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2020年1月(2)

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王子と妃!

 明けましておめでとうございます。  新年早々、イギリスからのニュースに驚きました。ゴーンさん事件が、いつまでたっても核心的なことがグレイのままで膠着状態だったので「ハリー王子夫妻 王室離脱を声明」は、日本中の注目の的になりました。まずは、ハリー王子が新たな役割を切り開くため、英国と北米で時間のバランスをとりたいと発言したとたん、私の同年代のオバサンたちの反響は凄かったです。「エッ、なんですって!殿下、妃殿下の称号のまま、セレブな生活をしながら北米で息抜きなんて、いいとこ取り!」から始まり、「年上の奥様の尻に敷かれてるんだわ!」から「ケンジントン宮殿の新居改装の4億円はどうするの!」まで、神奈川県民がまるでイギリス国民になってしまったごとくに言うわ、言うわでした。そういう私も去年の台風で、自宅の塀の改修費の見積書のウン十万円でも足が震えましたから、その桁違いの金額にため息が出るばかりでした。しかし、さすがエリザベス女王の大英断は、かますびすしい我々をシャットアウトさせました。メディアによれば「きっぱりと別離」、「公的な繋がりは切る」などなど。でもハリー王子の無念のコメントが伝えられると、回りのシニア男性陣は「これから、ハリーは生活費をどうするんだ・・・。まるでハリーは針のむしろだ」などと真剣なのか、いい加減なのか、あのご夫妻を心配し出しました。しかし、オバサンたちは強いです。「大丈夫、以前映画に出てたお妃のお友達のハリウッドスター達がきっと温かく迎えてくれる」、「世界中の企業からCMオファーが殺到する」などと応戦、最終的には「フライデーのえじきにはならないでね」の究極のアドバイスを送っていました。 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2020年1月(1)

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現状打破!

 明けましておめでとうございます。  ついにオリンピックイアー2020年の幕開けです。とは言っても私の場合、去年の暮れに鬼の霍乱のような風邪をひき、ジム通いで鍛えた身になぜこのようなことが起こったかと自信喪失、合わせてモチベーションもガタ落ち、自分で名付けた「な~んにもしたくない病」にかかりました。そこで、この不甲斐ない病の克服に「よし、年末年始の休みは今まで、ずっと時間を気にせずやってみたかった事を全て、好き勝手にやってみようじゃないか!」と現状打破を決意しました。大掃除やおせち料理など、どこ吹く風でひたすら、読書、裁縫ざんまい、おまけにテレビから録画して溜め過ぎたビデオの鑑賞等々、家族も呆れ果てた冷ややかな眼差しの中で敢行したのでした。最初の4日間ほどは、「フリーダム!」と叫びたいほどの開放感と、野に放たれた牛のような解放感を味わい、わが世の春が来たとばかりに元気いっぱいになりましたが、そのうち、根っからの貧乏性が芽を出し始め、「こんなことをしていて良いのだろうか」から、究極的には「バチが当たる」など、神仏に謝りたい厳粛な気持ちに変わっていくから不思議なものです。それでも、この10日間の成果は目を見張るものがありました。売れ筋小説約10冊を完読、義母の「大島紬」の着物をリメイクしたロングジャケット完成、ビデオで感激あらたにしたのは、「中国三国志」、「メリーポピンズ」、「飛んで埼玉」等々、寝食を忘れ制覇しました。最終的には目を使い過ぎ、白目がうさぎのように真っ赤になり、眼科へ飛び込んだ以外のこの快挙は、新年に向けての自分の現状打破に「為せばなる」という大いなる自信となったのです。しかし、とき同じくして、大それた現状打破を実行した人のニュースが流れました。自宅ソファで高級シャンパンざんまいになっているであろうミスター・ゴーンを思い浮かべております。 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年12月

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暮れは茶道で

 あと少しで令和元年も暮れようとしています。おかげさまで、年内最後の仕事の取材原稿もアップし、自分が楽しみにしていた地元の「小学生の親子茶道体験教室」の引率係りも無事に終了しました。現在、小学生のうちから色々な経験をさせようという小学校の課外授業は数多く、日本の伝統的文化を学ぶという体験コースは親子で大人気です。私のようなボランティアでも、伝統文化をあらためて見直す良い機会に恵まれると、思わず居住まいを正したくなります。

 茶道歴70年の先生から、「茶道とは、おもてなしの文化であり、互いに仲良く和し、清く動じない心を持つという『和敬清寂』の心であります」とのお言葉には、この1年の自分の「振り返り」にも繋がりました。なぜ自分は、人と仲良くするツールが「茶」ではなく「酒」なのか、清く動じない心が、「また、やってもうた」との失敗のため息に終わるのか・・・。それは、大好きなヘレン・ケラーの名言「大きな目標があるのに、小さなことにこだわるのはおろか」を言い訳にして、毎度自分と真摯に対峙するのを避けてきたからだと反省しました。しかし、教室終了後の子どもらの感想を聞いたら、その純粋さと頭の良さに打ちのめされ、来年はもっと真面目な抹茶好きな大人になりたいなと、反省は目標に昇華されました。小学校2年生たちでも「初めてのマッチャを飲んで、日本人でよかったと思う」から、「6年になったら、オテマエを教えたい」、そして「千利休のようになりたい」には、秀吉から切腹を命ぜられたのを知ったらどうするのかと思ってしまいましたが。

 来年度から、小学校の授業にプログラミングが必修になるそうですが、天才プログラマー兼オチビお茶のお師匠はんらに、やりこめられる初夢を見そうです。 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年11月

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秋は文化祭!

 文化祭の季節です。私も母校の文化祭の屋台焼きそばを手伝って30年、もはや自分なりの焼き方、呼び込みも悦に入り、プロの仕事の流儀たるものを確立していました。しかし去年、学校側からの「時代遅れの屋台は撤去」の一言であえなく、失職しました。なんでも、校内の道をスペインのキリスト教の聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という巡礼の道に仕立てて、両サイドを今どきの可愛いフードトラックでジェラートや焼きたてラムチョップを来場者に売るというのです。

 仕事を干された私は「あのイチョウ並木に聖なる道は無理だ!早朝、池袋の居酒屋の店主たちがこぞって銀杏の実を拾い、夜の酒のツマミに出しているのに!」と憤懣やるかたなく、自宅にひきこもるはずでした。しかし、「何か担当したい係りは?」という学校からの一斉メールに、ふと「ファミリーディスコ会場係」という字を発見、祭り好き・踊り好きの私は早くも反射的に「希望します」とクリックしていたのです。あわよくば「お立ち台で踊ってやろうじゃないの!」というファイトが沸き、ジムのエアロビにも熱が入りました。

 しかしこの想いは当日、妄想で終わりました。なぜなら、ディスコホールとは単に大講堂で、私の役は客の荷物に番号札を付け、赤ちゃん連れの若いパパママにアンパンマン・ジュースを無料で配り続けた5時間でした。もはや最後のほうは踊らないのに腰痛が出てきて、4、50代の後輩らから「もう、座ってていいですよ」と優しく声をかけられました。あらためて、オタフクソースの匂いが髪まで染み込んでも、焼きそば300食を完売したあの日に戻りたいと思った一日でした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年10月(2)

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ミー・ツー事件

 令和元年10月22日「即位礼正殿の儀」が無事に執り行われました。世界各国の賓客が続々と来日、夜には祝宴「饗宴の儀」が開かれたと報道されました。私の日常生活とは縁のない宴の話であると思いながらも、その豪華絢爛な会場の様子をテレビで見た途端、小さい頃に絵本で読んだおとぎの国のパーティーの世界が蘇りました。

 キラキラと光る宝石を散りばめた冠のティアラを髪に付けたお姫様たちを、肩が落ちそうなくらいの勲章と肩章を付けた堂々たる王様たちがエスコートしているのです。それも国境越えて、すべての国の人々が親愛のハグをし合い・・・。もし、私がその場にいたら、王様と目があっただけで、恋に落ちてしまうかなとか、その前に腰を抜かすかなとか夢は枯野を駆け巡りましたが、あの方々があれだけ心を1つに話せるのは世界の共通語が英語だからでしょうか。

 言葉が通じ合う大切さを目の当たりにして、留学生への日本語レッスンをもっと頑張ろうとの意思を固めたのですが、ふと、あの真偽不明の伝説的ニュースを思い出しました。

 19年前の森喜朗元首相とクリントン元米国大統領の初対面の英会話です。森さんが、「How are you?」を「Who are you?」と言い間違え、ビックリしたクリントンさんが機転を利かして「I’m Hillary’s husband.」(私はヒラリーの旦那だ)と答えると、森さんはさらに「Me,too」(私もです)と平然と、型通りに返したとか。何年経っても、可笑しさが色あせませんが、将来の日本を背負って立つ小学生には「英語は勉強しとこうね」という一番わかりやすい戒めの逸話になっているようです。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年10月(1)

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ラグビー万歳!

