか米寿になっていた、というわけで、特別な健康法などはない。寿命というものだろう。その証拠に、腹部大動脈瘤の人口血管置換手術とか(みぞおちから両腿10cmまでの大動脈、腹を40cm切開)、右肺気胸で開いた穴が自然治癒せず手術で塞いだとか、総胆管結石除去を3回もトライしたとか、4年前には、胃がんを間一髪で内視鏡切除で切り抜けたなど、人一倍体には傷がある。この手術は、あと半年後で大丈夫と言うかかりつけ医を説き伏せてやったもので、たまたま2mmの早期腺癌があり、内視鏡でスプーンでアイスクリームを掬い取るようにして取り除いたもので、3週間後には普通に酒が飲めた。あと半年遅かったら胃袋3分の1か2は切除しなくてはならかった。だから、区役所で無料でやってくれる検診以外に、胃カメラ、血液検査、心電図、血管硬化度の測定などは健康保険で半年に1度はやるようにしている。ただ間違えてはいけないのは、あくまで早期発見のためであって、予防ではないことで、罹る罹らないはそれこそ運だと思う。かかりつけ医とは15年以上の付き合いなので、気ごころは知り合っているが、一般には、後期高齢者になると医者は、真剣にならない場合がある。いつ死んでも平均寿命以上なんだから、それが天命だと思えということだ。私はいつも、私にはその気持ちは絶対に棄ててくれと言っている。「俺は絶対に医者に掛からない」、なんて空威張りしている人を軽蔑する。家族のことを考えていないからだ。
最近うれしかったこと
去る5月に曾孫第2号が誕生した。男子である。7月1日に3回目の祥月命日を迎える妻が、わが子から曾孫第1号まで5人(子供2人、孫2人、曾孫1号)が全部お姫さまだったので、さぞや、男の子を抱きたかっただろうと思い、自分が抱いたミスター1号の産着に落ちる涙が止まらなかった。一丁前にお蚕さんみたいな一物がちゃんとついていた。曾孫1号は美形の面影があり、第2号はイケメンの相があり、贔屓目だけど、将来親の心配の種にならなければよいがと思っている。されど、この子達の将来には、自然界を始め国の内外に明るい材料が見当たらない。気象庁の発表通りなら40代までに大地震に必ず見舞われるだろうし、国防や国の経済、社会保障どれをとっても今より良くなる見通しが立たない。せめてあの世から見守るしかないのが、もどかしい。
KDD時代の思い出(アルゼンチンにいた時の話)
駐在商社や政府機関(大使館、当時の独占企業KDD,JAL、輸出入銀行、JETRO)のゴルフ好きが結成している「オンブー会」という会が毎月コンペを行っていた。1984年末にウルグアイのモンテビデオとプンタ・デル・エステ=東の突先(WTOのウルグアイ・ラウンドが行われた所)で一泊2ラウンドのコンペを行った。たまたま、その年にJALが成田~リオ・デ・ジャネイロ間直通路線を開設し、その記念に日本往復ビジネスクラス搭乗券を副賞に提供してくれた。このコンペで私が優勝しそれを頂だいた。現地企業の社長達は羨ましがった。当時の為替レートは1ドル250円くらいだった。日本往復のビジネスクラスは3000ドルくらいしていたので、約70~80万円くらいの価値があった。さらに、純銀のカップがついた。航空券で娘を一時帰国させた。現役時代から定年後を通して、こんな高価な副賞がでたコンペは2度となかったし、仲間や友人にも、こんな高価な賞品のでるコンペをした者がいないので、一生の自慢話として語れる思い出である。
その他のこと (戒名の生前受戒)
東京オリンピックが見られれば満90歳、卒寿になる。それまでは、なんとか行けそうな気がするが、その先は分からない。それこそ一番信じていない”神”?のみぞ知るである。最近は葬式に関していろいろなやり方があり、宣伝が姦しい。でも、妻と生前に墓を作ってしまったので、お寺さんが決まっているため、勝手には行かない。旧来形の葬式をせざるを得ない。でも、少しでも子供がいない次女のために、出費を抑えておこうと生前に戒名を付けることにした。自分で作った戒名である。さりとて、どんな形、文字でもいいというものではない。ちゃんとお寺が認めてくれなくてはならない。ネットで調べたり、宗派の戒律を調べた上で作ったのだから、お寺も承認せざるを得ないようにもっていった。それを今日確認した。葬式の時に付けるのと生前受戒(と言う)では10万円~20万円は安くなる。こうしておけば、死んだときにはお寺へのお経料だけですみ、葬儀は合理的な葬儀屋にやらせれば随分と経済的に上がるという寸法である。これからは、現世と冥途の両方の名前を背負って生きて行く。 と、こんなところで、長寿の広場欄へのコメントは終りです。
(妻の3周期と自分の戒名を決めた日、2018.7.1記)

