第23

  

 

 

ハロウィンと アイルランドの至宝 『ケルズの書』

 

 Trick or Treat!
 今年の10/31も大分渋谷の交差点を賑わしたようである。
 ハロウィンの起源をご存知だろうか。学生時代に訪れたアイルランド、それ以来心の片隅に潜んでいたアイルランド、ケルトへの愛。先日読んだ、鶴岡真弓著『ケルト 再生の思想――ハロウィンからの生命循環』によりやっとケルトへ近づけることができたように感じている。その起源は深く、他文化や芸術への影響や波及のすさまじさにも目を見張るものがあった。

 この本のなかで紹介されているもののひとつが、世界で最も美しい本と称されているアイルランドの至宝『ケルズの書』であり、私はその唯一無二の絶体的な美と装飾文字の躍動感に魅了され、皆さんにもぜひご紹介させていただきたい気持ちになった。ダブリン、トリニティ・コレッジの旧図書館内ロング・ルームに展示されている装飾写本である。

 「今日、『ケルズの書』は、美しい聖書、華麗な書物芸術、そしてまた現代の意匠家を驚かせるデザインの宝庫として、世界中から熱いまなざしを受けている。この「アイルランドの至宝」は一国の宝物であることを超え、『ケルズの書』を一目拝みたいという人々が、比喩ではなく、ほんとうに世界中からやってくる」(本書より)

 今からおよそ1200年前、アイルランド北東部のケルト系修道院でこの豪華な「福音書」写本が完成した。子牛の皮枝で作られた、縦33センチ、横24センチの典礼用福音書である。一番重要なページを呈しているのが「キリストの頭文字XPI」である。XPIとはギリシア語でのクリスト(キリスト)の最初の文字をラテン語に直してモノグラムにしたものであり、聖なる文字にして徴である。 「『ケルズの書』の術(アート)は、ひとりケルトの薬籠中にあるものではなく、ユーロ=アジア世界の東の極みである日本列島にも培われた神話やイメージに繋がるだろうということも予感できる。」(本書より)

 

 さて、ハロウィンへ戻ることとし、その起源に触れておくとしたい。
 Trick or Treat!
 子供たちが死者や亡霊に扮して各戸を回り、お菓子をくれなければこれからの一年、お前たちを惑わせて困った状態にしてしまうぞとお菓子をねだるハロウィン。そこには死生観が反映されている。死者が蘇り死者や祖霊たちに家々に戻ってくる。お菓子は死者たちを供養するためのご馳走であり、このご馳走の象徴としてお菓子を焼いた。お菓子はソウル・ケーキ、人類史においてお菓子の起源は供物であった。
 11/1は万聖節といわれる諸聖人の日のイヴに重なっている。そしてこの日はケルトの新年の日でもある。夏の終わり、冬の入り口、冬の季節の入り口が死によって表象されるのである。冬=死=闇から夏=生=光が再生するという深い思惟をケルトの四つの季節祭のサイクルに刻もうとした。 ハロウィンの起源のサウィン、ケルトは四つの季節祭の第一番目の暦日サウィンから始まり、サウィンは10/31の日没から始まる。サウィンをスタートに定めたのは死から立ち上がる生が最も強く豊かな生であるからである。
 Trick or Treatの呼びかけには、死者と生者をつなぐ、深いメッセージが込められているのである。 そしてケルト文化が与えた影響は多方面に渡る。マイケル・ジャクソン「スリラー」のダンスがハロウィンの夜に墓から蘇る死者たちの鬼気迫るダンス(死の舞踏)であったことをこの本で知った。

 トリニティ・コレッジ(ダブリン)

 

(2022.11.3) 

 

  

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著者へのメッセージ

松本房子様 へ

松本房子様

素敵なメッセージありがとうございます。

エンヤ、電話センターにいた頃流行っていました。なつかしいです。

学芸員資格取得! 素晴らしい目標をお聞きいたしました。心からエールをお贈りいたします。

資格取得に向けて学習していく、励んでいく、これからの自分の人生にも一石を投じてくださいました。

現在、私は読書会主宰とフェイスブック読書クラブ管理を行っていて(そしてまたk-unetでこのような場を設けていただいていて)、それはそれで大変充実した日々を過ごしておりまが、何かひとつ、もうひとつ何か「軸」となるものがほしいと感じているところです。