 現在開催されている「ラグビーワールドカップ2019」の日本チームの快進撃には胸躍る日々です。ロシア戦で「やったー!」、アイルランド戦で「ありえないー!」、サモア戦で「ヨッシャー!」との雄たけびとともに勝ち進み、最後のスコットランド戦を待つばかりとなりました。街を歩けば、鳥の巣のようなドレッドヘアの若者や、どう考えても走れなさそうなラガーシャツのシニアの「なんちゃって選手」姿に出会います。ラグビーはルールが難しいし、いわゆる押し合いっこのスクラムが熱すぎるスポーツのイメージで敬遠ぎみだった人々も今や身近に感じて、応援したくなっているのでは・・・。かく言う私もラグビーに興味が無かった1人です。同級生にラグビー部のキャプテンがいるのですが、現在彼の前歯は全部インプラントです。「歯科にかかった莫大な額」をなんとか聞きだしたいと思いながらも、居酒屋オーナーになった彼の店で飲むと、いつも酔っぱらって聞き忘れています。また、仕事先で知った広告代理店の40歳代の男性も元ラガーマンだったのですが、なんせ190センチに120キロで「ヨッ、合気道をやってた町田先輩!」なんてフレンドリーに肩を叩かれたら1メートル突き飛ばされ、苦笑いの顔で恐怖を隠しました。特に私がラグビーと距離を取っていた原因は、中学時代のクラスメートの女子の存在です。彼女は子ども3人が独立するやいなや、ラグビーの熱狂的おっかけオバサンと化し、嫁ぎ先の宮城の山奥から日本中のラグビーの試合を1人で見て回っています。おまけに「私にラグビーの話はさせないで。もう自分でも止まらなくなるから」と、のたまいます。もちろん彼女にはラグビーの話題だけは絶対にフリません。なぜならパンドラの箱を開けるようなものですから。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年9月

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都会で台風!

 窓に打ちつける横殴りの雨、庭の木を根こそぎ倒すような風音、そのうち家まで揺れて・・・。

 今月8日の夜中から始まった台風15号の暴風雨は、自宅がまるで野中の一軒家になってしまったような恐怖を覚えました。すでに前夜から電車の「計画運休」のニュースは流れていて覚悟はしていたのですが、まさか台風がこれだけ荒れ狂うとは思いがけない状況に陥りました。明け方には、スマホからピーピーと避難勧告が鳴り響き、救急車のサイレンも引っ切り無しで、寝られたものではありません。テレビをつければ、ほとんどの電車が「運転見合わせ」の文字がテロップで次々と流れましたが、折れた大木が線路を覆う映像には、これはたまったものではないと納得です。

 地元の駅では運行開始を待つ人があふれ出していて、駅前のマクドナルドや、はてはOLさんには似合わない牛丼の吉野家まで、大入り満員。商店街では、従業員が来られないらしく喫茶店のシャッターは降りたままだし、イケメンで有名な「auショップ」でも、先に着いた社員が店の外で、ドアの鍵を持った上司の到着待ちで、スマホ修理の客よりも困り顔でした。

 都会の自然災害は、都市としての機能をほとんど麻痺させるなあと痛感しました。そして思い出したくもない2年前の大雪の惨状が蘇りました。我が家の玄関前の百日紅の木が雪の重みに耐え切れずに真っ二つに折れて、家の前の道を塞ぎ、交通止めを引き起こしたのです。今回は、偶然にも2ヵ月前に植木屋さんに予約を入れており、まさに台風到来の前日に伸びきった柿や柘植の枝などを落としてもらっていました。近所に迷惑をかけずに事なきを得ましたが、いつもは意見が合わない家族全員が「枝を落とした翌日に暴風がくるなんて町田家の奇跡だ!」と口をそろえました。そして、「きこり」という森を守る日本古来の職人技にあらためて畏敬の念を抱いたのでした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年8月

まちだより

 

 

蝶になって飛び立つ!

 毎日30度以上の日々が続いていますが、これだけ猛暑が続くと集中力を欠き、もはや自分の趣味である洋裁をする気にもなれません。ミシンの針目を追う気力も無ければ、厚いウールの生地なんぞ触る気がしません。先月までは順調に、仮縫いのしつけをかけたままの薄手のジャケットがその後、居間の鴨居で、手つかずに揺れています。

 25年以上にもなる洋裁仲間には、生地に関してお気に入りの色や柄に凝る人もいます。ハート柄やヒョウ柄好きの知人には、その生地を見ただけで彼女がそれで制作したワンピースを颯爽と着こなす姿が浮かびます。

 有名デザイナーやブランドにも一目で、それとわかる柄があります。イタリア「レオナール」は華やかなプリント柄だし、イギリス「バーバリー」はキャメル地に黒白赤のラインが交わるタータンチェック柄です。日本で有名なのは、森英恵さんの蝶ちょの柄でしょうか。そういえば森家のお孫さんたちとは同じ幼稚園でした。可愛いハーフのお嬢さんが背の高いママと手を繋いで登園の坂道を歩いていたのが昨日のようです。そのお嬢さんたちが今や、バラエティ番組のひな壇に座ってたり、服装関係のお仕事をしている姿をテレビで拝見します。それはまるで、英恵おばあちゃまがデザインした蝶ちょが、さなぎから孵化を繰り返して親子三代に受け継がれ、見事に日本のファッション界に飛び立った感があります。現在94歳の森英恵さんとお孫さんたちを見ていると、私の亡き母も孫たちの成長を愛おしく見つめていたなと思い返し、もう少し生きていてほしかったなとお盆を前に思います。

~*~*~ あとがき ~*~*~

このたびの「まちだより」のスライドショーで使用した写真は、この7月に急逝された峰村桂子様が2013年のアートコンテスト・A部門で1位入賞された作品です。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

(写真:峰村桂子 文:町田香子)

 

 

 

 

2019年7月(2)

まちだより

 

 

心を揺さぶる可愛さとは

 とにかく、可愛いー!勝っても、負けても可愛い!

 梅雨の寒空のドンヨリとして日々の中、新聞やテレビで私の心をスカッと虜にした児童がいます。

 そうです、今をときめく囲碁の史上最年少プロ棋士の初段・仲邑菫ちゃんです。

 美味しいお酒には敏感で目がない反面、可愛い人や物には縁遠いと思っていた自分ですが、彼女にはもうメロメロ、どうしょうもありません。先日の67歳の女性プロ四段を破り、「勝って嬉しい」と恥ずかしげに答えた彼女の瞳と、そのプクプクした小さなオテテに目が釘付けになりました。あんな天使のような手で摘ままれる白黒の碁石にもし命があるなら、菫ちゃんと共に戦った後に「光栄です」とつぶいたであろうと空想はファンタスティックに広がりました。そして、その後AI・人工知能と対局して負けたときの一言も、可憐でした。213手で投了したあとに感想を聞かれて、「ウーン、強かったです」と首をかしげて、口びるを噛みしめながらの姿は、もう、この町田オバサンの心を鷲づかみにしました。思わず、その憎き人工知能マシンを私の合気道2段の技で投げ飛ばし、こっぱみじんにしてあげようかと思いました。

 つい最近まで、相撲の貴景勝のママのあまりの美人過ぎるお顔に圧倒されていましたが、今しばらくは、菫ちゃんの純真さに飲みこまれてても良いかなと思います。なんとなくつまらない日に、ハンドバックに忍ばせている新聞記事の菫ちゃんの顔を見ると元気が出てきます。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年7月(1)

まちだより

 

 

ひよこから白鳥に

 今年も私の所属する団体主宰の「留学生日本語スピーチコンテスト」が無事に終了しました。今期の日本語レッスンの私の担当学生は、中国山西省出身のヒョロッとした、まだ21才の青年。母国で日本語を中学校から学んでいるので、第1級レベル能力があり、最上級クラスの枠での審査となりました。最初、彼の文章を読んでビックリ、ほとんど難しい日本語オンパレードで漢字の羅列が目立ち、これじゃあ聴衆はわからないなあ~とアドバイスをしても、「もう暗記したから無理です」とあくまで強気。

 しかしながら当日の朝は、緊張のあまり真っ青な顔でガタガタ震えている子どものような彼でした。ここで、「町田先生」から、思わず「町田かあさん」になってしまった私は、「聴衆は畑よ!人の頭はジャガ芋かカボチャと思いなさい!日本に来て良い機会を与えられたと思って楽しむのよ。入賞なんかしなくても今日のことは、中国のママと大学の先生に喜んでもらいなさい」とハッパをかけたら、やっと頬に赤みが差しました。いざ、舞台に立った彼は、あら不思議、本当に畑の真ん中で熱弁を振るうがごとく、自分の中国と日本への想いを滔々と、わかりやすく述べるではありませんか。それは、まるでひよこが白鳥になって悠々と大空に飛び上がっていくような感動がありました。

