四 季 雑 感(40) 樫村 慶一 今までしてこなかった、私の最高の自慢話 10年前にk-unetの世話人を止めた後、ご厚意で、ホームページにささやかながら専用のスペースを頂き、書きたいことを書いてきた。初回は、2007年8月の 「このごろ思うこと」 と言うタイトルで始まり8号まで続いた、その後「四季雑観」に改題して39号、今年は執筆開始から10年目の記念年になり、今回は背番号も丁度40号と区切りの号になった。よく続いたと自分でも思う。 一方、 地球上には、テロだ、台風だ、豪雨だ、竜巻だ、地震だ、こそこそした殺人、不倫、汚職、政治スキャンダルなどなど、恐ろしいことや自然の脅威やら、昔だったら平気な顔で外を歩けないような恥ずかしいことまで、まともな人間が忌み嫌う現象が溢れかえっている。こんな時にはなにか、良い話題はないかと考えて思いついた。今迄色々書いてきたが、私も来年は米寿だ。周りには訃報がふつふつと舞い込む。自分がいつ、その仲間に入ってもおかしくはないと思っている。東京オリ・パラが卒寿で、差し当たりの目標である。もう、先行きには何も起きないだろうと感じ、とっておきの自慢話を書く気になった。 秋になれば空が青くなり爽やかな風が吹く。とくると、ゴルフ狂はじっとしていられなくなる。私も13年前まではそうだった。1967年(昭和42年)から2004年まで37年間、ちっともうまくならない万年ビギナーのようなゴルフ遊びを続けてきた。ところが、その37年間で、一度だけとてつもない経験をした。国内でのコンペだったら黙っていたって話題になったのだろうが、場所が外国だったので、本人が言わない限りあまり知る人は現れないし、社内でも話題にならなかった。
初日はモンテヴィデオの 「ウルグアイ・ゴルフクラブ」の18ホール、翌日は、150キロほど東へ移動、ウルグアイの大西洋岸、と言うよりかって貿易関係ニュースに頻繁に出てきた、ウルグアイ・ラウンドと言う言葉を覚えている方は多いだろうと思うが、そのウルグアイ・ラウンドが行われた、プンタ・デル・エステ(東の端っこ)と言う大西洋に面した高級リゾート地の 「カンテグリル・カントリークラブ」での18ホールマッチである。 第一日目が52,56 トータル108 ハンディ30 ネット78、パーが73なので5オーバー、順位は6位。ハンディは30と自慢できるものではないが、でもこれも実力だから仕方がない。第二日目は、50,51 トータル101 ネット71で パープレイ(パー71)。2日間合計でグロス209 ハンディ60で、ネットが149、5オーバーで優勝だった。50を一度も切れず、お世辞にも良いとは言い難い。シングル級も2,3人はいたが、全体としては、余りレベルが高いとは言えなかったと思う。
肝心の航空券は、一緒に連れて行った娘が、駐在生活3年目に入り、大学の友人に会いたくて仕方がない心境になっていたようだったので、それで一時帰国させた。 これからの人生にはもう何も起きないと思うと寂しいけれど、”ヤッター” と思わず叫んだあの時の感激は、改めて、心の底から懐かしさを蘇えらせてくれた。 (2017.9.23 彼岸の日、記す) |
四 季 雑 感 (39) 樫村 慶一 なぜ元号と西暦と、ごちゃまぜで使うのだろうか 今年もお盆の季節になった。東京は7月お盆説が多いが、地方はやっぱり8月だ。今年は亡き妻の3回忌になるので、G.W.の前半に30年ぶりに妻側の田舎の墓参りをした。前回行った時は石ころのような墓石がゴロゴロ置いてあったのが、今ではたった一人になった子孫が、各墓の並べ方を綺麗に整理し、石ころの墓石はきちんとした墓石に置き換え立派な墓地になっていた。古い墓はいつ頃からのがあるのか若干興味を持ったので墓石の後ろの墓碑を読んでみた。古い石はよく読み取れないのが多い。文化文政の頃からのものもある。よく知らない元号もある。こうなると、いったいいつ頃、何年くらい前のものかなどという歴史を思い起こすことなど不可能である。 (2017.7.15 お盆の中日に記す)