松本さんのメッセージから、来年こそ何か具体的にスタートを切りたいと思い始めたところです。

12/28 島崎 陽子

 

アイルランドの魅力

島崎様

Trick or Treat で始まりアイルランドの至宝『ケルズの書』が続き、締めは、マイケル・ジャクソンのスリラーで終わったあたりはなかなか良かったと思います。印象深く残りました。

また、アイルランドと云えばケルト民謡の影響を受けた歌手のエンヤさんを思い出します。何ともいえない情感がありますよね。

ところで、いつもながら興味深く拝読する中で、私自身、体系的に美術について「学び直し(リスキリング)」をしたいと考えています。目指すところは、学芸員ですが二足の草鞋は無理なので、資格取得に専念したいと思っています。

この美術散歩から受けた影響は大きいと思います。引き続き興味深く拝読したいと考えているところです。

12/10 松本 房子

 


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第22

  

 

 

絵は楽しく美しく 愛らしいもので なくてはならない
ピエール =オーギュスト・ ルノワール  
Pierre-Auguste  Renoir (1841 - 1919)

 

 拙宅玄関に掲げられているルノワールの『桟敷席』、毎日眺めていて、そのたびに幸福感に満たされる。

 今回は、人々に夢を与え続けた肖像画の第一人者、ルノワールを紹介してみたい。絵画に興味のない人でも必ず一度は目にしているといっていい人気のある画家である。

 ルノワールは磁器の街リモージュに生まれた。父が仕立て屋をしていたため、流行のファッション等を美しく描くことが得意になっていった。幼少期は天性の美声で音楽の才能にめぐまれグノーの聖歌隊へ入ったこともあった。
 13才の年にパリのセーブル磁器の絵付け職人の下にあずけられたが4年で機械に奪われ、職を失う。21才で国立美術学校に入学、そこでモネやシスレー、バジールといった、のちの印象派の仲間に出会う。

劇場にて(初めてのお出かけ)(1876)

 ルノワールは印象派を代表する大家でありながら唯一の労働者階級出身であった。開けっ広げな会話やきわどいユーモアに満ちたジョークは、終生、彼の特質となるが、幼少期の労働者たちとの交流がそのセンスを育んでいったのであろう。決して順風満帆な人生ではなかったが、いつも温かさにあふれ、品があり、心穏やかになる絵画を多く描いていった。素朴な庶民の日常の絵画にもそれらは見ることができる。

 そして風景画より人々が求めていた肖像画を描くことによって生計がたてられたことは幸運だった。ルノワールは「職人」に徹していて、お客を満足させるように培われたルノワールの職人気質は、芸術家としての成功へと導くこととなった。貧困の現実を誰よりも知っていたルノワールは原動力となっていたハングリー精神に支えられ、顧客満足度を重視しながら筆を取っていった。

 二人の姉妹(テラスにて)(1881)

 フランスの小説家オクターヴ・ミルボーはルノワールの画集の序文で「ルノワールの人生と作品は幸福というものを教えてくれる」と語っており、「幸福の画家」という称号がここから広く浸透したという。
 またルノワールは「人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない」という言葉を残している。自身の貧しかった幼少時代や下積み生活があったからこそ追い求めていた理想美があり、絵画への確固とした信念があったのであろう。

 ここでは『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』の作品を取り上げてみたい。
 19世紀末、パリのモンマルトルの丘の踊り場では地元の庶民が気軽に踊りを楽しんでいた。近くに住んでいたルノワールはキャンパスを持ってそこへ通い、この作品を制作していく。ルノワールの友人たちも多く描かれている。

 ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会(1876)