 さて、結果はと申しますと、羽ばたいた彼は優秀賞の図書カードをゲットできました!舞台で「これで、念願の広辞苑が買える」と小躍りする彼の姿は素直で、将来の日中会談で主席の後ろで同時通訳する姿を彷彿とさせたのでした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

2019年6月

まちだより

 

 

袖振り合うも・・・

 一人で新幹線に乗るときはいつも、チケットを買ったときから、緊張します。「隣り合わせはどんな人?」と、まず思うからです。とりあえずは、何も話しかけてこない、おとなしい隣人を想定して「エイッ」とばかり乗り込むのですが、先日はこの願いが見事に覆されました。

 というのも、関西方面への仕事で乗った車両で私の視界に飛び込んできたのは、金髪に黒ラメのドラゴンのTシャツのオニイサン!耳にイヤホン、肩もリズミカルに揺れています。そして、「まさか」と思いきや、結局は私のペア席は彼でした。足元にはキラキラと光り輝くラメのドクロマークのスニーカーやリュックでもしや、ヘビメタのギターリストかと思いきや、それにしては、似つかわしくない所作なのは、楊枝で歯間をスースーと。かと思いきや突然、ノートパソコンを開けてなにやら凄い勢いでクリックし始め、何事かとチョイと薄目で見てみると可愛いキャラクターのバッグをお買いあげの様子でした。彼は私より前に下車し「袖振り合う仲」は何とか無事に終了し、帰りはもっと平穏な「袖振り合う仲」を期待しました。が、その夢はまたしても破られました。背の高い好青年が目つきの鋭い怖そうな男の人に囲まれ、同じ車両に乗り合せたのです。どうも不穏な感じが伝わってきて、何気に眼を凝らしたら、その青年の腰には縄、手錠なのか布を被せた手が見えました。思わず映画のワンシーンを見ているようで「この青年がなぜ悪の道に」とこちらまで暗くなり、なんだか一人旅の醍醐味の缶ビールと竹輪をエンジョイする気にもなれず、狸寝入りを決め込み、家路を急いだのでした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年5月

まちだより

 

 

令和になった日

 2019年4月1日、新元号が決定したあの日を振り返ると、あっという間に1ヶ月が経ちました。新元号発表までには老若男女、それぞれの方々がそれぞれの思いでワサワサしていましたが、発表後もそのお祭りムードは天井知らずの一途だった気がします。

 当日の菅官房長官の発表を、同年輩の中年女子たちにどう思う?と聞いてみたところ、オバサン達の感性では「暗い」だの「ま、いっか」など適当この上ないものでした。しかし、その翌日からというもの、万葉集に詳しい漫画家やコメンテーターなどが連日連夜テレビに出演しマスコミも大騒ぎ、一番印象深かったのが、アメリカ人タレントの「『令』は『冷』の響きで冷たい感じ。どうせなら、日本らしい古来のひらがなにすれば良いのに」という、伝統にとらわれないメッセージでした。そして、驚いたのは、日本大好きフランス人から「ついに令和ですかー!令和時代が町田さんの素晴らしい時代になるように祈る!」という激励とも言えるメールがフランスから飛んできたことでした。日本人以上に世界が注目しているのだなと感心しました。

 私の場合、令和と聞いてまず浮かんだのは、名前に「令」や「玲」がつく3人の友人「レイコ」の顔でした。そのうちの一人は19歳からの親友で飲み友達です。兄一人、東京っ子、女子校育ちなど、家庭環境がやけに似ているのですが、格段に違うのが彼女の頭の回転の速さです。いまだに某企業で部下を叱咤激励する管理職、趣味が鉄道という、まさに男気を感じさせる辣腕女史です。なので「令」と聞くと、彼女の聡明な横顔と、彼女のこよなく愛する白ワインが浮かんできて、令和時代事始に、そろそろ一杯やらなきゃとソワソワしてきます。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年4月

まちだより

 

 

イチロー引退!

 メジャーリーグ・シアトルマリナーズのイチロー選手が引退しました。東京ドームの試合後の90分の記者会見は実に見事だったと思います。緊張している記者を前に、素のままの自分を語り続けたイチローの一言一言には、何かの道を極めた達人のような、いや、まるで悟りを開いた仙人のような趣きがありました。

 特に、「引退を後悔していないか」という問に、「今日の球場での出来事・・・あんなものを見せられて後悔などあろうはずもありません」という答えには、ガッツリと心をわしづかみにされ、震えるような感動が走りました。  180センチのヒョロッとした愛知県出身の若者が、1991年ドラフト4位でプロ入りしたときの様子もテレビに流れていましたが、あれから約30年です。苦労と努力を積み重ねた人の生き様は、その人の顔に自信と栄光のオーラをもたらすなあとしみじみ見つめてしまいました。

 私が18歳のときに、巨人軍の長嶋茂雄選手の引退のニュースが駆け巡りましたが、その頃はまだ受験生だったのか、特に感慨深いものはありませんでした。でも今回、同じ野球選手の引退でも、こんなに自分が衝撃を受けるとは思ってもなく、数ある「イチロー金言」を胸に秘めながら、今が盛りの桜の花を清清しい気持ちで愛でる日々を送っています。

 以前、マスコミで世の女性陣へ「生まれ変われるとしたら、どんな女性になりたいか」というアンケートを取ったところ、第一位は「若貴兄弟のお母さん」でした。今、もし同じアンケートを取ったなら、「イチローの妻」が押しも押されぬナンバーワンになると思います。私ももちろん賛同しますが、少し前なら、すみません、「将棋の羽生善治の奥様」と答えていたと思います。何せ頭脳派に憧れるので。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年3月

まちだより

 

 

小説の中に自分の名前が出てる・・・

 小説を読んでいて、登場人物に自分と同じ名前が出てくるとドキッとすることがありませんか。特に、私の場合は「香子」(かおりこ)ですから、そのままでは、なかなかお目にかかりません。でもこのたび、阿川佐和子氏が書いたベストセラー小説「ことことこーこ」に、「香子」(こうこ)を見つけました。最初は、タイトルの意味をわからず、読み始めたのですが、なんと「香子」が主人公なのです。内容的には、バツイチ、出戻り、父の急死に母の認知症、弟とのイザコザなど、どこにでもある話なのですが、「香子」が認知症の母を叱咤激励しながらも寄り添う姿に、2年前の自分の過去が蘇り、私、町田香子が、本の中の「香子」に重なりました。電車内で読んでいても、声をあげて笑ってしまうは、悲しい場面ではハンカチで涙をぬぐうはと、かなり読み手のエネルギーを使う小説でした。  母親の呆けていく姿を、「もしかして、神様は長く生きた人間が辛い過去を振り返っても苦しまないように『忘れる』という武器を与えてくださったのではあるまいか」と作者が「香子」に言わしめている文章がありましたが、まさにその通りなのではと思いました。

 ちなみに、タイトルの「ことことこーこ」ですが、これは「ことこ・琴子(母親の名)」と「こーこ・香子(娘の名)」の2つを仲良く合わせたワードでした。これを、私に当てはめたら、母の名前は真鈴(ますず)なので「マスズトカオリコ」になります。意味不明で、何か似てる語呂がないかなとヤッフーで調べましたが、「女子高校生が使う、オッサンにはわからない言葉」にかすりもせず、スペイン語圏の片田舎の町のイメージが浮かぶばかりでした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年2月

まちだより

 

 

ラグビー大学選手権

 今年のラグビー大学選手権では、明治大学が実に22年ぶりに大学日本一に輝きました。実は、強豪・帝京大学の10連覇を信じてやまなかった私にとっては、まさしくありえないことが起こったと新年早々の大事件でした。というのも、去年の秋に、帝京の岩出監督の講演を聞く機会があり、その人間性にすっかり惚れ込んでいたからです。学生を指導する見事な手腕に思わず、メモを取ったほどです。  「プレーは叱っても人格は責めない」、「あとで必ずフォローする」、「他人とは比較しない」、「長時間叱らない」の4原則は、子育てにも、社内教育にも充分あてはまるではありませんか。

 きっと来年はリベンジで王座に返り咲くことを期待して、負けたショックも癒えた頃、たまたま明治大学の田中監督のインタビュー記事を読みました。優勝は、監督が現役3年のとき以来で、なんと監督就任1年目で勝ち取ったとのこと。なんて、ラッキーな監督であろうかと思ったのですが、どこかが岩出監督と似ているのです。それは究極的には「決断は学生に任せる」でした。戦国武将随一の戦術家である織田信長の名言「他人に相談はしても最終的な判断は自分ですべし」を思い出しました。