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四 季 雑 感(38) 樫村 慶一 雪国の春を行く G.W.を先取りして、焼酎がワインに変身するのを味わい、
日々の天候の変動は徐々に激しくなってくるように思えるが、やっぱり、春がくれば桜が咲き、散って葉桜になるころは牡丹、つつじ、そして梅雨とともに紫陽花が妍を競うようになる。山形市に住む妻の母方の親戚から、伯父(義理の)の7回忌をやるが、こられたらこないか、ちょうど東北の桜が見ごろになるだろう、と誘われたのでその気になった。でも、すでに10年前に免許証を返納した私は車の運転ができないので、娘夫婦に甘えてGWを若干先取りしてもらい、渋滞が始まる前に、出かけて帰ってきた。それでも4泊5日は結構長旅という感じがする。温泉は堪能できたけど。東北道は面白味がないので、趣向を変えて話題多き日本海沿岸から行くことにし、関越自動車道から新潟県の海岸沿いを走るルートを選んだ。小説「雪国」の物語の通り、長い関越トンネルを抜けたら、越後の国にはまだ雪が残っていた。 六日町インターを降りて、日本酒の名酒の一つ“八海山”醸造所を見学に訪れた。一面田圃に囲まれた少しばかり小高くなった広い敷地は周囲が桜並木に囲まれ、地面には、今が盛りのかたくり、つくし、名を知らぬ可憐な白い花などが咲き競っている。敷地内には主棟の醸造工場の他に日本調の内装の食事処とか試飲即売所などがあるが、一際目を引くのが建築デザインで賞を受けた、雪室という天然の冷蔵庫ともいうべき建物である。雪室内は冬の間に雪を300トンほどに積み上げ、室内を3度Cほどに下げて、吟醸酒などの熟成をしている他、オーク材の樽で焼酎を熟成している。300トンの雪は次の冬までに約半分に減り、また来冬に減った分を補充すると言う。 ここの試飲コーナーで、酒には目がない私も初めて味わった、えも言われぬ、馥郁たる芳香を放ち、喉にかすかなリキュールの甘味を思わせる“焼酎”に出会った。その名は「風媒花」と言う。先ほどのオーク材〈樫の木〉樽で熟成された、極上の焼酎である。アルコール度数は40度。たかが焼酎が、なぜこんなにも高級感あふれる、シングルモルトのウイスキーにワインの甘味のような謎めいた味になるのか不思議でならない。やっぱりオーク樽での3年間の醸造が極意なんだろう。 実際はミサイルの話などほとんどしていない、日本海沿岸の砂浜を見下ろしながらひたすら走る。新潟の村上市からは高速道がない。いやおうなしに海岸沿いの道を走るが、心なしか太平洋より黒く感じる日本海の海は、現実社会の騒音などどこ吹く風と言わんばかりに穏やかである。久しぶりの田園地帯の空気を吸い、どこまでも続く花粉症の元凶を眺め、かっては広い田圃の片隅や崖の下にぽつんぽつんと立っていた茅葺屋根の代わりに、都会と同じ家が建っているのが不釣り合いに感じるなど、変わった思いをめぐらせていたとき、まさかあんなところに、という島があった!。日本海には佐渡が島の北には島なんかないものとばっかり思っていたのに、結構大きな島ではないか。充分に人が住んでいる可能性がある。あわてて地図を見たら今日まで全く知らなかった島が出ている。粟島と言い行政区画で言うと、“粟島浦村”となっており、予想通りフェリー航路がある。 このあたりの海岸は茶色い岩がゴロゴロ波から顔を出し、陸地は岩が断崖のようになっていて、“笹川流れ”という名勝を作り出しているような、風光明媚な海岸である。そして夕方の見事な日没もさらに華を添える。あまつさえ、今年の東北はこの時期、満開の桜が美観に輪をかけていた。道に平行して走る羽越本線の乗客ももちろん景勝を堪能していることであろう。