4月(1)
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10年ぶりの 屋形船  

 

 「野崎参りはよ~、屋形船でまいろ~♪」
 東海林太郎の歌ではありませんが、このたび屋形船に10年ぶりの同期会で乗ってきました。隅田川から東京スカイツリーを見上げ、東京湾に出て東京タワー、レインボーブリッジを通り、最高のロケーションで夜桜を愛でるという宴会コースでした。気を利かせた女子幹事が、桜の開花予想をいち早くキャッチし、3月22日とピンポイントに予約しました。おまけに、彼女が参加者全員の乗船代を1ヶ月前から先払いするという、準備万端整った会だったのです。
 しかしです!当日は、朝の気温は3度!桜の開花どころか、堅く閉ざしたままの緑のつぼみに、開花日は見事に裏切られました。夜7時、凍りつきそうな川面を見ながら辿り着いた、勝どき乗船場。船内に乗り込んでも寒いので、コートを着たままの乾杯スタートです。元気なのは、この船の司会兼ガイドで、人力車を引きそうな、いなせなオニイサンだけです。
 そのうち、豆絞りハチマキでお神輿を担ぎそうなオネエサンさんたちが、一人用すき焼き鍋の青い固形燃料に火を付け始めると、一気に室温が上がりました。いやはや、船窓は締め切ってあるので、暑いのなんのって!皆セーターまで脱ぎ始めるではありませんか。
 その勢いで宴もたけなわになると、あのいなせなオニイサンが、なんとフランス語やドイツ語を駆使して外国人観光客の紹介を始めたのです。また、どこで仕入れた情報か、「今日は〇〇家のお祝いだそうで、ご子息の卒業とおじい様のお誕生日、おめでとうございま~す!」と叫ぶと、乗船客から、「ウオー、いいぞー!」と、歓声が上がり拍手の嵐の中、世界は1つだという連帯感に包まれました。
 結局150分の船内宴会は、あっという間にお開きとなり、外の夜景をあまり見なかったわと悔やみながら下船しました。これは、10年前と全く同じで、単なる居酒屋仕様で屋形船に乗ってしまったことを思い出しましたが、あとの祭りでした・・・。
 

 

映像:坂口行雄
文:町田香子

 

 

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3月(2)

 

 

 

栄養改善の 実験対象者に 選ばれて

 

 先月突然、神奈川県立某福祉大学から、ぶ厚い封筒が送られてきました。
 何事か?と恐る恐る封を開けてみると、「肴好に合わせた食品選択での食事介入が、栄養状態の改善に有効かどうかという研究に協力していただけないか」という小難しい内容です。
 fitbit(上)、体重計とスマホ(下)
 頭をフル回転させ、何度も読んで理解したのは、毎年、市立病院で特定健診を受けていた私のデータが「体重は重くはないが、コレステロールが高い割に体脂肪が少ない。いったいこの人は毎日どんな栄養状態なのか?よし、この人をターゲットにしてエネルギー・たんぱく質を毎週補充、プロのアドバイスを元に、食生活の改善に伴い健康管理をしてあげようじゃないか!」ということらしいのです。
 「ムム、これは研究材料にされてもよいかな?」と決心できたのは、なんと今年8月までの半年間に食費49000円が謝礼金としていただけると明記されていたからです。家族も恩恵を感じるのか喜んで、「いいねえ~、棚からボタもちだ!」などと、やけに応援します。当日は背中を押されるように出かけましたが、会場に着いた途端、大勢のシニアと共に身体測定に並ばされ、山のようなアンケート(食べ物の嗜好、健康価値観)に答え、今日から必要な器具、「オムロン体重計、腕に装着して健康管理データが管理できるFitbit、栄養管理士からのアドバイスに使うラインアプリが入っているスマホ」等が貸与されました。疲れきったところで、研究方法の説明として、「週1回、指定されたネットスーパーから購入したい食材をスマホのラインで栄養士さんにお伺い→アドバイスに従って食材変更→OKが出たなら注文購入、配送された食材をスクリーンショットで栄養士さんに送る→その食材を使った料理の写メを再度栄養士さんに送る、という一連の超面倒なシステムが待っていたのでした・・・。「タダより怖いものは無い」。
 今後「まちだより」に何かご報告できるようでしたら、書かせてください!
 
写真:コンテスト応募の皆さん
文:町田香子

 

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3月(1)
 

 

 

 

 

睡眠妨害の 相手は・・・  

 

 最近、朝の目覚めがスッキリしません。万年、睡眠不足はもう慣れっこですが、どうにも日中ボーっとしてしまうのは困ったものです。そしてこの原因に思い当たる節はただ1つ、うちの飼い猫「ピー子」です!そうです、昨年度 k-unet PCアートコンテストで大賞をいただいたあの白黒ネコです。
2022年度コンテスト大賞受賞作品