 今のラガーマンを見ていると、太もものゴッツさに関係なく、イケメン好青年揃いで、挨拶もしっかりしてれば、インタビューの受け答えもよどみがありません。彼らの魅力に、すっかりノックダウンされた私の同期女子は、嫁ぎ先の宮城県から、試合のたびにイソイソと上京してきます。どこに転がるかわからない変形球体ボールを抱いて、相手にタックルする姿は猪突猛進、今年の干支のイノシシだと言います。

 そういえば、子どもが幼稚園のときの「父親徒競走」で、ぶっちぎりで1等賞をものにしたパパさんがいました。そのときに「あのかた、元ラグビー部の選手だったらしいわよ」と、悔しそうに言ってる保護者がいましたが、どんなに素敵なラガーマンだったであろうか、お顔を拝見しておけばよかったと今、後悔です。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2019年1月

まちだより

 

 

新春の海

 あけましておめでとうございます。

 本年も「まちだより」をよろしくお願いいたします。

 お正月と言えば「初日の出」。父が伊豆七島の新島に新聞社の支局をつくるような仕事の関係があったからか、新島にはよく行きました。夜の10時に竹芝桟橋から出航、夜明けに島に着くのですが、そのとき大海原で見た「初日の出」は忘れられません。当時の大型客船はよく揺れて船酔いに苦しみました。接岸は「ポンポン船」ですがこれがまた微妙に揺れて、上陸する頃にはへとへとになりました。しかし、父は飲んでも酔わず、ましてや船酔いの姿は1度も見たことがありませんでした。海軍経理学校から海軍に進み、軍艦「伊勢」に乗った、厳格でバリバリの海軍士官だからだと娘としては信じていたのですが、同期の桜の方々から聞けば艦内では、トランプをしたり(艦内はすぐ辞められないマージャンは禁止)、貯蔵庫から仲間のためにこっそり食糧を失敬したり、上官に隠れて秘密の艦の空間で昼寝もしていたという別の意味の太っ腹の持ち主だったようです。

 まあ、海好きな血は、父から私に脈々と流れているのですが、兄は同じ親から生まれた子どもなのに、趣味は登山に渓流釣りという山派です。

 ちなみに、夢占いでは、海は「お母さん」、山は「お父さん」の象徴だそうです。夢に見るほど海好きの私は、母への想いも「海よりも深し」なのでしょうか。

 僭越ながら今年も「まちだより」の愛読者様がお幸せになりますように。洩れ聞こえるのはお二人くらいですが・・・。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年12月

まちだより

 

 

紅葉

 すっかり寒くなりました。冬支度に気ぜわしさと寂しさを感じる日々ですが、今しばらくは周りの風景の紅葉の彩りが目を楽しませてくれています。

 この頃になると日本にいる留学生がワサワサと落ち着きがなくなります。緑から赤や黄色に刻々と変わっていく木々の美しさに圧倒され、ずっと座って勉強する気にはならないのでしょう。「なんて自然は見事なんだ!」と日本の山に登りたくなるようです。

 私もそんな学生を見ていると紅葉に感激していた18歳の頃を思い出します。  受験生だった私がある秋の日、進みたいと思っていた大学のキャンパスに見学に行き、綺麗な落ち葉を拾いました。押し花のように、「しおり」にして憧れの大学への合格祈願のお守りのように通学カバンに忍ばせていました。

 そして半年後、願いは叶わずに吹っ切れた気持ちで新生活をスタートしたつもりでした。でも捨てきれなかったその「しおり」が、何年後かに机の中でパラパラに崩れているのを発見したとき、改めて夢の終わりを自覚しました。でも、今となっては、ひたむきに無心で勉強したあの頃の自分が羨ましいです。40年以上経っても、夢中になれるもの、楽しいこと探しの旅をずっと続けている気がします。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年11月

まちだより

 

 

月見

 今年の中秋の名月、十五夜お月さんは実に綺麗な満月でした。すると最近、近くの和菓子やで、「もうすぐ十三夜、月見団子の受付中」と紙が張ってあるではありませんか。

 十五夜の月見団子の販売に関しては、ちょっと前まで日本中の和菓子メーカーがこぞって騒いでいたのに・・・。十三夜まであるとは。

 小さなときから、親しんできた「お月見の図」は、垂れたススキの下で台座に盛られた団子。その団子のトップは一個だけ黄色い餅で、食べたいけどもったいない、しかし他人にはあげたくないというオーラがありました。

 そして、満月の中には餅をつくうさぎです。私は絵本の影響か、たった一匹で寂しく餅をつくうさぎさんがやけに切なく、必ず満月の中に「あっ、いた」と確認したのを覚えています。

 最近の子どもたちのお月見はどうなっているのかなあと常々思っていたら、私が参加している寺子屋先生(地元小学校の放課後の勉強ケア)の時にびっくり、小学6年の宿題に月の満ち欠け観察記録が出ているではありませんか。しかしながら、子どもたちは、「夜は塾で忙しい」、「夜空なんて見ない」などなど全く手つかず。ロマンチックな世界とは無縁で可愛そうだと感傷に浸っていたら、子どもたちはどこ吹く風で、それどころか、「先生、スマホで調べてよ」ときたのです。まさか、スマホが役立つわけがないでしょと証明しようとしたら、あったのです!「指定された一ヶ月の月齢カレンダーを表示します」と誇らしい文字に、リトルリーグに参加しているというそのわんぱく君らは歓声をあげました。

 この子たちは、天文学者になる道より野球で世界へ飛び立ち、川崎市中原区から初の商店街凱旋パレードをしていただきたいと切に思いました。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年10月

まちだより

 

 

行ってみたいな、ブラジル!

 目黒駅から歩いて7分、白金にある「東京都庭園美術館」で開催されていた「ブラジル先住民の椅子展(6/30〜9/17)」に行ってきました。といっても最終日の最終時間に滑り込みセーフ!この椅子の作品の特徴は丸太1本で作られていることと、全てが動物の彫刻であることです。

 「椅子好き」、「ブラジル好き」、「猿好き」のキーワードが揃えば、私が行かないわけがありません。「猿の腰かけ」をたくさん激写しました。

 最近、特にブラジルづいてます。岩手県のわんこ蕎麦状態のシュラスコ食べ放題のお店に「健康は肉だ」と足繁く通い、お酒のカイピリーニャを日本語訳で「田舎娘」と聞いたら、その可愛さに飲んであげなきゃとオバサン力が湧きます。 私の「行ったことがないけどブラジル好き」には、3年前の日系ブラジル人のかたとの出会いがありました。そのかたの久々の日本旅行の歓迎会に出席した私は、敬意を表して前夜に覚えた「初めまして。お会いできてとても嬉しいです」の言葉を現地語で緊張したまま、うわずった声で述べました。すると周りの日本人が、「えっ!」と言ったまま、ドン引きしました。10秒後に、私の耳元で日本人の「町田さん、それはスペイン語。ブラジルはポルトガル語ですよ」とささやく声がありました・・・。そう言われても、「すみません」も知らないので言えず、おどおどしていると、その日系ブラジル人のかたが「げんごはむずかしいですネ。よくあることですヨ」と優しくフォローしてくださいました。私は、地獄から天国へ上がる糸を垂らしていただいたような幸せな気持ちになりました。言葉は人を簡単に傷つけるけど、反対に優しい言葉は人を救えるのだなあとあらためて思いました。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年8月

まちだより

 

 

蕎麦派

 これだけ暑いと食欲が無くなります。朝はアイスコーヒーにチョコで、とりあえず夜中にかいた汗の水分補給。猛暑の昼はスイカか氷あずきにかぶりつきたいと最低な生活習慣病的食事に陥ります。冬の間は、ピザだのグラタンなどチーズを富士山のように盛って食べる私も、夏は同じ富士山でも駅前の「富士そば」なら、ちょいと暖簾を分けて入りたくなります。

 実家では蕎麦派とうどん派に別れていました。品川区育ちの父は大の蕎麦好き、福岡の母は大のうどん好きでした。そして、性格どころか味覚嗜好まで父そっくりの私は蕎麦派です。父方の祖父からは「蕎麦は途中で切ってはいけない。つゆはちょっとだけしか付けてはいけない。スルッと音を出してすばやく飲み込まなければいけない」などと幼稚園児には一番美味しくない、尚且つ、至難の業の食べ方を指導されていました。でも、ハンバーガーのような、食べた後の後悔感も無く、腹八分めでいいや的なさっぱり感のある蕎麦とは実に相性が合います。