このような景色を楽しめるのは、日本海側には高速道路がない部分が多いためで、なまじっか高速道路ができれば、物流トラックは元よりよほどの閑人じゃない限り、高速を通るだろう。しかし、高速では、やたらに防音壁や目隠しの木があり、せっかくの風景が眺められない。もっとも、こんなことは一生に数えるほどしか来ない人間の言うことで、やっぱり地元も観光事業者なども高速道路は欲しいんだろうと思う。 山形県の日本海側と内陸を結ぶ山形自動車道というのは、月山湖インターと湯殿山インターの間21キロが繋がっていない。山形市から月山湖(人造湖)を望む月山湖パーキングへ入って驚いた。道路公団の道路地図には立派に「月山湖P.A.」と書いてあるのに、施設はトイレと飲料自動販売機1台だけで無人だ。公園の公衆用より狭いトイレと自販機1台だけと言う、まことに小さなPAである。先客もワンボックスが1台だけだった。これも外へ出て初めて味わえる経験である。 おわり (2017.5.5 記) |
四 季 雑 感(37) 樫村 慶一 不安を抱えながら楽しみと暮らす 天の法則通り凡そ46億回目の春が来る。今年もまた各地で、新しい出会いと、悲しい別れ、人それぞれの人生模様が繰り広げられるであろう。私もそうして、今日まで生きてきた。
ところが、去る2月、風邪で8.5度の熱が2日も続いたのには参った、と同時に、今後も救急車を呼ぶほどではないが、さりとて、かかりつけ医者までは行けない、という状態になった時のことが心配になった。
それともう一つは、妻の一生を写真でまとめようと思っている。小学校に入学したころからのものが残っているので、それに私と知り合った時代をつなげていけばよいのだが、これにも問題がある。私がパソコンを始めたのは古希(70歳)の祝いに娘夫婦が贈ってくれたのがきっかけである。ワープロで十分などと言っていたが、綺麗な色付き画面に虜になり、写真処理やアニメ作りなどに夢中になったりしたお陰で、人並みのスキルに達したとは思っているが、これにも問題がある。結婚した1955年からデジカメを使いだした2000年までの45年間の古い写真を、退色補正しながらスキャンして取り込まなくてはならないので、その数が問題である。何枚になるかわからないので、これも一生仕事になるかもしれない。でもどちらも楽しみながらできるのが、一番のメリットだと思っている。ものを書くのも好きである。この四季雑感も、その前の、「この頃思うこと」という雑文を合わせるとかれこれ50回位にもなる。これも、k-unetの続く限り、私の一生の作業として続けて行きたいと思っている。取り留めないことばかりになったが、今の心境を文字に現わしてみた。どうぞお笑いくださいませんように。 おわり 【写真説明】 お詫び; 前回「四季雑観(36)の富士山のコロナの写真で肝心な場所を書いてありませんでした。場所は山中湖の東側で山中湖花の都公園からです。申し訳ありませんでした。 |
四 季 雑 感(36) 樫村 慶一 幻の大正道路の話 2017年もはや1月の半ばも過ぎてしまった。海岸の砂浜に海水が昇ってくるように、どんどんと刻(とき)が浸食されていくように感じる。その速さは尋常ではない。私は今年で87歳になる。大動脈瘤や胃癌や肺の病気などを乗り越えた。とりあえずの長生きの目標は東京オリンピックである。丁度90歳になるからだ。 私は、周期とか年紀とかついてこだわる人間である。今年はてっきり明治150年だとばっかり思っていたら来年だそうだ。何故かというと、西郷さんと勝海舟が会談して江戸城を無血明け渡しをしたのが、1867年だから、今年は150年目になると思っていたが、1868年(慶應4年)になって改元の令が出て、1968年1月1日に遡って明治とする、となったようで、来年2018年が明治150年である。 明治、大正、昭和については数えきれない程のものに使われているが、都内の主要道路に大正がないのに気が付かれた方はいるだろうか。