 「楽しく、美しく、愛らしい」要素が散りばめられている。派手派手しくはない素朴な庶民の幸福感あふれ、花が舞っているようで華やかなひとときを演出している。ぼやけた光の玉で木漏れ日を表現している。ピンクと水色の組み合わせがソフト感を際立てていて数か所に見られる赤がアクセントになっているようだ。そして、黒。印象派では自然の光を描くことにこだわっていたため、黒を使うことを避けていたそうだが、ルノワールは、黒が見る人に及ぼす効果を客観的に理解し「黒は色の女王」と考えていて黒を使っていた。ルノワールの黒は、華やかで鮮やかな色彩をより一層際立たせているのではないだろうか。対比する色が他方を引き立てる、陶器の絵付け職人の経験がここにも生きている。

 ルノワールが描き続けた穏やかで幸福な時間、こんな日々を送っていきたい。

(2022.9.3) 

 

 

ルノワール作品集(YouTube)


 

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第21

  

 

 

林檎の木  The Apple Tree
 ゴールズワージー  (John Galswothy)著
 守屋陽一訳  集英社文庫

 

《林檎の木、歌をうたう少女たち、金色の木の実》

Arthur Hopkins
A young girl carrying violets

 「松の混じった落葉松と椈の細長い林が、はるか彼方まで続いていた。…その場所は、金色のハリエニシダと、五月に近い陽光を浴びてレモンのような香りを漂わせている、羽毛に似た緑の落葉松に取りかこまれ――深い谷間と、遥か彼方まで続く荒野の高台のあたりを、遠くまで見晴らすことができた。…自殺者の墓石の上にはリンボクの小枝と一束のブルーベルがのせてある。」
 「ここでは強い陽光が顔をほてらせ、郭公がサンザシの上で鳴き、ハリエニシダが甘い芳香を放っている――ここでは、小さな羊歯の若葉や、星の形をしたリンボクに取りかこまれ、輝くばかりの白い雲が、丘や幻のような谷間のはるか上を流れ過ぎて行く。」(本文より)

 

 Arthur Hopkins
The Well by the Maytree

 一遍の田園詩。目の前には美しい英国の田園風景が流れるように広がっていく。“自殺者の墓石”が暗示をほのめかしていて、この絵画のような風景のなかで展開されるであろう出来事に期待と不安が入り混じながらページをめくっていった。
 都会の大学生アシャーストと田舎娘メガンとの出会い。出会った瞬間からメガンの眼はいつも彼に注がれていた。アシャーストは奇妙な幸福感を感じながら「これは何かの始まりだった。だが、いったい、これから何が始まるのだろう?」と自身に問いかける。

Arthur Hopkins
A garden in the Cotswolds

 淡紅色の蕾の林檎の木や黄褐色に輝くスコットランドもみの幹や大枝、芽吹いたばかりの若葉が若者たちの情欲を嵐のように急き立てていく。
 激しい歓喜、みなぎる生気、新しい春の感情が芽を出し蕾を開こうとしていた。
 よろこびが飛翔していく。
 泉がほとばしるようなモーツァルトK136ディヴェルティメントが聞こえてきた。
 「二人でロンドンに行こう、君に世間というものを見せてあげる、明日トーキーにいって銀行からお金を出し君に洋服を買ってきてあげる、二人でそっと抜け出しロンドンに行ってすぐ結婚しよう。」

クリムト リンゴの木

 一時の血迷い事とは思えない。歓喜にあふれていたではないか。輝いていたではないか。純真な恋があったではないか。そこには偽りの感情は微塵もなかったと信じたい。
 都会と田舎、階級差、学識と無学という二律背反の言葉では解決しえない男女の素朴で清白な熱情を信じたい。

 

 アシャーストよ、あなたにモーツァルトK540クラヴィーアのためのアダージョロ短調を捧げよう。モーツァルトの魂の言葉が聴こえる曲である。あなたにはメガンの魂が聴こえてくることであろう。


大きくなった木の下で会おう。
わたしは新鮮な苺をもってゆく。
きみは悲しみをもたずにきてくれ。
そのとき、ふりかえって
人生は森のなかの一日のようだったと
言えたら、わたしはうれしい。
(長田弘 『詩ふたつ 花を持って、会いにゆく 人生は森のなかの一日』より)