 30歳代の頃に女子校仲間8人で、ちょっと背伸びをして、麻布十番の某有名蕎麦店で昼宴会をしました(写真は虎ノ門の老舗ですが)。いまだに覚えているのが、ツマミの銀杏です。松の葉にお上品な銀杏が、鎮座ましまして1皿500円で5個です。私たちは女子校時代の血が騒いだのでしょうか、どんな新春かるた合戦よりも超高速に手が伸び2秒でカラ皿になっていました。そのときに勝利した女子たちの職は、女医もいれば英語の同時通訳者もいれば、めずらしいとこでカラーコーディネーターもいました。1個100円の銀杏様をゲットできなかった3人の中に、合気道2段の私が入っていたのは、決して鈍いからではなく、つつしみ深い30代だったからだといまも確信しています。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年7月

まちだより

 

 

お盆

 東京のお盆は7月で、地方のお盆は8月。これって誰が決めたのかなあと思います。小さなときは、お盆とは日本中が神社の夏祭りの頃だと思っていました。なんとなく去りゆく夏と、海水浴禁止の寂しさがお盆のイメージを幼心に残しました。

 去年の11月に母を亡くしたので、この7月に新盆を迎えます。

 父の月命日の墓参を始めたのも、3年前の父の新盆の頃からだったような気がします。お墓参りなど、ろくにしたこともなかった私が、「何を持参し、どうやって掃除をするのだろう」と誰にも聞けずに思案にくれていた頃、毎月の墓参りをかかしたことがないとうK-unetの大先輩にたまたま、お話を伺える機会がありました。その大先輩いわく、「墓参りには、墓参グッズがある。まず携帯用椅子、仏花、線香、100円ライターが必需品だ」との教えに一筋の光を見出し、墓参パワーをいただいたように行動を開始しました。しかし聞くのとやるのとでは、格段の差がありました。まず、携帯用椅子ですが、座っていると蚊の攻撃に遭い、墓前で父とゆっくりと話している場合では無く、また100円ライターも、不良品だったのか固くて着火スイッチが押せずじまい・・・。もはや、何のために来たのかと諦めようとしたら、たまたま通りかかった地下足袋姿の墓地の植木屋さんの握力のおかげでスイッチが動き、墓前に線香を手向けることができました。  最近は、墓掃除が趣味の域に達してきて、墓石の磨き方にも、マイブラシ持参でかなり手際良くなりました。母の新盆のお花は仏花ではなく、クレマチスなんかどうかなと余裕も出てきています。

 そういえば、先日留学生の日本語レッスンで、日本の四季イベントの「お盆」を説明していたら、「オー、ソレ、知ってるヨ。キッチンのおぼんを持って、踊ることネ!」と嬉しそうに答えるので、どこからどういう風に説明したらよいか、これは私の宿題だと思い、レッスンを早々に終わりにしたのでした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年6月

まちだより

 

 

綺麗な水ありきところには

 せせらぎの音を聞きながら、一人散歩をしていると、心が和みます。玉川上水や、自宅近くの新緑の二ケ領用水は、この季節は最高のウォーキングコースです。木々の間から降りそそぐ太陽の下に、透き通った水面には親子連れのカモが泳ぎ、どこからか聞こえる小鳥のさえずり・・・。

 水あるところに、生きとし生けるものが集まります。

 人が、水の音が好きなのは、赤ちゃんのときにお母さんの羊水の中で遊んでいたからと読んだことがあります。私的にもう一声言わせていただくなら、綺麗な水あるところに、お酒ありです。

 先日生まれて初めて、埼玉県熊谷の某蔵元が開いた「利き酒大会」に知人らと参加してきました。片道約2時間、へべれけになったら、自宅まで帰れません・・・。緊張して滞在時間は2時間と決めました。しかしながら、小さなお猪口で8種類ものお酒を飲み、あーでもない、こーでもないと言い当てるのですが、日本酒がよくわからない私には、「オリ」とか「ニゴリ」とか会話自体が、異国のようです。値段が3倍も違うらしい種類のお酒も全て皆同じ味に感じ、申し分けないほどでした。その上、口にお酒を含んだらすぐそばのバケツに口から勢いよく出すらしいのですが、口に1度入れたものを捨てるなんて、父が生きていたら雷が落ちるくらい怒られそうですし、実はお酒がもったいなくてできません。それでも、宴はあっという間に予定の2時間が来てハイヤーに飛び乗り、無事に駅から新宿湘南ラインに乗った途端、緊張感から解き放たれました。皆はおもむろに、駅のキヨスクで買った喉から手が出るほど飲みたかった缶ビールを開け、車内宴会と相成りました。ガラガラのグリーン席を、乗ったこともないヨーロッパ鉄道のコンパートメント席みたいだと知ったかぶりに話しながら。

 これからの季節、キンキンに冷えたビールは、特に私の場合、何物にも代えがたい「命の水」と呼べる水分になりそうです。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年5月

まちだより

 

 

合気道あれこれ

 風薫る5月です。そろそろ大学生の新入生歓迎コンパの嵐となります。この頃になると、渋谷、新宿、池袋などの居酒屋の前では、赤い顔をして気炎を上げている若者たちをよく見かけます。 以前、目の荒いザルに棒が付いたようなものを持っている集団に出くわし、「何ぞや?」と思ったのですが、程なくしてそれが当時アメリカから到来したばかりの「ラクロス」部だとわかりました。 学生たちの青春を謳歌している楽しそうな姿が眩しく「一緒に騒ぎたいなあ~」と宴会好きな血が騒ぎます。でもその反面、女子には「しっかり、家まで帰るのですよ」とおせっかいオバサンの心も、もたげてきます。

 時々、OBとして学生時代のサークル「合気道」の現役の会に参加しますが、昨今の学生宴会は厳しいものがあります。まず、店側から未成年者は「ソフトドリンク・オンリー」というバッジを渡され、「飲みません」という誓約書を書かされます。びっくりしたのは、乾杯時にビール以外を飲む学生に、バケツのようなピッチャーが回ってきたかと思いきや、同じ琥珀色でもウーロン茶でした。あまりの厳戒態勢に恐れをなした私・町田先輩は、彼らが注ぐビールは飲めても、返杯は飲み物ではなく、自分のツマミを彼らの皿に分け与えることしかできませんでした。思い起こせば、40年前の私たちの頃の新歓コンパはいい加減なものでした。それでも、他人や店に迷惑をかけなかったのは当時、地元の警察署長さんの娘さんが、先輩にいたからだと思います。各々が「先輩の顔に泥を塗ったら大変だ」という暗黙の掟でスクラムを組んでいたのかもしれません。

 1年生のときは、弱々しそうな白帯に白胴着の子たちも、4年生になると黒帯に黒袴になり、昇段試験で2段を取り、社会に飛び立っていきます。今、フレッシュな新入生諸君にエールを送りたいです。 「5月病なんて吹き飛ばせ!くじけそうになったら、このオバサン先輩のところにおいで!」と。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年3月

まちだより

 

 

カーリングあれこれ

 平昌オリンピックでは日本の女子カーリングチームが大活躍しました。理詰めの高度な頭脳が必要な氷上のチェスと言われてますが、このオリンピック期間中、カーリングだけは試合開始時間になると、我が家でもワサワサとテレビの前に皆が集合です。もはや、家族間の会話も弾まない唯我独尊の町田家ですが、このときばかりは「初めは、漬物石を滑らして遊んでいるように見えたが、真剣に見てたらルールがわかってきた」、「自分の戦略と、それが美人の某選手のはじき方と同じだったときは、最高だ!」、「人生、やり残したスポーツはカーリングだ」など、皆が言いたい放題でした。でも結局ルール解明に遅れをとった私だけが、仲間はずれ状態で「なぜ、この氷上のスポーツの発祥が南極観測に行った隊員でなくて、スコットランドの凍った池の村人なのだ」、とか「スエーデン女子の腕に彫ってある文字はなんだ」と、孤独を別の疑問で紛らわせました。

 このカーリング女子旋風はその後も私のまわりで続いてます。自宅前を登下校する小学生は、「ヤーップ」、「ウオー」とか大声で叫んでるし、もぐもぐタイムのイチゴに関しては、うちに遊びに来た女子大生の福岡県人と栃木県人は「あまおう」と「とちおとめ」の甘さ自慢で揉めていました。

 不思議なことに、カーリングのミックスダブルスに関しては、全く盛り上がりません。残念ですが、なんだかあの某美人選手の隣りに男子は無理、いつもキラキラした女子だけでいてほしいと思うのは国民の願いなのでしょうか。そういえば、私は若いときから口癖が普通に「そうよね」でしたが、今やそれを「そだね」にしないといけないような気がして、たいへん苦しい日々を送っています。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年2月

まちだより

 

 

マスクあれこれ

 大流行したインフルエンザも下火になったようです。ボランティアで通う地元小学校でも、一時はこのインフルエンザが猛威を奮い、学級閉鎖の嵐でした。校内でもマスク着用者が多く、顔の半分が隠れているせいか子どもたちとの会話が少なく、盛り上がりに欠けました。まあ、騒ぐ子はいつのまにか、マスクが顎にずれたり、耳から単にぶら下がったりして全く用を足してないのですが・・・。