山の手線に沿って内側をほぼ南北に走るのが”明治通り”、関東大震災後に当時の東京市長後藤新平が、だだっ広い道路を作るのを見て、飛行場でも作るのか、税金の無駄使いだ、と反対されながら信念を通した”昭和通り”とあるが、大正通りがない。さて、なぜだろうか。実は以前はあったのである。今の靖国通りの市ケ谷と亀戸の間が大正通りだったのだ。 できたのは昭和4年(1929年)10月26日である。大正12年(1923年)の関東大震災の復興事業で東京には53本の新道が整備された。政府の復興局の援助を受けた東京日日新聞(現毎日新聞)が主要な22本の道路の名称を懸賞募集し、都心を南北を貫く復興1号線を昭和通り、十字に交わる3号線を大正通りと決めた。ところが、昭和9年に神田の猿楽町町会が出した新町名地図には「靖国通り」になっている。できてから5年で大正通りの名前は揺らいでいた。昭和10年代になるとどの地図にも大正通りの名前はなくなってしまった。 はっきりといつなくなっかは故老でも分からないと言う。当時懸賞で命名された22本の道路で、今も残っているのは半分にも満たない。新聞社が主体の命名なので強制力はない。ただ大正通りが早く消えた背景には、戦前の昭和時代に明治ブームがあり、昭和に明治を重ね大正の沈滞を吹き飛ばそうとしていた政府の意識的な戦略があったのではないかと、その影響を指摘する学者もいる。
大正通りは大正生まれの人にはその 名前がないのが悔しかったと言う。大正生まれは戦後の日本を、飢えに耐えながら再建したという自負があったからかもしれない。時の流れの速さに怖ささえ感じる年ごろになり、そんなことを書いているうちに、話が思わぬ方に逸れてしまったが、さて今年は、トランプのジョーカーが何に使われるのか、今年の上りは吉と出るか凶とでるか、期待と恐怖の一喜一憂の年なんだろうなと思う。 しかし、人類は確実に絶滅のトレンドに入っているのも事実である。次回は生物の絶滅について書こうと思う。2017年がk-unetの皆さまに幸せな年でありますように、お祈り申し上げます。 (写真説明:この富士山のコロナは、年間で数日しか見られない光景で、たまたま行った日がその時に当たり、しかも時間も1分だけの貴重な景色である。この日は12月16日午後3時19分であった。) |
四 季 雑 感 (35) 樫村 慶一 最近 行った処 見たこと 感じたこと 東京よりは多少は寒さが強いと言っても、紅葉にはまだ相当に早い10月始め、真田ブームに魅せられて信州上田のお城と真田家の当主が居を構えていた真田の郷、城下町らしい昔の北国街道の町並み、それに、真田と言えば作家の池波正太郎を思い出さずにはいられない「池波正太郎記念館」などを訪れた。上田城内に作られた展示場には大河ドラマに使われた小道具などが色々展示され、手紙類も昔の本物ではなくドラマに使われた本物らしく書かれたものとか、まあ、そこそこに見ごたえはある。でも私は、1990年頃にNHKのBSで放送された池波正太郎原作の「真田太平記」のほうが好きだ。女性忍者が活躍するなど忍者が沢山でてくるし合戦場面も多かった。北国街道跡の柳町通りには、昔の面影の残る家並みがある。真田の郷は市内からかなり奥深い所で、山深い森閑とした森の中の館の静かな囲炉裏部屋で、正幸が戦術を練った姿が想像できる。今でも実った栗の実が落ちる音だけが聞こえるだけである。 四季雑感なので、その時々に応じて感じたこと、見たことを思いつくまま書いているが、誰でもが知っているようなありきたりのことを書くのでは面白くない。つい先日まで、理由はわからないが、ラテンアメリカの映画がたくさん上映されていた。ラテンアメリカの映画は、暗く、貧しい人々が多く、そしてなによりも理解するのがむずかしい。