 

 今回はいつもと違う趣きでお届けいたします。
 私は数年前、この少女画A young girl carrying violetsにひとめぼれしました。この本を読み進めていてよぎってきたのがこの絵画です。すみれの淡い紫と白と淡い緑が音楽のようにかけあっています。
 この本は階級社会がもたらす悲劇の短編小説です。イギリス社会は日本人の想像を超える階級社会、その日常生活に根付いている隔たりは文学の題材になりやすく、多くのイギリス文学作品の要因と構成物になっています。

コールズワージー(1867-1933) ノーベル文学賞受賞者のイギリス人作家
アーサー・ホプキンス(1848-1930) ロンドン生まれの画家

(2022.7.2) 

 

 

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著者へのメッセージ

松本房子様 へ

松本房子様

ありがとうございます。
大好きな絵と一冊の本と、大切にしていきたいものになりました。
ちょっとしたことからの出会いとそこからの想像の世界、自由な思いを楽しんでいます。
慌ただしい日々でありますが、豊潤な一幅の絵に癒されています。
そして充実した日々を送っています。

7/26 島崎 陽子

 

一枚の絵から、音楽、物語へ

島崎 陽子様

松本です。

少女画 A young girl carrying violetsの繊細な柔らかいタッチは心ひかれるものがあります。
それとそっくりではないのですが、タッチがやや似ているものに、「女性の優雅な生活を描く画家グレゴリー・フランク・ハリスの絵」を思い出しました。(第11号)
「園遊会(マンスフィールド)」の小説と音楽(モーツアルト)へと続きますが、こちらは恋愛ものではなく、階級社会を背景に少女が「近所の車夫の死」と出会うことで生と死について考えるというものだったと思います。
いずれにしましても、一枚の絵から物語、音楽あるいは物語から一枚の絵、音楽へと広がりをもたらすという展開は、趣きがあって良いと思います。

7/22 松本 房子

 


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第20

  

 

 

葛飾応為  
北斎の三女 (江戸後期 生没年不詳)
   

 

すみだ北斎美術館

 東京都墨田区、両国駅から徒歩10分の「すみだ北斎美術館」をご存知だろうか。葛飾北斎作品の常設館であり定期的に北斎と関連した画家やその作品の展覧会を催している美術館で私も時折訪れている。聳え立つスカイツリーが近くに見え、下町の庶民的な一角に堂々と鎮座していてほっと息のできる場所である。
 そこで知った一人の女性、ごみ屋敷の北斎の横で見事な構えっぷりを披露している女性、無頼で豪胆な性格がこの人形から見て取れるこの女性こそ、実際には北斎の画業を支えていた葛飾応為、北斎の三女である。

 ここで初めて出会ってから、時々TVの北斎番組で見かけるようになり、気になる存在になってきていた。2~3か月前、北斎のいくつかの絵が実は応為の絵だったと知る衝撃的な事実を知る番組をTVで見ることになる。

 

 今回は、応為の代表作を2点紹介しておきたい。
『夜桜美人図』(愛知県メナード美術館) 
 日本の美術史上において「光と影」を初めて絵のメインテーマにした画期的な作品といわれている。

 夜空の下、白い石灯籠の明かりで女性が短冊をしたためている。着物の裾を足元の雪見灯籠のほのかな明かりが照らしていて、光の使い分けが魅惑的な情緒感をたっぷり醸している。
 「応為はこの絵の中で何を描こうとしていたのか。応為は今までの浮世絵にはなかったものを描こうとしていた。それは『夜』だ。…夜を描いた浮世絵は少なからずある。しかし、それらのほとんど全てが彩度を落としただけのものだ。画面が少し暗くなるか、空を真っ黒にベタ塗りした程度であって、昼間を描いた絵となんら変わりはない。…光源の存在だ。三種類の光源が存在する。一つ目が画面中央。筆を走らせる女性の顔を手元、そして桜を照らす石灯籠、これがメインライトだ。二つ目が画面の右下から女性と石灯籠を照らすサブライトの雪見灯籠。そして三つ目の光源が空に瞬く星々だ」(檀乃歩也著『北斎になりすました女』より)。
 シーボルトらオランダ人との交流があったとされる北斎を通して、西洋画法の影響を受けたともいわれている。