 そういえば、手話サークルで、聾者は相手がマスクをしていると音声言語を口の形から読み取れず、コミュニケーションがうまく取れないと言っていたことを思い出しました。

 私がマスクで困ることは、顔にキッチリ付けると、クッキリとゴムの跡が頬に残ることです。若い時にはありえませんでした。どれだけ、お肌の弾力性が失われたのでしょうか。以前、マスクを外した外出先で、この偽シワを見つけたときは、洗面所に走り白粉で隠そうとしましたが、その頑固な一本筋を埋めることは不可能でした。  先日は、電車内で見てしまいました。風邪らしき強面の若者が、マスクをはずしたら、その唇にピアスが。人に見せたくて、ワザワザ穴を開けただろうに、自己アピールより感染予防を考えたこのマスク青年、けっこう優しいかもと、握手をしたい気持ちになりました。そして、芥川賞の本に「蛇にピアス」はあったけど、「口にピアス」はないし、舌にピアスの若者が「ラーメンが引っかかるんスヨ」と言ってたなあと、こちらもマスクで酸欠になった頭に他愛もないことが浮かんできました。

 春の訪れもそろそろです。そのうち、私がマスクと決別する日も近そうです。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2018年1月

まちだより

 

 

寒波到来!

 新年明けてホッとしたと思いきや、48年ぶりの寒波到来です。そういえば、確かに小さい頃には寒い時期もあったなあと思い出します。まだ幼稚園だった頃、真冬に父の勤務先近くにあった有楽町の「三笠会館」というレストランで、チョコレートパフェというものを食べたら帰りは寒くて震えが止まらず、父に抱っこされて帰ってきたのを覚えています。今、悩みのタネの冷え性はその頃に芽生えていたかもしれません。

 家屋自体も今のようなコンクリート建築の完全暖房ではなく、昔は木造建築、匂いのキツイわりには効率の悪い石油ストーブで、障子のすきま風を毛糸の靴下で抵抗したり・・・。おまけに念願の一人部屋を与えられても、「ストーブは危ないから、こたつだけだ!」と命ぜられ、期末試験の勉強中にうっぷして寝てしまい何度、自己嫌悪の朝を迎えたことでしょうか。

 そういえば、実家が環七に近かったせいか、寒い夜にチャルメラの音が聞こえてきました。切ない旋律に魅かれて、兄と2人で家族分の大鍋を持っていくとなぜか、おでん屋の屋台でした。兄が食べたソーセージは、私の好きな大根の2倍以上の値段で、当時流行っていた漫画「おそまつ君」のおでんチビ太に、「その差は何?」と憤慨しました。キンキンに冷えた夜に、モウモウと湯気の立つ屋台は、満天の星からスポットを当てられたように幼心に残りました。その後、大人になって屋根付き立ち飲み屋が大好きな女性に育つとは、家族の誰も、そして自分さえも想像していませんでした。

 広辞苑にも「角打ち」の新語が入ったとのこと、嬉しい限りです。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年11月

まちだより

 

 

お酒に想う

 夏を越した清酒が秋風のたつ頃、樽詰め出荷後にお披露目されて飲める「冷やおろし」の季節となりました。猛暑の間は、ひんやりした蔵で眠って熟成を深め、秋の到来とともに目覚めるとは、なんてロマンチックな魅惑の飲み物でしょうか。

 全国の地酒をチビリチビリと嗜んでいると、どんな居酒屋でも居ながらにして、その地を旅している気分になるから不思議です。静岡県が蔵元の「出世城」は飲んだら浜松の雄大な浜名湖が浮かび、神奈川県の「赤とんぼ」は丹沢の山々を思い出し、京都府の「伊根満開」は赤米から紅色したそのフルーティーな味わいに、いつの間にか自分が上品な京女に変身しています。お酒のネーミングでは焼酎も心の琴線に触れるブランドがあります。「百年の孤独」(麦)、「天使の誘惑」(芋)など、女性の心をガッツリ掴んで、切なくさせるようなイメージは、40度を超える度数を知らなかったら、カクテルとばかりにゴクリと飲んでしまうレディもいるのでは・・。逆に、可笑し過ぎる焼酎の名前もあるようです。「爆弾ハナタレ」(芋)は、ボトルを前にしただけで笑ってしまうだろうし、「笑って答えず」(米)は飲んだら笑いが止まらず、「なに見てござる」(米)は、笑い過ぎて開き直った酔客を例えた感じです。

 ここまで書いてきた私ですが、実はビール党で特にクラフトビールには目がありません。私のお気に入りの手作りビール工房では、名付け方が素晴らしく、「多摩の恋」、「登戸の渡し」「川崎のやぎ」等々。地産地消を生かし、万福寺人参や王禅寺柿を使用したビールも実現したそうです。この店で「どれが美味しい?」と訊ねた客がいましたが、「あなたに合うビールが一番です」との返答に、店内全員の客が妙に納得していました。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年10月

まちだより

 

 

なんちゃってピアニスト

 施設でお世話になっている母に会いにいくたびに、たいして上手くもない素人ですが、ピアノを弾いております。なんせ、その施設はワンフロアーにピアノが3台も置いてあり、思わず職員の方に「弾いても構いませんか?」と聞いてしまいました。ピアノを弾き始めた最初の頃は、入所者の娘が弾いてるとは知らず「えっ、誰が!誰がピアノを!」とスタッフの方が、パタパタと走ってくる音がしていました。きっと若い頃のスキルを忘れずにいる認知症の誰かが、突然弾きだしたと思われたのかもしれません。

 そのうち、私が弾きだすと、車椅子の方々が回りに集まってくださるようになりました。先日、おばあ様に「バラが咲いたを弾いてくれない?」と初めてリクエストをされました。私が小学校の頃に流行った「マイク真木」の歌だとは知っていても、すぐに弾けるわけがありません・・・。しかし、いつも持ち歩いてる「歌って弾ける日本のポップス名曲集」をパラパラとめくってみると、なんとあるではありませんか!早速弾き始めると、突然その方が歌いだすので、気分はまるでスタジオ・ミュージシャン。

 音楽で母に元気になってほしいと思うようになったのは、3年前に大動脈乖離で倒れた母がICUに運ばれたとき、4日後に音楽で意識が戻ったという経験があったからです。「耳は聞こえてますから、できるだけ呼びかけて」との看護士さんの声に押されて、母の大好きな「もしもピアノが弾けたなら」と「アメージング・グレース」の2曲を私が弾いてスマホのボイスメモに録り、その名演奏を耳元で聞かせたのです。こんな技を使う私ですが、実は小さい頃はピアノレッスンが嫌で嫌で、泣きべそばかりかいては母に叱られていました。それが、今や歌謡曲から民謡まで、手を変え品を変え必死に母に弾いて聴かせているのですから、人生とは不思議なものだとしみじみです。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年9月

まちだより

 

 

珠玉のお言葉に感謝

 「まちだより」も来月で1年となります。文章掲載をお任せしているU編集長からの暖かくも手厳しい叱咤激励に応えつつ、毎回自撮りのバックの写真には「1000ピクセルで!」との意味がわからず「ピンボケ」や「残念な解像度」でご迷惑をかけております。

 読者の方々からも特に「いいね」はもちろん、「ヘタだね」という反応も特になく(押すボタンもないのですが)、全員にスルーされているのではないかとか、タイトルの「まちだより」が、私の名字の「町田」をかけてコジャレたつもりが、「町便り」のようなイメージで、「そんなもの、いらない」と、きっぱりスクロールされているかもと、目に見えない疑惑と寂しさがつのる日々を送っていました。  ところが今月、お目にかかった大先輩のOBの方が、「町田さん、『まちだより』楽しみにしてますよ」と初めて私に、お声をかけてくださったのです。そのときの私は、驚きを通り越して感激、直木賞をド素人がいただいたような高揚感に包まれました。

 言葉を変えれば、できの悪い生徒が校長先生に褒められたような、もしくは、シンデレラが王子様から愛を告白されたような幸せな気持ちになったと言っても過言ではありません。とにかく、珠玉のお言葉は胸にドカンと響きました。

 「1人の愛読者さえいれば、また頑張れる」と、お盆もとうに過ぎた清里行きの日帰りの旅で、車窓からの雄大な景色に誓いを新たにしたのでした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年8月

まちだより

 

 

留学生との夏

 玄関先のオシロイバナが咲き、門扉の上の百日紅の花が道にはみ出して自己主張する7月になると、なんだかソワソワ落ち着かなくなります。毎年、この季節になるとボランティアで携わっている日本語レッスンの留学生たちが、すき焼きを食べに我が家にやって来るのです。