 いまや13才の高齢彼女に寒さがこたえるのか、はたまた、うちの暖房器具が老朽化しているせいか、夜中に私の布団に忍びこんでくるのです。まずは丑三つ時(午前2時頃?)に、「ニャー、入れてくださーい」とばかりに可愛い鳴き声で甘えてきます。この甘え方がくせ者で先月、「背中の撫で方が悪い!」と彼女からネコパンチをくらい私の顔を「切られ与三郎」にしたことも忘れています。まったくあの時ほど、ピー子から「ワル子」というネコ名に変更したくなったことはありません。それでも、彼女の寒そうな声にほだされて布団を5センチほど開けてあげると見事なホフク前進で進入成功、その後は私のお腹の上をあちらこちらと横断、毛づくろいに励んで疲れると、水を飲みに出たりと自由気ままにやりたい放題です。もう来ないだろうと高を括っていると、とんでもない、ツー・ラウンド目は午前五時頃に、再度キンキンに冷えた身体でまたヌッと入ってくるのです!もう今度は、私のほうが「ヒエ~、冷たい!」とバッチリ起きてしまいます。さすがに、あまりの傍若無人さに「私の寝床はアンタのほこらじゃない!」と叱ると、「フン、なにさ」と冷ややかな目で睨み返されました。
 毎週土曜日の朝日新聞の4コマ漫画「コロコロ毛玉日記」を愛読していますが、作者の飼い猫「テツ」も同じようです。作者も私と同様、寝る前に必ずベッドの中で本を読むそうですが、横になりながら自分と本を持つ手の間に猫の顔があるという絵に、思わず吹き出してしまいました。
 ネコの13才は人間の68才だそうですが、今年68才になる私とピー子の真冬の攻防戦は辛いけど、なるべく長く続いてほしいなと思っています。

 

映像:坂口行雄
写真:樫村慶一
文・写真:町田香子

 

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2月(2)

 

 

 

日吉台地下壕 見学ツアーに 参加して

 

 神奈川県港北区日吉の慶應義塾大学構内にある「日吉台地下壕見学ツアー」に参加してきました。旧帝国海軍が残した連合艦隊司令部地下壕をいつか見たいと思っていたからです。約40名の参加者は、まずは日吉台地下壕保存会のガイドさんから、注意事項のレクチャーを受けました。「急な坂道、水溜り、壕の中の排水溝に足を取られないこと、また撮影禁止個所有りで、撮った全ての写真はなるべくSNSには流さない」等々でした。そして4班に分かれて、自然豊かな緑に囲まれたキャンパスから、山すそにある通称「まむし谷」に行くまで、今回の戦争遺跡見学という目的が無ければ、まるでハイキングのような爽快感です。それが地下壕に入り、持参の懐中電灯を照らすや否や、言いようもない暗澹たる気持ちになりました。
 張り詰めた静寂、緊張、そして無言の脅威・・・。
 この地下壕建設が始まったのは、1944年サイパン陥落後で、最初に連合艦隊司令部が設置され、終戦までのたった1年間に、神風特攻隊や戦艦大和の出撃命令がこの壕から出されたということでした。迷路の中は、指令長官室、暗号室、作戦室などがあるようですが、機密を重んじて当時の資料や写真もないため明白なことはわからないようでした。途中、ボランティア・ガイドの女性が、特攻隊が体当たりで爆撃するときの「ト・ト・ツー・ト・ト」という実際の発信音を流してくれましたが、「この音が聞えなくなったときが飛行機もろともに爆撃が終わったときです」との案内に、私も含め多くの方が涙しました。
 見学終了後に、80才位の方が「防空壕から1歩外で遊んでいた子どもが空襲でやられたと聞いたことがあるんだ・・・」と言葉少なに語る声が聞えました。また、この見学ツアーを取り仕切る「日吉台地下壕の保存の会」の市民活動が、この戦争遺跡の永久保存を目指して35年の歴史があるということに感銘を受けました。そして、悲惨な戦争で亡くなった人々の無念さを思い、あらためて平和の大切さを思った1日でした。
 
写真:樫村慶一
文:町田香子

 

 

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2月(1)
 
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このボタンをクリックすると、コンテスト各部門の2位、3位の入賞作品の一部をご覧いただけます。コンテストの全体はコンテストのページをご覧ください。

 

 

 

 

追悼  八代亜紀さん  

 

 歌手である八代亜紀さんの突然の訃報に驚きました。トラック野郎や遠洋漁業の船員さんたちのマドンナであり、歌えばハスキーヴォイスの哀愁を誘う低音!私のようなどうしようもないダミ声女には、なんとかカラオケで唄える救世主のような歌姫でした。曲がりなりにも彼女の演歌は私の十八番でした。1971年のデビューの頃は、ふんわりとした茶色の盛り髪に挿したキラキラした髪飾りや、光輝くスパンコールの揺れる衣装は、大人の世界の女性の香りがムンムンしていました。そして、触れてはいけない過去を持つミステリアスなイメージの人でした。
 「熊本県八代市生まれでバスガイド出身、プロになるまでには長い下積み生活があった」くらいしか、人となりを知る由もなかったのですが、このたびの訃報にあたり、毎日のように流される彼女の陽気でポジティブな生き方の報道に、まったく違った人生が垣間見れました。
 アメリカの歌手であるジュリー・ロンドンの影響を受けて歌手になったこと、2013年にはジャズ歌手としてニューヨークの舞台に立ち、2015年から箱根親善大使に就任したり、画家としてもフランスの絵画展に入選していた、等々です。そして、ボランティアにも積極的で、東日本大震災のときには八代産の畳を届けたり、熊本地震でも避難所訪問して人々を励ましたという記事もありました。
 彼女曰く「ヒットした自分の歌は、自分の生き様ではないです。女性の代弁者として歌っているのです」という言葉に、人生における、愛だの恋だのに振り回されない、強く生きていく女性の姿を感じました。大好きな彼女の歌の中に「もう一度逢いたい」というタイトル曲がありますが、まさしく彼女こそが、私にとってもう一度逢いたい人です。