 そしてもう1点、『吉原格子先之図』(東京都渋谷区 太田記念美術館)
 応為がにわかに注目を集めて、世間を魅了するきっかけになったのがこの絵である。脚光をあびるのは平成になってからのこと。
 格子を巧みに活用して交錯する光と影、その格子に隠される顔々。中央の不自然なまでの真っ黒なシルエットののっぺらぼうの花魁が主人公のように強烈な不気味な印象をもたらす。
 『北斎と応為』の著者、カナダ人小説家キャサリン・ゴヴィエはこの作品について次のように語る。

 「男社会に生きる女の哀しみを感じた。格子の向こう側に商品のように陳列されている。自分の意思で自由に外に出ることもできず、金で売り買いされる女たち。彼女たちには顔がない。感情を押し殺して木偶のように生きることがただ一つの救い。この境遇は残酷すぎる。明らかに彼女たちの気持ちがわかる、もしくは共感できる人間が描いた絵だ。男に買われる女たちの人間性の喪失を明暗で表現することで、より深く心根を描こうとしているのだ。格子の向こう側の遊女を見つめる応為。二人を隔てている格子の他に自分と彼女たちに何の違いがあるのか。北斎という光の傘から抜け出すことのできない自分も遊女たちとなんら違わない」
キャサリン・ゴヴィエについて簡単に触れておきたい。
 ワシントンD.Cにあるフリーア美術館で北斎の展覧会に出かけた時に見た二つの絵、北斎自画像と虎図に、ゴヴィエは決定的な違いを感じた。自画像が殴り書きのようなタッチで荒々しく仕上げられているのに対し、虎図は繊細、同じ人物が描いた絵には思えなかった。そしてある疑念が脳裏をよぎった、もしかしたら、北斎は一人ではなく複数名だったのではないか…? ここから北斎研究が始まり、北斎の傍らで、その死の瞬間まで付き添った一人の女画家、応為に行き当たった。

 応為は、北斎晩年の作品制作を補佐していたと伝えられているが、冒頭でも述べた通り、最近になって北斎作品とされていた何点かの絵が、実は応為作であったということが判明し始めてきている。
 それは「指先の描写」「ほつれ髪」に見られると専門家はいう。この点は、いつか、別の機会に取り上げてみたい。北斎と応為の長い旅が始まった。

 今月はこの展覧会を予定しています。
 太田記念美術館 東京都渋谷区 原宿駅徒歩5分『北斎とライバル』

(2022.5.1) 

 

 

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著者へのメッセージ

松本房子様 へ

松本様

ありがとうございます。

私も、いいね押してみました! 粋な計らいと遊び心、楳本様に感謝ですね。楽しくなります。
行きたい美術館、目白押しです。この充実した生活よ! 読書会も楽しんでいます。
松本様もいつか…期待しちゃってます。

3/9 島崎 陽子

 

謎めいた三女 ”葛飾 応為”

島崎 陽子様

松本です。

今回、「いいねボタン」を押しましたら通常は「ありがとうございます。」のメッセージが主流の中「神奈川沖浪裏」が出てきました。その粋な計らいに脱帽です。読み進む前にうなってしまいました。その計らいと相まって、本文も中身の濃いものでした。興味深く拝読いたしました。

次回作も期待いたします。

5/3 松本 房子

 


▲INDEX

第19

  

 

 

ドレスデン 国立古典絵画館所蔵
《フェルメールと 17世紀オランダ絵画展》
   

2022.2.10-4.3 東京上野 東京都美術館
 

ドレスデン国立古典絵画館

 《窓辺で手紙を読む女》(1657-59)、今回のハイライト作品である。
 1979年のX線調査で画中画が塗りつぶされていることが判明、フェルメールが当初描いた姿ではないことが分かった。そして2017年、フェルメール自身が消したと考えられていたそれまでの説が覆り、何者かにより消されたというさらなる新事実が判明、これらの変遷を経て本来の姿に生まれ変わってのお披露目である。所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館でのお披露目につぐ日本公開、所蔵館以外では世界初となる。