 築60年の1軒家、廊下の奥には畳の仏間があるような典型的な日本家屋は、若き外国人には1度は行ってみたい興味の的のようです。あまりたくさん来られて、自宅の床が抜けたりすると大変なので6人限定にしています。なかなか準備も大変で、大掃除や、大量のすき焼きの食材やあらゆるお酒の購入で1週間前からバタバタします。

 15年も続けていますが、これまでにいろいろなハプニングがありました。昔は、女子の方が積極的で、台湾・中国・タイ・マレーシア・韓国など、なぜかアジアの女子だけになってしまった年がありました。一番喜んだのは夫で、すき焼きの説明を真摯に聞く彼女らに感激、娘に百人一首を持って来させ、「蝉丸」「紫式部」などの解説していましたが、あれから彼女らが古典を好きになったかどうかは不明です。今、記念撮影を見ると真ん中で微笑んでいる私がアジアンパブのママさんのようでもあります。 また、180センチ以上の台湾と中国の留学生が来た時は、朝食を抜いてきたとかフラフラの様子でした。1人はバスケットの選手、1人はボディービルが趣味と思い出したときは遅く、彼らは肉に火が通るのももどかしい様子で、用意した大量の肉はすべてお腹の中に。「今日の栄養でこれからもグローバルに頑張ってね」と思わず日本のお母さんはつぶやいたのでした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年7月

まちだより

 

 

池袋の街から

 友だちと喫茶店で話すことを覚えた街、お酒に強くなった街、朝とは全く違う夜の顔を持つ街、私にとって、そんな街は、池袋しかありません。

 今では、あらゆる路線の電車が一気に乗り入れ、目印だった待ち合わせ場所「テレビ塔前」も、「池袋のふくろう像」が取って代わり、何羽もあちこちに建ってしまいました。 そんな池袋とは、学生時代から約40年以上のお付き合いになります。最初は、異常とも言える人の波に右往左往し、恐い街のイメージから、なかなか好きになれなかった駅前ですが、朝からトースト食べ放題の喫茶店「蔵王」を見つけたときは狂喜乱舞、また女子だけなら食べ放題、飲み放題で500円のディスコ「アップル」を見つけたときは、合気道部の女子だけで喜んで乗り込みました。(昭和53年の頃ですから・・・)。女子の先輩に地元警察官の父上がいて、大きな安心感に支えられて決行したのかもしれません。

 卒業時に同期が駅前の西武デパートや東武デパートに就職、ありがたく彼らのコネを使い、安くて美味しいクラス会を満喫しました。いまや、小粋なフランス料理屋や異文化の本場アジア料理も食べれるようなオシャレな街に変貌してきました。

 この5月には、駅前をパレードが通るという情報をキャッチして、もちろん見てきました。立教大学が6大学野球で18年ぶりに優勝し、58年ぶりに全日本学生選手権で優勝したのです。久々のお祭り騒ぎに、沿道は笑う人々の顔で満ち溢れ、500円の記念提灯も小旗もあっというまに売り切れ御免でした。長嶋茂雄さん万歳。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年6月

まちだより

 

 

映画館

 映画大好き人間ですが、今ではすっかり映画館とは縁遠くなってしまいました。小さな頃、よく両親に連れられて、目黒の権乃助坂にあった「目黒スカラ座」に足繁く通いました。映画館は独特な香りというか、ポップコーンや雨上がりの湿った匂いが入り混じり、照明も暗い異空間だった気がします。幼稚園の頃から館内の「三船敏郎」や「高峰秀子」のポスターに親しみ、最中アイスを買ってもらうのが最高の楽しみでした。

 小学校4年のとき、父と2人だけで初めて銀座に「マイフェアレディー」という映画を見に行きました。ひたすら緊張していたのを覚えてます。帰りに銀座の、今は無き店で中華料理を食べたのですが、一人グビグビとビールを飲む父の前で、何か話さなくてはと焦り、「あんな綺麗な女優さんになりたい」と口走ってしまいました。すると、父は、ジョッキを持ったまま眉根を寄せ「無理だ。なぜそのような事を考える」と怒ったようにつぶやいていました。

 もしあの時、私が素直に「やはり、そうか」と思わなかったら人生、別の道があったかなあと考えることがあります。

 成人してからは、株主優待券を貰い、よく一人で「丸の内東映」という映画館に通いました。朝一番の上映時間に合わせて有楽町駅前の、これも今は無きパン屋で焼きたてのパンを買って館内の中央の端の座席を陣取りました。「映画鑑賞は一人が何より」はここで学びました。どこを旅するよりも、夢の世界にひとっ飛び、空想の中で至福のときを過ごせます。早く、60歳になってシルバー割引の千円で見るのだと思っていた私ですが、この歳を迎えたこの1年、新聞屋さんにもらった無料チケットで見た以外、この特権をまだ使っていません。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年5月

旅編 その1

まちだより

 

 

 「かかあ天下と空っ風」で有名な群馬県ですが、焼きまんじゅうや蒟蒻などご当地グルメから最近はブーム到来のようです。ユルキャラの馬のぐんまチャンTシャツは大人気だし、ドラマ「おまえはグンマを知らない」は夜中の番組だったのに好評で、この夏には映画化が決定しています。

 そんな中、前橋出身の後輩が1泊2日の「群馬ツアー」を考え、同窓の40歳代女性5人に呼びかけました。そして、かなり先輩で神奈川在住の私にまでお誘いがありました。「おっ、光栄!」というか、「えっ、いいの?」という感じでしたが、どう考えてもこのネーサンを誘うという原点は、共通項の「単なる飲兵衛同士」しかありません。有難くオファーを受け、爽やかな春風が吹く土曜の朝に皆で高崎駅に集合しました。今回のこの旅の一番の私の興味は、グンマ地元民が何をアピールするかでした。

 まず、初日のランチは伊香保の水沢うどんで舌鼓を打ち、ちょっと行ったところの「おもちゃと人形・自動車博物館」で昭和のレトロな気持ちに浸り、老舗旅館「福一」に直行、夕飯までに階段街で両脇の土産屋をひやかしながら見物しました。しかしながら、あまりに長いこの階段に嫌な予感がして、道行く人に聞いたらここは365段あるそうで、あわてて心臓破りの階段をUターンしました。もはや皆、「福一の大宴会に間に合うように帰らねば!」というただ1つの想いしかなかったのです。

 二日目は、私以外は皆、二日酔いとは無縁に朝風呂に飛び込み、朝食後は一路、榛名湖を巡り、パワースポットの榛名神社へ。エネルギーをご神体からいただいた後輩らは、ラストの白衣観音見学で胎内に入るやいなや、騒いでいましたが町田先輩だけは、観音様の頭部に着いた頃には、息も絶え絶えでした。この旅で深く自覚したのは、「若さには勝てない」ことでした。でも帰りの新宿湘南ラインでは帰宅できる喜びからか、グリーン車の車内宴会で一番元気だったのは、この私でした。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年3月(2)

ペット編 その2

まちだより

 

 

 「動物園で真っ先に見たいものは?」と聞かれたら、私はやはり「サル山!」と答えます。親ザルのあのデーンとした肝っ玉ぶり、思わず抱っこしたくなる子ザルの可愛さ、親子の毛づくろい、チビザル達の追いかけごっご等、すべての状況がまるで筋書きのないドラマのように楽しめます。

 私のサルが大好きだという理由は、申年だからという要因が大きいと思うのですが、小さいときから、サルが出てくる絵本や昔話には同じ血筋か即効、反応していたと思います。同じ絵本でも「猿蟹合戦」では猿の顔がどうにも極悪だし、アメリカの「おさるのジョージ」はなんてお茶目なのか、世界のサル顔表現に日本のサルの不平等さを感じました。映画「猿の惑星」はあまりにリアル過ぎて好きになれず、映画館に行ったのは1作だけです。また、小学校時代に読んだ老作家のエッセイに「サルを飼うときは、まず首根っ子を噛み、誰が飼い主であるかをわからせる必要がある」という文章に仰天し、最近の小説「猿の見る夢」(桐野夏生氏)では、同世代の男性社会の悲哀を感じました。

 ここ10年は、サルグッズのコレクターでもあります。サルのストラップはもちろん、サルの押し絵の壁掛け、サル顔の便箋封筒、ハンコウ、お猪口など年を越すごとにマニアックになってきました。趣味の手芸で靴下からサルも作りましたが、どうにも自分の顔と目を合わせたくない出来栄えで、棚の上に無造作に鎮座ましましています。

 いつもサルに囲まれていて日常は財布の中には、上海で買ったミニザル、エコバックの中には香港のサルのお守り、枕の横には北京動物園で買ったサルの縫いぐるみが寝ています。こんなサル好きの私ですが、高校の頃はコロコロに太っていたのでお気に入りの白のコートなどを着ていると「白クマみたいだ」とよく言われたものです。私自身、クマからサルに体型がよく進化したものだと思います。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年3月(1)