 



岡田 哲也さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
  なるべく身体を動かす。
  妻ができなくなったので家事いっさいをしていると、そうなります。
最近うれしかったこと
  とくにありません。
最近気になること、気がついたこと  
  外交、政治、医療制度、介護、家内のことなどなど沢山ありすぎて答えられません。
KDD時代の思い出
  よき時代でした。
  電子計算機による初めての電報自動中継システムの開発に没頭できたことは
  生涯忘れられません。
その他 (どのような事でも)
  KDDの企業年金にはほんとうに助かっています。
  感謝しています。



喜寿を迎えて

 

浦野 義頼さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
早稲田大学大学院国際情報通信研究科GITSを退職後、特段のアクティビティを行ってきていませんでしたが、人生100年時代ということで、多くのシニアの皆様たちが活躍されているのを見て、もう少し、社会とのかかわりを持つことを大切にしたいと思っています。最近、中央大学の辻井重男教授が後期高齢者の世代ももっと光り輝く人生を送ろうと呼びかけられ、設立された『光輝会』に参加しました。
最近うれしかったこと
GITS浦野研究室の卒業生たちが、世界各地で、とりわけKDDIの各分野で活躍し始めていることです。因みに、その中の一人が、最近、TV番組で最新の研究成果を発表しているのを視聴しました。また、彼がKDDI総合研究所で業務・技術功績賞を受賞したとの知らせも届きました。
その他
私はKDD入社以来、退職するまで研究所勤務でした。昨年、旧情報処理研究室の関係者らとの懇親会をもちましたが、上福岡研究所の思い出話が多く出てきました。上福岡研究所の設立は昭和62年8月ですから、30周年にあたっていました。そこで、懇親会の名称をKFO30(仮称)としました。ということで、今年(2018)も8月頃、KFO31の開催を予定しています。当時の写真や資料を肴にして楽しい時間を持ちたいと思います。ご興味のある方はご一報ください。

 


塩野 正昭さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
特に、これっということはしていないのですが、
ストレスを溜めないようにはしています。  今年3月末で、今勤めている会社を退職し、やっと
自由な身になれます。サラリーマン生活57年間よく頑張ったと思っています。
  
これから好きなことをやっていこうかと考えています
(旅行、テニスに、ジム通いで身体を維持していこうと思っています)。
最近うれしかったこと
今年、娘の孫が成人式を迎えたこと、下の孫娘が高校を卒業し、獣医の専門学校で勉強することぐらいでしょうか。
元気に育ってくれていることが一番嬉しいですね。
最近気になること、気が付いたこと
  日本の社会が、何か変な方向に行かないか心配です。
  世界的な立場も薄らいできているようですし・・・
KDD時代の思い出
長年に亘りいろいろと勉強させて頂きました。
特に、旧KDDを早期退職し、旧IDO携帯電話事業に関わることが出来、さらに3社の合併により現在のKDDIにまた戻ってしまいました。
しかし、auとしての携帯電話の基礎事業に携わり、現在のauとしての基盤を築いて来られたことが最高の思い出となっています。
その他 (どのような事でも結構です)
 妻と二人で、健康を維持しながら、これから先を楽しみたいと思っております。

 