10月31日がハローウインだと若者が大騒ぎしていたが、バレンタインデーのチョコレート贈答習慣が、メリーチョコレートの販売拡張キャンペーンで始められたことを知っている若者は殆どいないと思うが、ハローウインもどこかの会社の宣伝作戦だったのじゃないかと勘繰りたくなる。韓国大統領がスキャンダルで大変だが、日本は、まだまだ社会的にも政治的にも平和である。ただただ、地下や海底深いところで、何かがうごめいているような気がしてならない昨今である。 おわり 【写真説明】 |
四 季 雑 感(34) 樫村 慶一 痛快な話 四季雑感も随分ご無沙汰してしまった。最後は今年の2月だから半年ぶりである。そもそもは、2007年8月にk-unetの世話人を辞めてから、「この頃思うこと」と言う題名で、投稿を始め1年後に現在の「四季雑感」に改名した。四季というのだから、せめて1年に3~4回は投稿しようと思っていたけど、いろいろと都合があってなかなか続かない。題材は世の中にあふれているけど、ニュー性の高いものは平凡で面白くないし、なるべくあまり覚えてないとか、そんなことあったっけ、なんていうものを自分の好みで勝手に選んできた。 そういう意味でも、久しぶりに書くのに、そんなことあったっけ!にぴったりの題材がある。皆さんは、日本の領海へ中国の漁船が侵入してきたとき、自衛艦が退去を申し入れても出て行かないとき、どうすると思うだろうか。まさか撃沈はしないと思うだろう。しかしそれがあったのだ。 ただし日本ではない。地球の裏側のアルゼンチンの、しかも領海外のEEZ内である。それにしても痛快な話だ。だけど、このニュースは大方のマスコミは報道しなかったように思うのだが、何故だろうか。関係ない事件なので、やっぱり中国は怖いのかな、と余計な斟酌をしてしまう。サンケイ新聞辺りはしたかもしれない。 事件が起きた時は少し遡るが、今年の3月14日のこと、アルゼンチン南部のプエルト・マドリン沖(注)の大西洋で、同国の沿岸警備隊がアルゼンチンの排他的経済水域(EEZ)内で違法操業中の中国の大型漁船を発見(下の写真)、停船を命じたが従わず、衝突させようとするなど抵抗して、公海へ逃亡を図ったため警告の上で発砲、撃沈した。動画で確認すると、アルゼンチン軍艦が撃ったのは大砲ではなく砲身の長い機関砲のようなもので、漁船の船腹部を狙って2,30発撃っている。船長他乗組員全員は保護され身柄を拘束された。沿岸警備隊を管轄するアルゼンチン海軍の発表では、身柄拘束を受けているのは4,5人で、アルゼン当局の取り調べを受けた。(その結果どうなったかは不明)。 (注)プエルト・マドリンは、ブエノスアイレスのから南へ約2000キロ行ったところにある大西洋に突き出したバルデル半島への入口の町で、私は急行バスで一晩走り続けて行った思い出がある。半島には季節により、クジラ、シャチ、ペンギン、トドなどが集まるところで、有名な観光地でもある。 地球の西の方のテロとはあまり係りのない南米であるが、気候は日本がこれから2010年以来の猛暑になると言われているのとは反対に、この冬はかなり寒いと友人は言っている。それにやっぱり雨が多いとかも。そうは言っても今の中南米は、世界的には北欧と共にきわめて安全な地帯である。中南米で政府軍と革命勢力が戦ったいわゆる内戦は、1996年2月のグアテマラの終戦で終わり、その後は政府軍、警察と麻薬シンジケート、マフィアなどとの争いであったのだが、これも最近のコロンビアを最後に終わった。中東やヨーロッパで起きているようなテロがないのは、宗教対立がないからである。殆どがカトリック信者で、多い国は98%にもなるし、少ない国でも60%以上はカトリックだから、他の宗教が入り込む余地はない。日本が仏教が大多数なのと同じである。それに日本とくらべて自然災害がかなり少ない。太平洋岸は地震と火山噴火の恐れがあるけど、アンデス山脈の東側は、まず安全だ。だから、体力があれば南米の南部へ移住したいと常々思っているのだが、もう両肺の気胸をやってPOPDの初期では、とても飛行機には怖くて乗れないし、子供と離れるのも寂しいなどで実行する気はない。