 フェルメールの絵には「物語」がある。鑑賞者の想像に委ねられているだろうから、各人が思い思いの物語を紡ぎ出し、自身の物語を楽しめばそれでいいであろう。
今般のハイライト作品、新作品となって掲げられていた絵には複雑な気持ちがこみ上げてきた。全く別の絵がそこにあったのである。従来の絵であれば、中央で戸惑いや迷いを忍ばせながら、しっかりと両手で握りしめた手紙に視線を落としている少女に全集中がいき、どんな手紙なのかしら、お誘いかしら、はたまた別れの手紙かしらと、少女に寄り添うような気持ちで、少女の気持ちを汲み取ろうという気持ちで部屋を覗き込んでいた。背後の壁の空間とそこに当たって反射している光が鑑賞者へ少女への集中を誘ってくれていた。
 新生《窓辺で手紙を読む女》の上部には大きなキューピッドがいた。壁の半分は占領しているようである。手には弓を持ち足元には2つの仮面、ひとつは右足で踏みつけている。この仮面は偽りの愛であると知人が語っていた。別の知人は「キューピッドはローマ神話の恋の神。ということは異教の下なら許される情事の表現かも」と放言を許していただきたいと断りながら、想像の世界をたくましく広げてくれた。
 手前の布の重厚な作りのテーブルクロス、従来作ではシンプルな壁が引き立てていたが、画中画により、このバランスが崩れてしまったように感じる。
 少女の横顔はより厳しく感じられた。
 圧迫感も感じた。戸惑った。


修復前


修復後

 

 しかしながら、フェルメールに敬意を表するのが筋であろう。大規模で緻密な修復を経て“本当の姿”が現れたのである。これから自分自身内の時間の流れとともに本来のフェルメール作品《窓辺で手紙を読む女》に恋い慕う気持ちが沸いてくることであろう。

修復の様子

 83㎝×64.5㎝のこの絵は、その存在感が際立っていた。
 専門家たちは次のように語る。
 「構図のなかに愛の神がいることは本作の意味を大きく変え、偽装や偽善を乗り越える誠実な愛の証しとしてとらえることもできるようになった」
 「フェルメールはこの絵のなかで、人間の存在についての根本的な疑問を投げかけている。背景のキューピッドの修復によって、デルフトの画家の実際の意図がわかる。この絵は、表向きの愛の文脈を超え、真実の愛の本質についての根本的な主張をしているのだ」

 フェルメール(1632-1675)の人となりについて少々記しておきたい。
 フェルメールの人物像と生涯には謎が多い。どうやら、文献によると、フェルメールは裕福ではなく定職につかずいくつかの仕事を渡り歩いていたようである。
 フェルメールはデルフトという小都市で生まれ、そこで生涯を閉じた。デルフトは1665年の人口ピーク時であっても人口25000人程度の規模であり、同時期アムステルダムの約22万人と比べればその地方都市の小規模さが分かる。それでも17世紀にはいるころにはビールの醸造業と織物業を主要産業として、オランダの「黄金時代」の一翼を担っていた。フェルメールが生まれたのはこの黄金期から時代の終焉を告げる足音が聞こえてくるような時代だったヨーロッパの「中心」の位置からは転げ落ちていたころである。そうした時代背景のなかで画家の生活は楽ではなかったようだ。当時、画家と絵画は供給過剰であり専業の画家として生計を立てることには、大きな困難が伴ったはずである。
 フェルメールの生きた時代にはこのような社会的な背景があった。父親から引き継いだ画商としての仕事を担いながら15人の子供(うち4人は夭逝)を育て、幾度も知人に借金をした記録が残っている。
 そして有名なフェルメール・ブルーの原料となるラピスラブリなど高価だった絵具を多用している。裕福な義母の保護下にあって、さほど生活に窮することなく作品に力を注げる状況にあったのではないかという推測もされている。
 1675年43才で没したとき、妻は破産を申し出、最後まで自宅に置いていた数点の絵をパン屋に借りた金の代わりに譲渡した。やはり晩年はかなり困窮していたのであろう。
 このような状況下でいかに絵を描いていったのか、あらゆる仕事をこなし、家や子供の面倒を見ながら、その合間に描いていたように思われる。21才で親方画家となってから22年間の画業で40点あまりといいうのはあまりにも寡作である。年間50作以上描く画家がいた時代である。
 フェルメールは2回に渡って聖ルカ組合(画家やアーティストのための組合)の理事に選出されており、それは滅多にない栄誉だったらしい。同業の画家たちからも高い評価を得ていたのであろう。
トレイシー・シュバリエ著『真珠の耳飾りの少女』に描かれていた旦那様のフェルメールは穏やかで紳士然としていた。