 

映像:坂口行雄
文:町田香子

 

 

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1月(2)
 
2023年度PCアートコンテスト大賞受賞作品
矢部靜樹さん 組写真 沖縄の”花と蝶”
2023年度PCアートコンテスト大賞受賞作品
矢部靜樹さん 組写真 沖縄の”花と蝶”
 

 

 

 

 

初夢に想うこと  

 

 あっというまに新年も半月が過ぎてしまいました。素晴らしい初夢を見た方は、しばし希望と幸せに満ちた年の初めだったのでは!「一富士、二鷹、三茄子」が夢に出てくれば、その1年が縁起の良い年になると伝えられています。
 私といえば、若いときからこの初夢を期待して「なかきよのとおのねふりの・・・」の歌を書いた紙を枕の下に入れて寝ます。しかしながら、いつも期待ハズレもいいとこで、吉夢というより見るのは残念な悪夢ばかりです。今年の初夢は16年前に看取った愛犬コムギが久々に登場、楽しい散歩に出たところ、そのうち道に迷い、なぜか一緒に川にドボン!悲しいかな、ここでコムギを捜すはめに・・・。去年の夢に至っては、他人の家に入り込み、そこの夕ご飯を無断でムシャムシャ。どの夢もあまりの切なさと罪悪感で目覚めていました。最近は、この正月悪夢の原因は、三が日を暴飲暴食で過ごし、いつ起きていつ寝ているかよくわからない怠惰な日々のせいではないかと思い始めています。
 初夢に限らず、自分がストレスを溜めこんでいるときによく見る夢もあります。それは、なんと私が母を怒っている夢なのです。父の後ろを3歩下がって歩き、専業主婦の鑑のような母が、なんと夢の中では、家事をせずどこかへ遊びに行ってしまうのです。これは、過去に実際、私が母に怒られていた場面の逆バージョンなのです。親を怒るようなわけのわからない夢を見て飛び起きた朝は、自分の不甲斐なさに落ち込みます。そのたびに、夢判断の本やネットを読み返すのですが、「母の夢を見る」→自立心の高まりであり、「母を叱る」→ストレス解消の吉夢である、と書いてあります。さらに「吉報を待ちながら、人に誠実に接していれば幸運が届くであろう」と、結んでいます。本当かどうかは別にして、とりあえずは誠実かつ、辰のように強いパワーでこの1年を過ごし、吉報を待ちたいと思います。

写真:矢部靜樹
文:町田香子

 

 

 

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1月(1)
 

 

 

 

ドネイション 成就!  

 

 

あけましておめでとうございます!
 
 約3年半伸ばした髪の毛をバッサリ切って、少々首筋がスースーしますが、清々しい新年を迎えています。
 2022年10月―1号にも書きましたが、あの念願だったドネイションを果たしました!すでに去年の夏ごろから、長すぎて切りたくてしょうがなかったのですが、いざカットの予約日が近づくと、いったいどんな顔になるのだろうかと心配になりました。高校3年のときに、おさげ髪を切ったら、「女三四郎」と呼ばれ、はては「モンチッチみたい」と言われた苦い思い出が蘇りました。

 複雑な気持ちのまま、美容院に行ってカット椅子に座ると、店長曰く「長い髪を切るのは嬉しいですね~」とやる気満々のご様子。
「先日も、ドネイションで青年の見事な黒髪を切りましたよ!
まさにカラスの濡羽色ってやつですよ。美容師冥利につきました」と聞いてもいないことをペラペラと・・・。立派な黒髪の青年までが参加する活動なのだ、私のようなシニアのパサついた髪は見劣りするだろうなあと思いつつ、あらためてドネイション規定が頭に浮かびました。「小児用医療用ウイッグとして、頭髪に悩みをもつ子どもたちに無償提供すること。クセ毛、白髪や量に関係なく、髪を小さい束に分けてゴムで結び、カットした髪は本人が活動団体に郵送すること」等と思い出していると、ジョリジョリというハサミ音が耳元でし始めました。テーブルに髪の束が並べられ、ふと目前の鏡に映った我が顔に愕然!やっぱり、そこには、ふけた「女三四郎」が!それも今回は、ザンギリカットです。思わず明治時代にヒットした「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という俗謡が浮かびました。
 
 新しい年に断髪町田は、より一層開化した「まちだより」を書いていく所存です。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします!

 

写真:樫村慶一
映像:坂口行雄
文:町田香子

 

 

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