久しぶりの四季雑感だが、読み返してみたら、空き巣に入られた後の部屋のように、脈絡のない雑文が乱雑にまき散らされたようになってしまった。次回はしっかりしますと約束して今回は、これでおしまいにします。 (2016.7月末 記) |
四 季 雑 感(33) 樫村 慶一 尾張の国で聞いた面白い話と、この頃の携帯電話会社のCMのこと 先日、ある団体の一員として愛知県の国宝犬山城や、明治村を訪れる旅をした。新幹線は、久しく乗っていたなかったので、遠足に出かける子供のようにわくわくしていた。行きの「ひかり」大阪行きはほぼ満員だったが、帰路は、「ひかり」や「のぞみ」で、ぴゅうっと行ってしまうのは旅情も何もないので、在来線で窓外の景色を見ながら、ぼちぼち帰ろうと思い普通の電車に乗った。しかし、線路は1本なのに、東京まで乗り換えなしで来る列車はない。豊橋、浜松、静岡などで乗り換えないと繋がらない。でも、浜松あたりで日が暮れるので、浜松からは新幹線の「こだま」にしたら、なんとがらがらである。それこそ3人掛の席はひじ掛けを上げればどこも横になれる席ばかりである。でも東海道線の車窓の景色は、平地に家ばかりが続いていて面白くない。各駅停車でのんびりした旅をするには、やっぱり、山の中を走る列車のほうが遥かに旅情を感じられるものだと思った。 まあ、ふた昔以上前に現役をやめた人間には、関係のない話でござんす、というところだが、一時は向こう所敵なしの感じで暴れまわっていた、世界有数の金持ちの孫さんも、やっぱり人の子だ、金持ちにはそれ相応に見合った挫折、苦労もあるんだと思ったものである。 【写真上:国宝犬山城、下:明治村に移設されている帝国ホテルの旧玄関】 (2016.4.24 記) |
四 季 雑 感(32) 樫村 慶一 蟷螂の斧じゃなければいいのだが ことしの冬の気候は異常だ異常だと大騒ぎだ、沖縄に霙が降った、奄美大島に115年ぶりに雪が積もったのとか、都内でも5年前の2010年に大雪があったとか騒がれている。しかし、冷静に考えてみよう。宇宙とまで手を広げなくても、太陽系の中だけの話でもいいのだが、5年間なんて太陽系時計に秒針があっても、刻みきれない短さだし、115年なんて言ったって精々1秒に数えられるかどうか。とにかく、地球誕生46億年の過去から見ると、大きな地球自体の変換期に入っているのじゃないかと思うのだが。地球の変化の単位は、最低でも数百万年からで、何千年なんでほんの序の口だ。恐らく、今は、これから、地球時間で、地球上の生物、植物、あらゆる生命体が絶滅に向かい始めた時期ではないかと思う。地球には過去5回大きな絶滅期があった(注)。それでも、地上のあらゆるものが全てが死滅したのではなく、何とか生き抜けたのがあった、と科学の本に書いてある。 そんなわけで、COP22 とか23とかやって、排出ガスを出さないようにしてもそれは、結局、“蟷螂の斧”であって、大自然の動きには殆ど影響を与えないと思う。そして、何億年かたって 地球の位置が太陽と変わらなくて、水があれば、単細胞の、何か“うごめくもの”が出てきてそれが段々分裂拡大、色々な生物、植物に分裂していく現在の動植物の進化の過程を繰り替えすのだと思う。本をしまってしまったので、何億年前とか何々期とかいう具体的なことが書けないのがじれったいが、異常気象の結末は今日明日の話ではなので、この話はこれでおしまいにすることにしたい。 そこで話しは180度変わる。定年以来、毎年税務署の入口に確定申告書が並べられるのを待ってもらいにいき、源泉徴収表が揃ったらすぐ計算して真っ先に出しに行くのが、1月の大事な行事である。それなのに、愚かにも26回目にしてある不思議なことに気がついた。先刻ご存知の方がいたら、今頃気がついたのかと大いに笑って下さって結構だ。 今年は騒がしくなると言われる、申年の最初の「四季雑感」である。ちょいとした、クイズめいたお話を一席ご披露して、ことしの書初めの筆置きとしたい。 |