(参考図書『フェルメール最後の真実』秦真一・成田睦子 文春文庫)

(2022.3.4) 

 

 

フェルメール  全作品
(「窓辺で手紙を読む女」は 修復前のものを掲載)

  

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著者へのメッセージ

松本様 とても素敵なメッセージをありがとうございます。

松本さん

こんにちわ いつもいつもありがとうございます。大変励みになります。

2週間後に仲間内Zoomでフェルメールについて1時間話さなければならなくなってしまい、本気で勉強中です。

とても奥の深い画家ですので、学べば学ぶほど興味が増大してきます。近辺のオランダ画家にも素晴らしい人たちがいて、好奇心は募る一方です。

ところで、読書会4月は『走れウサギ』です。大江健三郎に多大な影響を与えた名作ではあるのですが、盛り上がりがイマイチなのには少々ガッカリ感があります。村上春樹さんが訳して大々的に知られないと日本での知名度は上がらないのでしょうか。ジョン・アップダイク、ウサギシリーズは面白い!という方と、あれはねえ~と敬遠する方と、はっきりと二分されそうな本のようです。私にはどんな本も新発見ばかりで楽しんでいます。

3/9 島崎 陽子

 

「ストーリー性を展開させる新「窓辺で手紙を読む女」

  サブ:「フェルメールの作品は小説より奇なり」

松本です。新「窓辺で手紙を読む女」興味深く拝読しました。本人ではなく、何者かによって画中画が塗りつぶされていたと、2017年に判明したとのこと。これは、1979年のX線調査ではわからなかったことが調査技術の進歩により、塗りつぶした絵具が年代的にフェルメールの死後に作られたものだったと云うことでしょうか。いずれにしてもストーリー性のあるフェルメールの作品らしいと思いました。
そこで、アーカイブサイトに収められている第3回寄稿の”「真珠の耳飾りの少女」トレイシー・シュバリア著を読んで”を読み返してみました。「青いターバンを巻いた少女」「真珠の耳飾りの少女」などのモデルとされている女中のフリート、フェルメールの妻のカタリーナ、カタリーナの母、それぞれがフェルメールの作品に様々な影響を与え、ストーリー性のある絵画にしているのだなと改めて思いました。前回の谷崎潤一郎を扱った第18回のタイトルと少し違って今回は「フェルメールの作品は小説より奇なり」だと感じました。
また、この度、運営委員を受けて頂いたこと、ありがとうございました。「美術散歩」は間隔が空いたとしても、引き続き拝読したいと愛読者として希望しますのでよろしくお願いいたします。
松本

3/6 松本 房子

 


▲INDEX

第18

  

 

 