山本 昭男さん

喜寿を迎えるにあたって
 喜寿は77歳のことであるが、長寿関係の祝いは、数え年でするのが、習慣となっているとのことで、小生も今年k-unetで祝っていただくこととなった。
 最近読んだ本「Life Shift」(100年時代の人生戦略)によると、人間の平均寿命は、1840年以降10年ごとに2~3年のペースでほぼ直線的に伸びている。しかもこのペースに今なお減速傾向が見られないと書かれている。これによると今年喜寿を迎える世代のうち半数が85歳~90歳に到達すると推測される。
 10数年前、大病を患い、奇跡的に助かって以来、家族、担当医師等に感謝しながら毎日を大切に過ごしてきた小生にとっては、さらに10年の時間は大変ありがたいものである。今後もこの感謝の気持ちを持ち続けながら、できるだけ社会のお世話になることなく、楽しく元気に過ごせるよう計画的に生きていきたいと思っている。

 


巻田 文男さん

喜寿を迎えて

 去年暮れまでは、朝夕に1時間以上、犬と一緒に散歩を続けてきたので、運動が自然にでき、癒されていた。ところが、相棒の犬が15歳で逝ってしまい、生活にいささかの空虚感が生まれている。これまでになく、日々の心身の健康維持をどう図ろうかと考えさせられている。
 「下手な横好き」のゴルフをもっとやろう、パソコンでの作業は認知機能の維持に良いと一人合点して、もっと続けようと思っている。実際、家にいる時にはパソコンの前で多くの時間を過ごしている。ゴルフとパソコンに関心を持ち、かくも好きになったキッカケがKDD時代にあって、忘れ難い思い出となっている。
 ロンドンへ出向することになった時である。「ゴルフ発祥の地へ行くんだからゴルフを始めてこいよ」と先輩からクラブ3本をいただいた。そして、イギリスでゴルフが身近で安くプレーでき、それまでプレーもせずに嫌いだったゴルフが好きになって、今に至っている。その先輩の有難い3本のクラブのお蔭であった。
 5年ほどして会社に戻った頃は書類作りをワープロやパソコンに頼る時代になり始めていて、習いもせずに浦島太郎の心境になってしまい、その様な機器が並んでいるコーナーを疎んじていた。そうこうして、ブラッセルへ行くことになった時だった。「DOS/VというOSが発表されて、海外で主流のIBM’ PC/AT機でも日本語が使えるようになるよ」と同僚から教わり、DOS/Vソフトなるものをいただいた。そして、ベルギーでPC/AT互換機を安く買うことができ、悪戦苦闘してDOS/Vで日本語化し、ブラッセルの日本企業のお助けをするほどの「パソコンお宅」になってしまい、今に至っている。その同僚の先進のアドバイスとDOS/Vのお蔭であった。 人生にはいろいろな節目があり、ちょっとしたキッカケから次の生活に変化がもたらされるものだなあと思い返している。今は喜寿の節目を迎えて、どんな生活の変化がもたらされるのかと期待している。

2018年3月にて数え年77歳となり記す

 


西澤 太郎さん

日頃心掛けておられる健康法、日々の過ごし方
第一に食事(妻にお願いするだけでなく自分でも注目しています)、第二に運動として毎朝の愛犬との40分ほどの散歩、週に2~3回 1時間半程度のテニスすることです。
最近うれしかったこと
庭に作った畑のジャガイモが花を持ち、収穫を楽しみにしています。
最近気になること、気が付いたこと
歩行中に転倒でケガをして、脳神経外科による複数回の精密検査で脳にダメージがないことが判明しましたが、血圧がかなり高いことが発見され治療に入りました。4か月ほど経過して少し落ち着いてきましたが、今後薬を続けることになると思うと憂鬱です。筋力トレーニングを始めようかとも思っています。
KDD時代の思い出
入社した時、短波による無線通信業務に従事して以来、短波による船舶通信(電話)のシステム開発・設計、短波の移動通信のディジタル化、自動化システムの開発のための短波の電波伝搬実験と結果の国際会議への報告、関連する通信設備の開発設計に携われたことです。これらの仕事で関係した先輩・同僚と楽しく過ごせたことに深く感謝しています。
また、もう20年前になりますが長野オリンピックの時、現地の国際放送センターで全世界に映像・音声を伝送する仕事を最後に退社できたことも忘れられない思い出です。
その他
あるきっかけで終活を始めましたが、なかなか物・資料の整理が進まずに困っています。
また、妻より先に私が人生を終えるのは、ほぼ間違いないとの思いから、その時、妻が各種手続きに困らないようにとりあえず外部に委託する手続きをしました。