四 季 雑 感(番外編) 樫村 慶一
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四 季 雑 感(31) 樫村 慶一
●東京行進曲1929 ●何が彼女をそうさせたか1930 ●マダムと女房1931●お琴と佐助1935 ●東京ラプソディー1936 ●新しき土1937 ●土と兵隊1939 ●白蘭の歌1939 ●君を呼ぶ歌1939 ●上海陸戦隊1939 ●花つみ日記1939 ●蘇州夜曲940 ●燃ゆる大空940 ●進め独立旗1943 ●サヨンの鐘1943 ●かくて神風は吹1944 ●加藤隼戦闘隊1944 ●アニメ映画 桃太郎海の神兵1945 ●必勝歌1945 ●誰か夢なき1947 ●湯の町エレジー1949 ●女性三重奏1950 ●哀愁の夜1951 *上記映画を見たい方は連絡くれればDVDをお貸しいたします。 k-unet会員は結構お歳を召している方も多いはずである。かく言う私も85歳ともなれば、男としては結構な年配である。こうした古い、懐かしい映画を見るのは楽しいものだ。ただ、筋書きは単純で、お世辞にも面白いとは言えない。それでも毎月欠かさず出席している。 ここで、話は現在に飛ぶのだが、これらの木造の家は、戦災で焼けた家でも建て直して60年以上になる。もっと新しい家でも4,50年は経っている。新しい建築基準法が1981年に施行されたため、古い建物は、耐震構造に改築するか建て直さないといけないという。聞くところによると,来年あたりまでにそれをすると、都から補助金がでるとか聞いた。そのためであろうか、 私のマンションの周辺だけでも、古い一戸建ての家があちこちで取り壊されて更地になり、あっと言う間に、新築が建つのだが、これが、前にあったゆったりした建物で、庭には立派な木が植わっていた面影は全く消えて、元々は1軒の家だった敷地に3軒も4軒も建つ。敷地はせいぜい17,8坪しかないところへ、1階がガレージと納戸のようなもの、2階がキッチン、リビングで3階が寝室、と判で押したように同じ間取りの、ひょろっとした家が建つ。それはまあ、どうでも良いことでもあるが、生まれつき、”なんで”、“どうして”と物事を追求する性格のため、頭に浮かんだ疑問を解かないと自分でも気がすまない。 しかし、先行きどうなろうと、やっぱり日本人が減って減って最後は絶滅して、黒か半黒か、やたらに腹やおっぱいが出っ張った人種が新しい日本人になる可能性が100%否定できないというのに、なんで、同性同士の結婚?を認めるような政策がまかり通るんだろうか。大体、動物は、雄の細胞(精子)が雌の卵子と結合して細胞分裂を繰り返して成長し、一定期間たつとまたそれを繰り返して子孫が増えて種族が繁栄する。しかしそのままでは、全ての生物が増え過ぎるので、天敵動物や、地震、火山爆発、隕石落下、飢饉、病気蔓延、戦争などのために、適当な間引きが行われ、全ての調和がとれるようになっている。地球が誕生して46億年の間に絶対不変の事実として受け継がれてきたものだ それなのに、同性同士がくっついて、どうやって子孫を残そうとするのか。くっついた二人がそれぞれ、外に異性を見つけて作りっこをするのだろうか。ただただ、若い間の、我が儘を公に認めてもらって、自由気ままに生きていこう、先のことなど知っちゃいないよ、と言う訳だろうか。運よく7,80歳の寿命を全うした後、残った方は誰に面倒みてもらうのか、新しい子孫ができないんだから、人口が減っていくのだから、看護する奴だって減っていく、日本消滅に拍車がかかるばかりだと思うんだけど。本当に、同性同士が夫婦気取りで、それを役所が認めるなんて、神がいることは全く信じていないけど、こうゆう風潮の時代こそ、何神でもいいから本当の神様が現れて、ガツーンと一発、バカ者に食らわしてやって欲しいと思うのだが。 以上 (2015.11.27 記) |