ペット編 その1

まちだより

 

 

 今や空前の犬猫ブームですが、自宅には物心ついた頃から家に犬や猫がいました。最初の犬との出会いはどこからか貰ってきた紀州犬のデリカで、2匹目は六本木のバーのマダムから父に「吼えて煩いから飼ってくれない?」と言われて、酔っ払った父に抱っこされて来たスコッチテリアのヴィッキー、3匹目は犬猫レスキューのボランティア団体から譲り受けた雑種のコムギでした。運命のように我が家に来るべくしてきたような犬たちで、ペットショップとは無縁です。

 どの犬とも思い出深いものがありますが、40歳代で飼い始めた、コムギとの11年間後の別れは本当に悲しくて悲しくて大変でした。一言で言えばペットロス症候群なのでしょうが、1年間はこの私が腑抜けのように泣き暮らしました。一緒に歩いた散歩道が通れなくなり、スーパーのペットフードの前を通ると涙が出て、そっくりな白い犬を見ると抱きしめたい衝動にかられ・・・。特にその暮れのクリスマスのときは悲惨で、酔っ払いながら愛犬が恋しくて、滂沱の涙を流しながら山の手線を半周してました。本当に自分が喪失感に苛まれてどうにかなってしまうのではないかなと思いました。

 そんなとき、見かねた友人の「愛で育てた動物は先に天国にいっても、虹のかけはしという所で飼い主を待っていてくれるんだって」という言葉に救われました。

 あれから約10年が経ちます。今では犬友だちと、見送った愛犬の「うちの子が一番よ」という思い出話で杯が重なります。よく思いだす光景に、コムギと散歩している時に初老のご夫婦が「まあ、飼ってたうちの子にソックリ」と涙ぐまれたことがあります。飼い主の誰もが味わう悲しみは、看取る責任と同じくらい至極当然だと思えるようになりました。そして「悲しみに効く薬は時間しかない」という言葉に共感しています。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2017年1月

裁縫編 その2

まちだより

 

 

 30歳代になって洋裁という趣味に目覚めました。これは不思議なことに、中学・高校時代に大嫌いだった被服(昔は裁縫の授業をこう言いました)の概念を覆すことができたのです。

 被服の授業が好きになれない原因は、とにかく先生が恐かったのです。自分の祖母のような年齢で、いつも超高級な紬のお着物を召して一瞬の隙も見せないお姿でした。私たち生徒は自分の縫ったものが一糸間違えずに出来たかを、お伺いをたてるために教壇に一列に並び、その先生の判定を待つのでした。その緊張感と言ったら、いつもおしゃべりでやかましい女子たちが一言も発しません。身体どころか指も力強かった私は、「あらあら、あなた、この縫い目は粗すぎますわよ」と先生に、惜しげもなく何回、ツーッと糸を抜かれたことでしょうか。

 また、自分と学校のミシンとの相性で、その日の出来栄えに優劣の差がありました。ミシンと言っても相手は足漕ぎマシンです。このマシンがスムーズに動いてくれればなんの問題も無いのですが、調子が悪いとなると、1時間授業のほとんどを、修理屋のオジサンのようにミシンと格闘しました。はては、ミシン針の穴に糸が通らないという焦りも手伝い、生地の表裏を間違えて縫ったりと散々で、どれだけ放課後に居残り命令が出たでしょうか・・・。それでも怒られながら、チョウチン袖のワンピースが完成したときの喜びは大きく、未だに大切に取ってあります。

 当時、アメリカ大好き少女だった私はアメリカの国旗柄で、スティービー・ワンダーの唄を聞きながら、遠い異国を夢見て作りました。

 あれから45年経ち、アメリカも私もだいぶ変わりました。冬でもサブリナパンツに金のサンダルで闊歩していた少女は、今は5本指ソックスの2枚履きです・・・。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2016年12月

裁縫編 その1

まちだより

 

 

大きい小学生

 私は小学校6年生のときにはすでに身長が160センチありました。今も同じような背丈なので、12歳から成長が止まっていることになります。この歳になって、まあ頭脳的には人並みになったと思いますが、数学的な理解力だけは身長同様、止まっているかもしれません。

 小学校で大きいと、色々な屈辱を味わいました。なんといってもランドセルを背負わずに駅の改札口を通ると何度、駅員さんから「お客さん、何歳?」と呼び止められたことでしょう。昔は国鉄の切符に赤く「小」と印字されていましたが、私がそんなに生意気な顔をしていたのでしょうか。現在の改札口は小学生が通るとピヨピヨと、ひよこ音が鳴りますが、誰からも何も言われない幸せな社会になったものです。もし身長の低さを察知して音が鳴るのなら、今、合気道の摺り足で腰を低くして通過実験したい衝動に駆られます。  そして、第2の屈辱はもっと悲惨でした。とにかくデパートに行っても可愛い子ども服が着れないのです。色も型もみな地味なウエスト無しのオバサン服ばかりです。着る服がないというトラウマと紺のセーラー服を12年間着用したストレスは、その後、「ハデな色ばかり着るオバサン!」という強烈なイメージを、会う人ごとに与えてしまっているようです。

 でも、思い起こせば30歳のときに洋裁を習うことで、人生観が変わったと思っています。  ~{続く}~

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2016年11月 幼馴染編

2016年11月 その1

まちだより

 

 

お弁当

 幼稚園から高校まで一貫した女子校で育ちました。しかしなぜか、幼稚園の2年間だけは、男子が5人ほどいました。貴重な幼き頃の共学体験があります。食が細くて、いつもお弁当が全部食べられずにメソメソ泣いていたある日、「ボクのお弁当、ウナギだぜ、イエーィ」と話しかけてくれたタロー君。あまりのインパクトのある慰め言葉に「何、それ?」とすっかり涙も乾きました。ただでさえ、丸々と太っていたタロー君はその後も大きくなりすぎて、よくブランコから落ちていました。20歳の頃、風の便りに「大きなアメフトの選手になった」と聞き、幼馴染として心からエールを贈りました。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2016年11月 その2

まちだより

 

 

2世の会

 「皆さん、幼馴染ですか?」。先日、同年代の仲間で行った浅草のどぜう屋の宴席で聞かれました。とても楽しそうで、竹馬の友の集まりのように見えたらしいのです。実は、この飲兵衛の会は父親たちが海軍経理学校35期の子どもたち、つまり「2世の会」なのです。もう誰も父親がいません。この会で、海軍のことを何も話さなかった父が生前、同期の子息の面倒を見、杯を交わしていたのを知りました。家族よりも、生死を共にした同期の桜を大事にした父の熱い想いは、人との交流が好きで酒好きな娘の血に流れてます。よく、言われたものです。「お前が、男の子だったらなあ」と。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2016年10月 電車三題

2016年10月 その1

まちだより

 

 

この夏、残念な品々

 今年の夏は実に暑かった。ちょっと奮発して買った日傘、着慣れた白のサマーセーター。これらはこの猛暑で電車に置き忘れた残念な品々です。車内の冷房に夢心地、降りてしばらくして気がついたので、捜索願いが大変。我が駅は南北線と東急線が乗り入れており何回、鉄道会社に電話したことか・・・。諦めたはずでした。しかし、秋の声をきくと、やはりあの愛用品が恋しくてたまりません。向こうも私を探しているのではないかと・・・。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2016年10月 その2

まちだより

 

 

ちょっとーぉ!

 1日に落し物を2個目撃し、おせっかいオバサンのようになってしまった日がありました。1個目は女の子の傘でした。雨の日にもかかわらず、恋バナに夢中のキャピキャピギャルは、案の定、学生カバンだけで降りようと。私が追いかけて渡すと「ヤダー」と一言、事なきを得ました。でも、振り返ったら、私の席は他人が鎮座してました・・・。2個目は電車待ちのホームで男性高齢者のポケットから切符が、ポロリ。思わず拾って手渡ししたら、漏れた一言が「なんでだろ」。すみません、こっちが聞きたいです。

 

(写真と文 町田香子)

 

 

 

 

2016年10月 その3

まちだより

 

 

挟ンデレラ

 「駆け込み乗車におやめくださ~い」。車内にこのアナウンスが流れるたびに、5年前の痛い思い出が蘇ります。若い頃に合気道で鍛えた運動神経で、「間に合わない」なんてありえないはずでした。しかし、残念なことに身体はセーフでも右カカトがドアに引っかかり・・・。思い切って足を抜いたら、車内につんのめり、ハイヒールだけがドアに挟まれておりました。 乗客たちの冷たい視線の中、ふと思ったのがシンデレラは片足で、どうやって城から自宅まで帰ったのかということでした・・・。

 

(写真と文 町田香子)