《谷崎潤一郎を めぐる人々と着物》
事実も小説も 奇なり

2021.10.2-1.23 東京都 弥生美術館
 

 お正月明けの1/8、文京区の住宅街にある弥生美術館を訪れた。住宅街のなかでひっそりと佇んでいる小規模美術館、訪問者が気構えなくふらりと立ち寄れる門構えである。1984年6月、弁護士・鹿野琢見によって創設された私立美術館、初代館長は竹久不二彦(竹久夢二の次男)が務めていた。
 『細雪』を読んでいる最中であり、今展覧会はぜひとも訪れてみたいと数か月前から準備をしていた。以前、日本語の美しさでは三島由紀夫と谷崎潤一郎(1886-1965)と語る人がいて、それ以来、谷崎にはどこかで必ず出会わなければならないと思っていた。そこで読み始めた『細雪』と今回の展覧会訪問である。
 美術館入り口の案内板冒頭「谷崎は、もう少し長生きしたら、ノーベル文学賞を受賞した」にそうだったのかと驚き、文豪の肩書を持つ谷崎に敬意を表し仰ぎ見たい気分になった。
 ところが、館内を進むにつれて、うわさに聞いていた(笑)谷崎の女性遍歴は波乱万丈に満ち、驚きを通り越して驚愕してしまった。社会の枠におさまりきれず、周りの好奇の目をものともせず感情の赴くまま自由奔放に愛を求めて生きていったのであろう、そしてその結晶が文学の魅力と化し、ノーベル賞に値するまでに昇華させていったのであろう。数々の写真や書簡がうわさ話ではなく事実を雄弁に語っていた。

 最初の妻千代は良妻賢母タイプだったので谷崎は落胆したという。ここから私自身の男性の妻へ求めるステレオタイプ化されていた理想像が崩れ始めた。文学作品の源泉になったであろう女性遍歴をここに簡単にまとめてみようと思ったが、どこから整理したらいいかわからず根を上げる結果となった。「小田原事件」と9年後の「妻譲渡事件」には絶句する。

小田原事件  妻・千代を佐藤春夫に譲るという前言を翻したため、佐藤と絶交する。

妻譲渡事件  小田原事件で絶縁状態になった谷崎と佐藤だが、のちに和解。谷崎は千代と離婚して20才年下の丁未子(とみこ)さんと再婚、佐藤はとうとう千代と結婚することとした。3人の連名で出した声明文「私たち3人は相談してこのような結果になりました。谷崎と佐藤はこれからも仲良くやっていきますので、みなさんよろしく」と新聞トップを飾った。

 谷崎は悪女めいた女性に魅力を感じていたそうである。
 歌舞伎や草双紙に登場する、恋しい男のためなら、ゆすりやたかりも働くという伝法肌の女性、江戸っ子だった谷崎にとっては、馴染み深い存在だったのではないかと、解説本にある。当時、ファム・ファタルの男を破滅に導くタイプの女性像が日本でも人気を集めていて、 文学青年だった谷崎がおおいなる影響を受けたようだ。
 さて、もう一つの主人公、着物。谷崎作品のモデルになった女性に焦点をあて、彼女たちが着用した着物や装飾品が豪華に並んでいた。『細雪』の四姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子、それぞれの性格を捕らえ着物のデザインと色に反映されていて、四姉妹がそこにいる感覚で鑑賞することができた。着物姿の四姉妹が街中を歩くと行き交う人たちが振り向いたそうである。艶やかで粋な姿は当時の最先端のファッションであったのであろう。
 大正ロマンと着物、甘美で抒情的である。『細雪』の後半の展開は如何に。

(20221.1.10)

 

 

  

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著者へのメッセージ

松本房子様 へ

松本様 今年もよろしくお願いいたします。

松本様

今年もよろしくお願いいたします。Zoomオンライン読書会、いかがかしらん。

島崎 陽子

 

【葛飾図書館友の会 読書クラブ】

■第2回Zoomオンライン読書会

2/19(土)15時~17時  無料

谷崎潤一郎 『細雪』 

■第9回 2/11(金・祝) 15時~17時

谷崎潤一郎 『細雪』

場所:東京都 葛飾区立中央図書館(常磐線金町駅徒歩1分)

会議室1 参加費:無料

1/11 島崎 陽子

「事実も小説も奇なり」に全くもって賛同します

島崎様

新春に相応しく着物の写真掲載が良いですね。

また、最後の「細雪の後半の展開は如何に。」の終わり方は講談風で良かったです。

昨年に引き続き楽しみにしています。

松本 

1/11 松本 房子


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